年下からの「タメ口」はあり?硫酸事件から言葉遣いのトラブルを考える - News&Analysis
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「日本では年齢が上、関係上で目上にあたる人には敬語を使う習慣がある。敬語の徹底度や、敬語を使わないことが失礼に当たるかどうかは、属しているコミュニティーによっても違う。」
この「タメ口」の概念は、今の日本を象徴している。
日本には、丁寧・謙譲・尊敬の言葉の使い分け方があり、このタメ口は丁寧でない話し方になるだろう。英語では、基本的にみな「タメ口」が普通で、過去形を使って表現を和らげる言い方があり、これが丁寧な言い方なのかなという気がする。(特別な地位にある人達との話し方は別にあるのかもしれないが)日本語は、言葉の使い分けにより相手の年齢・地位や状況に応じて上下と内外を切り分けているのだろう。
同種の問題が引き続き起きるとすれば、それは個人の問題では無く、仕組みやシステムの問題。ここでもし「タメ口」で会話する事が問題ならば、上下(軸は年齢か)を切り分ける必要が、この時代、或いはこれからの時代に不可欠なのかという前提が必要になる。もし、その切り分けが不必要、または消滅するのであれば、この「タメ口」という概念もいずれ消滅し、「丁寧で無い話し方」に変わるのでないのか。
もちろん、相手がどの様な地位や年齢であれ、ひとりの人として、尊重・尊敬される事はいつの時代にも必要で、親しい関係にならない限り、丁寧な言い方は不可欠だろう。
言葉により人の意識の方向性が決まり、その集大成した概念が、この社会の仕組みを作り上げていく。もし、今の日本国がグローバルな競争の中でサバイバルし、成長し続けていくのに、十分な対応が出来ていないシステムを有しているなら、その根底にある様々な前提そのものを意識化して、改めてその是非を問うべきだろう。