2021/9/9

マーケティングは「獲得効率」から「人間らしさ」の時代へ

NewsPicks Brand Design Editor
 デジタルの普及にともなうユーザーの行動変化を受け、マーケターにはさらなるクリエイティビティの発揮が期待されている。
コンバージョン効率を重視した従来のマーケティングに限界が見え始め、「あたたかみ」や「つながり」など、「人間らしさ」が重視される時代が到来した。
 一見、非効率でさえある「質」を重視した、顧客とのコミュニケーションや中長期的な関係性の構築が求められているのだ。 
 ビジネスの世界には「真実の瞬間」という言葉があり、消費者はわずか15秒でブランドの価値を判断すると言われている。このわずかな時間に、いかに人間味を感じさせ、心をつかめるかが肝なのだ。
 では、マーケティングで有効な「人間らしさ」とは何か。
 マーケティングに詳しいKaizen Platform須藤憲司氏と米国発のカスタマーエンゲージメントプラットフォーム・Braze菊地真之氏が意見を交わす。

ユーザー状況を「1.1秒ごとに追う」技術

須藤憲司(以下、須藤) ここ数年で、マーケティングで重視される指標は顧客のコンバージョン効率から、中長期的な関係構築へと移っています。
 エンゲージメントやLTV(ライフタイムバリュー、顧客が生涯にわたって企業にもたらす利益)といった言葉を耳にする機会が増えたという方も多いでしょう。
 ですが、これらを体現できているブランドはまだまだ少ないと感じます。
菊地真之(以下、菊地) 私が日本代表を務めるBrazeは、2011年に顧客とブランドの良質な関係構築を支援するカスタマーエンゲージメントプラットフォームとして、アメリカで生まれました。
 創業のきっかけは、現CEOとCTOの2人が企業内外のさまざまなデータを連携し、顧客一人ひとりに最適なブランド体験をつくりたいと考えたことです。
ソフトウェア、小売、金融など、さまざまな業界のグローバルブランドを中心に約1,500社が導入(2020年8月現在)
 日本法人ができたのがちょうど1年前ですが、日本でもようやくカスタマーエンゲージメントの概念が広がり始めていると感じます。
須藤 これまでも、MA(マーケティング・オートメーション)ツールの導入などにより、メールをはじめとした一部の施策ではエンゲージメントの醸成が意識されていました。
 ですが、大半のデジタル施策はいまだにエンゲージメントとはほど遠い。
 デジタル広告がいい例ですが、ニュースの動画を見ているときに、まったく関係ない広告が流れることがありますよね。
 たとえ好きなブランドの広告であっても、適切なタイミングでなければ、やはり違和感が残ります。
iStock:Tero Vesalainen
菊地 ブランドにとってもユーザーにとっても、いい体験ではありませんよね。Brazeが生まれたのも、こうした露出量で勝負する「PV至上主義」へのアンチテーゼからでした。
 私たちのサービスでは、“ブランドと人をBraze(融合)する”というコンセプトで、リアルタイム性を重視した関係構築を促します。
 具体的には、ユーザーの行動を1.1秒単位で分析し、その時々に合わせたメッセージングを可能にしているのです。
 たとえば、あるファッションブランドが、六本木にいる自社のユーザーに対してアプリ内で新宿店のセール情報のポップアップ通知を出しても、あまり効果的ではありませんよね。
 位置情報をキャッチし、滞りなく六本木店の情報を配信したほうが、ユーザーにとっても有益なはずです。
 位置情報のほかにも、アプリ上でのユーザー行動もつぶさに把握し、ユーザーの「今この瞬間」の状況にあわせたコミュニケーションが可能です。
須藤 これまでもユーザーデータを利用した情報配信はありましたが、複数のプラットフォームを介するため、数時間、数日単位でのラグが生じていました。
 Brazeはそれらのデータを瞬間的に結合するから、顧客に違和感を抱かせない効果的な情報配信ができる、というわけですね。

