2021/9/13

【宮田裕章の提言】ギブ&テイクではなく「ギブ&シェア」。データ共有で開く医療の新世界

編集ライター (NewsPicks Brand Design 特約エディター)
 超高齢化社会から逃れられない日本。
 介護や福祉も含めて各種制度の改善や激増する医療費の抑制など、解決しなければならない課題は山積みだ。
 医療業界は今後のどのような道を進めばいいのか。
 現場の課題や解決策、また医療分野が持つ未来の可能性について、政府や多くの関連団体に提言する慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室の宮田裕章教授が語った。
INDEX
  • 突きつけられた「経済合理至上主義」の限界
  • 日本の医療問題の解決は、世界の未来を救う
  • 連携できない“古いインフラ”を刷新
  • シングルマザーの貧困もデータ利活用で光明を
  • 資源は共有。ギブ&シェアで価値を生む
  • 誰も取り残さない社会へ

突きつけられた「経済合理至上主義」の限界

──コロナ禍で人々の命・健康に対する価値観は、どのように変化したと感じていますか。
 コロナ禍で改めて認識されたのは、環境や格差、健康を二の次にして、お金のために社会を回すこと、つまり行き過ぎた経済合理性が限界を迎えている事実です。
 「命や健康」と「経済」のバランスをどうとるのか。教育や人権、格差、環境などさまざまな軸を無視せず、我々はどのような社会をつくっていくのか。
 それを突きつけられたのではないでしょうか。
 この、多元的な価値観や豊かさを求めるムーブメントは以前から起こっていましたが、コロナ禍で明らかに大きな波に変わりました。
 たとえば、アフリカンアメリカンの人々への暴力や差別撤廃を訴える「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」運動。
 コロナ禍で再燃し、白人の若者も多く参加していたことから、分断や格差が広がって差別もなくならない現代社会のあり方に「No」という意思表示をしたのだと思います。
iStock/Bastiaan Slabbers
 また、世界経済フォーラムのために、Ipsos社がコロナ後の世界について聞いた世界的な調査では、28カ国2万人以上の調査対象者のうち、約87%が「世界が持続可能で公平になることを望んでいる」と回答しています。
 G7サミットでも、これまでの主要な議題は「国際協調」と「経済成長」でした。
 でも現在は「サステナビリティ」「ダイバーシティ&インクルージョン」実現のために、どう未来を拓くのかという視点が先にあり、その手段として国際協調と経済政策が置かれています。
 そうした持続可能で多元的な豊かさを実現させるためには、命や健康が保障されている必要がある。
 だから、これまでモジュールの一つでしかなかった医療・ヘルスケアは、さまざまな産業を支えてつなぐ、大事な基盤だと改めて認識されるようになりました。
──コロナをきっかけに、経済合理主義社会からの脱却が加速した。
 もはや、企業の経済成長のために環境を破壊し、人権を軽視して低賃金で過重労働をさせていたら、その会社の商品やサービスに誰も共感しないですよね。
 これからは、どんな未来を共に作るのかを掲げるのが重要で、それがスタンダードになるはずです。

