2021/8/23

【学びを科学する】子どもたちは考える「基礎」をどう身につけるのか

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 問いを立てればAIやコンピューターが答えを出してくれる時代。ビジネスリテラシーとしても、課題発見などの「思考力」や「応用力」が重視されている。だが、思考のベースとなる「基礎学力」は、いつどのように身につくのか。
 スプリックス基礎学力研究所所長の梅田修平氏をホストに迎え、認知心理学や言語習得のメカニズムを研究してきた今井むつみ氏へのインタビューで、思考や熟達の土台となる「基礎学力」とは何かを探る。

幼児は自分の「ことば」を発明している

梅田 今井さんは、認知心理学の見地から、子どもの言語習得や学びについて研究されています。言語は人が学び、知識を広げるためのツールともいえますが、そもそも子どもたちはどうやって「ことば」を覚えているのでしょうか。
今井 不思議ですよね。私たちが英語を習得するときは、母語である日本語を使って教わることができます。だから多くの人は、生まれたばかりの赤ちゃんも大人からことばを「教わっている」と考えますが、それは間違いなんです。
 母語を身につけるとき、子どもたちは文法や語彙を自分の力で学習しています。新しい単語に出合うと、最初に手持ちの記憶 ── たとえば色や形、音や匂いなどの知識から手がかりを探し、新しい単語の意味を推測するのです。
 得られたことばは蓄積され、次に出合うことばの意味を推測することや、すでに持っていることばの意味を修正することにも使われます。そうやって、「語彙」を増やしていくのです。
 注目すべきは、子どもたちが新しいことばを覚えると同時に「ことばのシステム」を探索していることです。ある言語を使えるようになるには、一つひとつの単語を覚えるだけでなく、全体としてどんな関係や規則性があるのかを習得しないといけません。
 つまり、子どもたちは教えられなくても「母語の学び方」を独学している。これを心理学の用語で「スキーマ」と呼びます。
梅田 私たちスプリックスでは語彙や計算などの「基礎学力」を研究していますが、今お話しいただいたような学び方のフレームは、学習を考えるうえでとても興味深い。
 子どもたちが自ら学ぶ力を持っているとすれば、どんなときに学校の勉強につまずいてしまうのでしょうか。
今井 学んだ内容を断片的に記憶していて、「生きた知識」にできていないときでしょうか。
 たとえば、算数の教科書では、分数を「ピザを何人で分ける」といった表現で説明します。これは分数を理解する一助になりますが、この説明だけでは「丸を分けた図」がないと、分数の計算ができなくなってしまうかもしれません。
 ある調査で「3分の1」と「2分の1」はどちらが大きいかと聞いたとき、正解した小学5年生はどれくらいいたと思いますか。
梅田 その聞き方だと、4割強くらいでしょうか。
今井 さすが、教育指導の専門家ですね(笑)。ほぼそのくらいで、150人ほどに質問して正答率は約5割でした。
 私たちが使っている「数」や「計算」は、抽象的で難解な概念です。私はそれがわかっていたはずなのに、この結果には驚きました。なぜ、聞き方を変えるだけでわからなくなってしまうんだろうって。
梅田 塾で見ていても、分数でつまずく子どもたちは多いですね。それも、学んだことが断片的だからですか。
今井 そうです。ピザを切る絵で覚えたことが、数式のような概念まで抽象化されていない。だから、丸ではなく線を分割するような図で聞かれても、正答率が下がるんです。
 同様に、足し算や引き算はできるのに、それが「虫食い算」のような問題になると解けなくなってしまう。足し算や引き算の関係、繰り上がりと繰り下がりの仕組み、こういったフレームまでは身についていないからです。
 授業で習った単元を抽象化し、つながりや関係を理解できるかどうか。これが、「できる子」と「できない子」の差を生んでいるのです。

10円玉という概念の難しさ

梅田 たしかに、計算問題につまずいた子たちも、根気よく教えていればあるとき突然問題を解けるようになります。これは、抽象化できたからなのかもしれません。
今井 いい例があります。小学1年生のクラスで硬貨の山から「52円」を選ぶ授業をしたとき、ある女の子が「17円」を出しました。「ごじゅうにえん」を「50+2」円ではなく「5+10+2」円だと誤解したからです。
梅田 「ごじゅう・に」と「ご・じゅう・に」。その子は、区切り方を間違えたんですね。
今井 ええ。それは、彼女なりに推論をして、自分自身で計算のモデルを作ろうとしている証拠でもあります。
 母語の習得と同じく、体系立てて理解したことは、記憶に深く刻むことができます。ただ、その推論が正しければいいのですが、間違った体系を習得してしまった子どもたちは、先生が「その答えは間違ってるよ」と言っても納得しません。
 その子が間違えたのは「計算のルール」であり、そのルールに則るなら導き出される答えは合っているからです。
梅田 わかります。基礎を間違って覚えてしまうと、思い込みを解くのが大変です。彼女の場合はどうやって解決したんですか。
今井 一人の指導主事(教育活動の助言や指導を行う教育委員会の職員)が授業に介入し、彼女の思い込みを解くための支援を行いました。数え方の正解を教えるのではなく、子どもが自分自身で誤った思い込みに気づくように「足場かけ」をしたのです。
写真:iStock / frema
 考えてみると、お金ってとても抽象的ですよね。1円、5円、10円、50円と、単位もバラバラで直感的に数えられない。その指導主事さんは、「数えビーズ」という教具を使って50、100という数字を一つずつ数えられるように足場をかけていきました。
梅田 なるほど。1円玉を52枚数えるようなものですね。それなら手間はかかるけれど、計算を使わなくても数えられる。
今井 はい。まずはそこから始めて、ビーズを10個連ねて棒にすると「10」になること、その棒が2本で「20」、3本で「30」といった数の概念を教えました。これならビーズの数を確認できるので、彼女も納得できます。
 それでも硬貨が目に見えない数を表していると理解してもらうことは簡単ではありませんでしたが、数えビーズに戻ったり、別の教具を使ったりしながら粘り強く支援し続けたんです。
 新しい概念を理解する、つまり物事を抽象化して捉えるためには、比較するプロセスが大切です。
 複数の方法を行きつ戻りつしながら、その女の子は50とは10が5つであり、ビーズなら10個連なった棒が5本分、お金ならば10円玉が5枚分だと理解しました。最終的に52円は「5+10+2」ではなく「5×10+2」であることを自分自身で発見したのです。
 その後、どうなったと思いますか? 数を数えられるようになった彼女は算数が大好きになって、今では自ら率先して計算ドリルを先々まで解いてしまうそうですよ。
梅田 一つの解き方を発見したことで、算数の道が開いたんですね。それこそ、彼女にとっての「学習の基礎」を得たんだと思います。
今井 そうですね。どこかでつまずいて苦手意識を持ってしまったとしても、基礎の基礎まで解きほぐして自ら仕組みを発見すると、子どもは達成感を得られます。
 その女の子は、これからもつまずくことがあるでしょう。でも、一度自分で解決してわかるようになった経験をすると、解けないことを恐れなくなります。今は難しくても、わかるようになると自信を持てるのです。