「モテる」広告と「モテない」広告の違い

菊地 これまでマーケティングを手掛けてきた須藤さんは、顧客のエンゲージメントを高めるポイントをどのように捉えていますか。
須藤 一つカギになるのは、「わかりやすいかどうか」だと思います。
 恋愛に置き換えるとイメージしやすいですが、相手から一方的に「私はすごいんです」「こんなことができますよ」と言われても、かえってその人に興味が持てなくなるものです。
 それと同じで、ブランドからのメッセージも、一気にいくつも伝えられるより、「何のサービスか」「何のお知らせか」を端的に言われたほうが、シンプルで印象に残りやすい。
菊地 広告主があれこれ言いたくなる気持ちもわかりますが、受け取ったほうはそこまで覚えていられませんからね。
 メルマガにせよポップアップ通知にせよ、せいぜい1通に1メッセージが限度です。
iStock:kohei_hara
 また、エンゲージメントの観点で考えると、メッセージの内容も画一的なものではなく、一人ひとりにパーソナライズするのが理想です。
「みんなに同じ内容を送っているんだな」とユーザーに思われてしまっては、恋愛と同じで効果激減ですから(苦笑)。
須藤 不特定多数ではなく、「あなたに話しかけているんですよ」という姿勢を見せるのは、エンゲージメント維持に限らず、マーケティング全般で重要ですね。
 まさに「モテる」ブランドは、「目の前にいる顧客が誰で、どんな状態で、何を欲しているのか」を、意識的に把握してコミュニケーションをしています。
菊地 Brazeにも、一人ひとりにパーソナライズしたメッセージを送る機能があります。
「メールよりアプリ経由で商品情報を見ている」「特定のカテゴリーの製品をよく購入している」「オンラインとオフラインそれぞれの購買実績はこれくらい」など、ユーザーの行動や状況を踏まえて、最適なメッセージを効果的なタイミング・チャネルで配信できるのです。
左側の管理画面で、ユーザー情報(この画面の場合は旅行先、天気情報、保有ポイントなど)を設定し、右側のデモのようなパーソナライズしたメッセージを送ることができる。
 一昔前までは、パーソナライズは「効率が悪い」というイメージが根強かった。
 ですが、データベースやデータの処理技術の発達により、想像よりも手軽にパーソナライズができるようになってきています。
 これにより、リアル店舗での接客のように、デジタルでも「心と心が触れ合う」ようなつながりが創出できるのです。
須藤 リアルでは自然と相手の状況や嗜好を意識するのに、デジタルだと急にそうした配慮が希薄になって、おかしなタイミングで広告を表示してしまったりするので不思議ですよね。
 これまでは、それでもコンバージョンができていましたが、今後はサードパーティデータ(自社とパートナー企業以外の第三者から提供されるデータ)の利用制限などの流れもあり、同じようには戦えなくなっていきます。
 Brazeのような便利なツールも出てきていますし、デジタルでのエンゲージメントの追求がより当たり前になっていくのでしょうね。