日本の医療問題の解決は、世界の未来を救う

──命や健康のために、医療やヘルスケアが社会の最重要基盤なのに、医療業界が抱える慢性的な課題は多いと思います。宮田先生はどのように捉えていますか。
 医療業界の良さは、「お金より優先できる価値(命、生きること、健康)」が当たり前のように認知され、重要視されていること。
 私はデータを活用して社会を良くするためにさまざまな活動をしていますが、医療に着目したのは、医療はお金以外で他産業と連動し、新しい社会を作る機動力になると考えていたからです。
 ただ、これは医療が持つ未来の可能性で、抱えている課題は多いのが現状。
 コロナが去った後も、全く見通しが立っていない日本の大きな課題は、少子高齢化と人口減少です。
 何もしないと滅びゆく国において、いかに持続可能な社会を作るのか。激増する医療費をどうするのか。
 この問題は日本の未来そのものにも関わるし、日本から10年遅れで超高齢化社会に突入するアジア各国やEU諸国にも関わります。
 つまり、日本で新しい道筋を見出せたら、それは世界の未来に貢献するソリューションや産業につながる可能性が高い。
 日本にとって不可避なこの問題は、世界が注目する可能性でもあるのです。
──解決の糸口はあるのでしょうか。
 日本は他国に比べると、健康診断など健康時のデータを何十年分も積み上げた、膨大な医療データを持つ稀有な国なんですね。
 健康時のデータは、病気になる手前からアプローチして、持続可能な社会や医療を作るための大切な資源になります。
 ただ、問題なのは、日本はその膨大な医療データがバラバラに存在していて、統合も共有もされていないこと。だから、せっかくの資源が活用されていません。
 長年蓄積してきた行政が持つ検診データ、医療が持つ電子カルテなど、さまざまな医療データをクラウドで統合し、そこにスマホやIoTデバイスを連携させて、一人一人がより健康に過ごせるようフィードバックしていけば行動変容につなげられるはず。
iStock/metamorworks
 個別に存在するデータでは大きな価値を生めなくても、100万人、1000万人、1億人のデータを集めて共有すれば、病気や認知症などの予防精度は高まり、新たな医療や新薬にもつながるかもしれません。そこに大きな可能性があると思っています。

連携できない“古いインフラ”を刷新

──個人のデータを共有して活用するとなると、個人情報の観点から受け入れ難いといった課題は出ないでしょうか。
 「日本人は個人情報の意識が高いから情報を出さない」という説をよく聞きますが、実はそれを裏付けるデータはほとんどありません。
 むしろ、日本は公的機関が正しく使ってくれるならデータを共有するという人が多いんですね。
 そう聞くと、データの利活用が進みそうですが、古いインフラを騙し騙し使って、新しいIT環境にシフトしなかったことが大きな弊害になりました。FAXがその典型です。
 加えて、ベンダーがデータを囲い込んだという問題もあります。行政や病院が「ITはわからない」と、システム開発をベンダー任せにした結果、個別に独立して連携できないシステムが乱立してしまった。
 一人一人が健康で豊かに生きるためには、医療におけるさまざまなデータをつなげることは必至です。これがより良い未来をつくるスタート地点になると思っています。

シングルマザーの貧困もデータ利活用で光明を

──病気になった先の医療ではなく、人がより豊かに健康に生きるために、あらゆるデータをつなぐ必要があるのですね。
 データが生きる領域は医療だけではありません。
 たとえば、シングルマザーの貧困問題も、あらゆるデータをつないで利活用することで、最適な支援ができる可能性が高いんです。
 今の日本の社会は、最大多数の「平均の人たち」に合わせて作られてきました。
 実際、大量生産・大量消費の時代は「平均の人たち」がたくさんいたから、みんなが欲しいだろうと思う物を大量に作れば、大量に売れていました。
 教育も同じで、「平均の人たち」に合わせて作られたカリキュラムを、能力に関係なく全員に提供していますよね。
 しかし、経済成長が停滞した「失われた30年」で分断や格差が広がり、個別化された今、「平均の人たち」の姿も失われています。
 だから、平均値を軸にした政治や行政はそもそも機能不全に陥っているんです。
 特にシングルマザーは苦しい状況に置かれています。
iStock/kieferpix
 現在の制度や賃金は「共働きを平均」にして設計されているため、その平均像から離れたとたんに厳しくなります。
 離婚して子どもの扶養義務を持った女性の6割が非正規雇用なので、子育ての時間分、収入が減る構造になっていますし、持病を持っていたら生活はより厳しくなる。
 こういった、「非正規雇用」「収入減」「持病」といった要素は足し算ではなく掛け算で苦しみが積み上がるのですが、日本の制度では児童手当や生活保護など、足し算の支援しかないので、本当の意味で寄り添えていません。
 だけど、雇用や医療、福祉のデータをつなぎ合わせたら、掛け算の苦しさに寄り添える可能性があるんです。
 たとえば、生活保護を受けるシングルマザーは、貯金が尽きるまで頑張って、どうにも立ち行かなくなってから生活保護を受けに来る人が少なくありません。
 その状態から支援しても、立ち上がる余力が残っていないことが多い。それでは本人と子どもの未来を奪ってしまいます。
 そうではなく、もっと手前から異変に気づけるようにすれば、本当に不幸になってしまう前に手を差し伸べられるはずなんです。
 たとえば、体重のデータから子どもの成長曲線に異常が見られた場合、生じている異変は貧困かもしれないし、それ以外の出来事かもしれません。
 そうした可能性を早い段階で察知して支援することで、未来を前向きなものに変えられるかもしれないのです。
 医療データは医療だけに有効活用できるのではなく、ヘルスケアや福祉など、さまざまな領域とつながりながら社会の課題を解決し、すべての人に必要な支援を届け、社会を豊かにできるのです。

