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中国思想における「絶対悪」と米中対立

梶ピエールのブログ
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  • 梶谷懐先生のブログだがめっちゃ面白かった。中国社会の諸問題はさまざまな関係者間での調整の不調・乱調に基づくもので「絶対的な悪しき存在」が悪さをしているわけではない…というのが多くの中国の民衆の思っていることで、実はそれは中国の伝統的な思想に基づいたものである、このため「悪しき体制」を見定めて打倒しようとする欧米の考え方と噛み合っていないという。この説明は、中国の一般の人が「敵意」というよりも「当惑」を抱いているように見える自分の印象と一致する(もちろんSNS上でハッチャけてる共産党のパシリも多いが、サイレントマジョリティがどう考えるているのかはそれだけでは見えないだろう。渋谷の路上で飲んでる若者がいるからといって「若いやつは感染拡げて構わんと思ってる」などと断じるのが軽率であるのと一緒だ)。「絶対悪」という考え方は毛沢東が持ち込んできた歴史があり、現在では毛沢東への負の記憶とともに忌避される傾向にあるという。

    これ読んで思ったのは、実はこういう「絶対悪を設定しない」という考え方は日本においても大変メジャーだが、思想というよりは責任逃れの方便として活躍する事が多く、「選択の責任」を追求された者が「たまたまの不調だった」とウヤムヤにするといった用途が多い。ある意味半分西欧的・半分東洋的な考え方が機会主義的に都合よく出し入れされているのが日本の現状なのかもしれない。

    後段で、しかしながら「絶対悪」を断罪する上で前提となる自由意志(選択の自由がある者があえて悪を選んだ、という選択の責任がなければ悪を問えない)には限界がある、という現代心理学の前提に立てば、この噛み合わなさを解消する道が開けるかもしれない…という構想が語られており、大変魅力的に感じた。


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