マーケターの仕事の7割は「単純な事務作業」

須藤 僕がDX支援をしていて感じるのは、「DXの本質は『究極の属人化』」だということです。
 誰にでもできる仕事をデジタルで効率化していくと、残った仕事は人間、もっと言えば「その人」にしかできないことになる。
 デジタルツールの導入によって、マーケターが自社の顧客に思いを巡らせ、最適な施策を考えていくのはその最たる例ではないでしょうか。
菊地 日々マーケターと接していると、仕事の約7割の時間をデータ集めや、説明用の資料作りといった事務作業に費やしていると気づきます。
 ですが、本来はユーザーにとって心地の良い体験を考えたり、事業目標に貢献するような施策を設計したりといったクリエイティブなことに時間をかけたいはずですよね。
「ブランドとユーザーの良質な関係を構築し、エンゲージメントを育む」という、マーケターのプロフェッショナリズムの根幹です。
須藤 どうしても日本は「手を動かすこと」を美徳とするきらいがあるので、抜本的な改革に踏み切りにくいのでしょうね。
 加えて、日本はジョブローテーションもありますから、マーケティングを完全に代理店に外注している企業も多い。
 ですが、それではブランド内に知見が蓄積されず、一マーケターとしてのプロフェッショナリズムも磨かれにくいと感じます。
菊地 同感です。そして、マーケターが本来の仕事をするためにも、意識的に「自社がマーケティングをする意義」をレビューする機会があるといいですよね。
 大げさだと思うかも知れませんが、そもそもなぜマーケティングを行うのか、なぜエンゲージメントが大切なのか。
 この点についてのコンセンサスがチーム内で取れていないと、効果的な戦略を策定できません。
須藤 マーケティングの部署にある「なんとなく」をなくすということですね。
 その上で、これまでの施策が本当にエンゲージメントに効いていたのか、そうでないのかを精査し、新たな指針を打ち立てる。
 そういう意味では、「社内向けマーケティング」もキーになりそうです。
 おそらく、マーケターが事務作業に時間を費やしているのも、社内での報告が必要だからで、実はそれは顧客のブランド体験の向上にはまったく関係なかったりします。
 僕も、会社員時代は社内提案の前に決裁者を徹底的にリサーチして、相手に合わせたプレゼンや根回しをしていましたが(笑)、社内に向けても想像力を働かせて理解を得ていく必要があります。
iStock:SetsukoN
菊地 予算確保などの兼ね合いもありますから、マーケターの腕が試されるポイントですね。
 そもそも会社のゴールはどこか、経営にはどんな人がいるのか、いま顧客に提供すべき情報とは何か。これらの要素をジャッジして、アジャイルにマーケティング戦略を組み立ててけるのが理想です。

日本人とカスタマーエンゲージメントの相性がいい理由

須藤 これまでなかなかツールの導入が進んでごなかった日本ですが、今はデジタル化を推し進めるチャンスだと強く感じます。
 コロナ禍もその一要素ですが、マクロトレンドとして日本は働き手が絶対的に減っています。
 すると、業務の効率化が確実に必要になってくる。日本中どこを探しても、採用に困っていない会社はほとんどありません。
菊地 私たちも、非常に好機だと捉えています。
 余談ですが、弊社の創業者であるCEOとCTOは、ふたりとも日本市場に非常に大きなポテンシャルを感じているらしいんですよ。
 内需の大きさや人口減少というトレンドに加えて、Brazeの「心が触れ合う顧客体験を作る」という理念が、「おもてなし」や「あうんの呼吸」といった日本特有のカルチャーに通じるではないかと。
 いつかは、ニューヨークにある本社を日本に移したいと言っているくらいです(笑)。
須藤 たしかに、日本人とカスタマーエンゲージメントは相性がいいかもしれませんね。
 僕もアメリカと日本でビジネスをしていますが、日本のほうがより顧客への「解像度」が求められるように感じます。
 アメリカは人種が多様なので、ある程度大ざっぱにコミュニケーションが進む場合が多いですが、日本では、より細やかに感情を読み取ることが重んじられる。
 裏を返せば、よりマーケターの想像力や人間力が強く問われるでしょうし、今後エンゲージメントの概念が浸透していけば、ブランドにさらに期待される部分だと思います。
菊地 そうした顧客ニーズに応えようと試行錯誤することで、各ブランドの顧客体験の価値も底上げされていくのでしょうね。
 マーケターがクリエイティビティを発揮できるよう、ますます私たちエンゲージメントプラットフォームも利便性を高めていかなくてはと感じます。
須藤 獲得効率の追求に比べると少し遠回りに思えるかもしれませんが、中長期的にブランド価値を上げていく手段だと捉えて、エンゲージメントを考えていけるといいですよね。
「人間らしさ」や「心の触れ合い」が増えることで、ユーザーとブランドの関係構築がどう変化していくのか。マーケティングに携わる身として、展開を楽しみにしています。