資源は共有。ギブ&シェアで価値を生む

──経済合理性の社会から、持続可能な社会にシフトする。その鍵を握るのが医療データの共有ということですね。
 そうです。これまでの社会は共有ではなく所有がメインでした。
 排他的な「貨幣」を所有して、それを奪い合うことで世界が回っていました。それが格差や貧困、病気を招いてきた。
 一方、データは貨幣と違って使ってもなくならないし、自分のデータでありながら、誰かの役に立つデータでもある、共有できる資源です。
 今は、データを共有して個人にも社会にも最大化した価値を届けていく、大きな転換点だと思っています。
 ギブ&テイクではなく、ギブ&シェアの考えにシフトすることが、これからはとても重要ですね。
──「ギブ&シェア」はいいキーワードですね。かなり大きなパラダイムシフトだと思うのですが、そのためには国の強力な働きかけも必要ですか。
 アメリカやイギリスは国がリーダーシップを示しました。特にイギリスは「みんなにシェアできる電子カルテシステムを作らないと、お金を払わない」と行政側が強い制約をかけました。
 日本も、同じように行政側の決断で変えられる部分は多い。解決策はシンプルなので国が決断し、サステナブルなビジョンを共有できる民間企業と一緒に実現するだけです。

誰も取り残さない社会へ

──医療データの統合プラットフォームを実現するために、政府や自治体、医療機関、ベンダーなどさまざまなプレーヤーの足並みはそろうでしょうか。
 5年前、まさに医療機関や行政に点在する個人データを一カ所にまとめて管理し活用する基盤「PeOPLe(Person centered Open Platform for well-being)」の構想を提示したときは、そんなことできるわけがないと言われていました。
 PeOPLeで実現したいのは、個人の検診データやヘルスケアデータ、医療機関が持つ電子カルテ、産学官が持つ臨床データなどをつないで共有・活用し、すべての人の健康を守り、介護を予防し、福祉を促進する社会。
 データを一部の人が独占して社会をコントロールするのではなく、データを共有財産としてさまざまな社会課題の解決に活用し、誰も取り残さない社会を作りたいと考えました。
 5年前は無理だと言われた構想ですが、すでに世界はその方向に向かっていますし、日本もそうなりつつあります。
 今秋には、マイナンバーポータルに検診と薬のデータを吸い上げて個人にフィードバックする取り組みが始まります。
 今後は医療データをスマホに連携させ、検診結果に基づいた個別のサポートサービスも発展していくでしょう。
 日本は30年もの長い間、国全体でデジタル化を見送ってきました。でも、さすがにこの先は見送れません。
 分断の中でデータを奪い合い、囲い込むのではなく、データを集めてシェアするというアプローチは、未来の可能性を拓く上で重要な視点になると思います。