使える「基礎学力」の身につけ方

梅田 私が所長を務めているスプリックス基礎学力研究所では、世界11カ国の子どもたちの学力調査と、保護者を対象にした意識調査を行いました。その結果、日本では6歳から9歳の低学年で基礎学力不足が顕著で、保護者も応用力や思考力よりも「基礎学力」が必要不可欠だと考えていました。
出典:スプリックス基礎学力研究所調べ。2020年8〜9月、日本・アメリカ・中国・インド・イギリス・フランス・ポーランド・タイ・インドネシア・マレーシア・ミャンマーの各国1000名ずつ、計22,000人の児童・保護者へのリサーチ調査を集計。「国×年齢別 学力調査」では、児童を対象に、計算に関する50問の基礎的なテストを実施した。
 私たちは、この基礎学力をベースアップするために「TOFAS」という国際指標や教材、指導法の研究・開発を行っています。今井さんは、子どもたちの基礎学力を伸ばすために、教育はどうあるべきだと考えますか。
今井 学びの深さを示す指標に、「学びのICAPモデル」があります。これは、インプットされる情報が、どれだけすでに持っている知識と出合い、結びつき、新しい知識を生み出せるかをいくつかのモデルで分けています。
 もっとも浅い受動的(Passive)な学びは、教師から与えられる情報をひたすら聞き続けるようなもの。能動的(Active)な学びとは、今の小学校で行われているように教科書をハイライトしたり、ノートを取ったりするものです。こうした教え方だけでは、もともと勉強ができる子しか新しい知識と古い知識を関連づけられない。生きた知識になりにくいのです。
梅田 私の実感とも近いですね。スプリックスをICAPモデルに照らし合わせるなら、学習をコンテンツ化するだけではなく、講師を介在させることでConstructiveな学びを目指しています。
 さらに、学習塾という「場」を最大限活用することで、講師と生徒、あるいは生徒同士のコミュニケーションを活性化させようとしています。これが、Interactiveな学びと言えるでしょうか。
今井 少なくとも基礎を定着させるには、構成的(Constructive)な学びを促す必要があります。このモードでは、授業内容と、子どもが自身の体験から作り上げたスキーマとが結びつき、自発的な解釈を呼ぶ。つまり、新しい知識が、これまでの経験のなかに体系づけられるのです。
 先ほどお話しした女の子がそうだったように、人は往々にして間違った推論を体系のなかに組み込んでしまうことがある。一方で、自分の知識と整合性の取れない経験をすると、思い込みを自分で直そうとする力を持っています。その手助けをするのが、教育の役割ではないでしょうか。
 ICAPモデルの「双方向的(Interactive)な学び」では、人と人が対話し、すでに持っている知識を更新しながら深めていきます。互いを触発することで、一人では作り出せない新たな知識を創造するような学び方です。
 そのような学びは、子ども同士の対話でも、先生と生徒の間でも実現できます。ただし、先生が整理して「これとこれが関係するんです、はい覚えて」と言い出した途端に、受動的(Passive)な学びになってしまいます。
 基礎となる知識がどう関係し合うのかは、子どもたち自身が推論し、発見しないといけないんです。

勉強につまずくのは、考えようとした証し

梅田 保護者や学習指導塾は、子どもの学びをどうサポートできるでしょうか。今井さんからアドバイスはありますか。
今井 子どもが考える力は、語彙力と高い相関があることがわかっています。語彙力とは、身近な言葉を的確に使える力のことです。
 保護者の皆さんには、学校や塾だけでなく、すべての生活が学びの場なのだと考えてほしい。自分の子が何をどう考えているのかに好奇心を持って対話を続けてほしいです。
 日本の学校は40人学級で、一人、二人の先生が見るには生徒数が多すぎます。保護者や学習塾が子どものつまずきに気づいて足場をかけてあげられたら、もっとたくさんの子どもたちが学ぶことを好きになるでしょう。その意味で、スプリックスさんのような学習指導塾は少人数で指導するのでしょうから、少人数ならではの目配りを期待したいですね。
 子どもがつまずくのは、考えようとした証しです。推論し、正しく理解しようとする力こそが、思考の基礎。その基礎を養うサポートがあれば、より多くの子どもたちが勉強を好きになってくれるのではないでしょうか。