障がいとは何か。2020年大会に向けて、取り組むべき課題
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障がいは「肩書」ではない。当然ながら「肩書」がその人を表しているわけでもない。
これまでの経験上、障がいは「特徴」であると捉えてもらうとフェアな職場づくりが可能だ。
健常者は特徴を本人がPRしなければ分かりにくく、本人も理解していない場合は一緒に仕事しないと相互理解が得にくいため、マネジメントがしにくい。
一方、障がい者は特徴を相互に理解しやすいため、マネジメントがしやすい。
ただし、"精神"障がいの場合は、これまでの日本社会規範が障害となり、本人が隠してしまう(心情的に隠さざるを得ない)ことが多い。
障がいは「特徴」と捉えられる世の中になって欲しいと願います。
注目のコメント
とても共感できますね。
健常者にもできる事、できない事があるように「障害者」という事だけで特別視されることが多く、やりたい事もやる機会を失い、もっともっと頑張れる事も頑張れる機会がなくなってしまう。ここに健常者と障害者の壁があるように感じます。
例えば友人が骨折をした場合、周囲の人は困っているところをサポートすると思います。利き手を骨折したら手を使う場面で困っていたら助ける。
足を骨折していたら、階段など移動の部分などで困っていたら助ける。
しかしながら、「障害者」の場合、困っていると言っていないのにすべての場面において制限をされてしまう。
この問題は「障害者」という言葉をなくしたら解決する事ではなく、記事の中にもあるよう日常の中で障害者と関わる時間が増えることによって、障害者に対しての差別、偏見がなくなるのではないかと思います。
障害者も社会の戦力となり活躍できる人は多いです。もっともっと障害者の可能性を広げる取り組みをして頂きたいと感じます。
現在行われているパラリンピックも、障害者が頑張っているから凄いではなく一つの競技として、一人のアスリートとしての活躍を応援して欲しいと思います。
「多様性と調和」をビジョンに掲げるのであれば、せめて開会式くらいはオリパラ合同でして欲しいと感じました。
次回以降のオリパラに期待したいものです。”障害者の誕生”というのを何かで読んだことがあります。どういうことかというとイギリスからはじまった産業革命がその区別を生んだということです。”工場労働ができるか出来ないか”。”工場労働”がableなのかdisableなのかが線引きの始まりだということです。妙に得心したことを覚えています。
大雑把な想像ですが、ゆったりした農業農村世界ではゆるやかに社会の成員の一部として役割があり生活できていたのではないでしょうか。
IT革命という産業革命は再び障害を持った方々を過去そうであったように身近な普通の社会の成員として迎え入れてくれる革命になるのではないでしょうか。NewsPicksでは東京パラリンピックに関連する過去の記事を競技日程に合わせて再掲しています。
本日は2017年12月05日に公開した女子サッカー選手の永里優季選手による記事です。海外のサッカーチームを経験してきたからこそ感じた日本との違いなどについて述べられています。お互いの理解を深めるために、幼少期から障がい者と接する機会を増やすべきとの意見に共感しました。
昨日の試合で初白星を挙げた日本代表選手。次の対戦相手はパラリンピック4連覇中のブラジルですが、初戦の勢いのまま進んで欲しいです。