トランスジェンダー選手、五輪へ 史上初、重量挙げ女子
コメント
注目のコメント
これ、性の領域に限らず非常に難しい話で、これまで大雑把な区分けで成立させていた社会のしくみを、より細分化して連続的な立場や指向性を認めましょうという流れの中で、不可避的に出てくる問題。
物理的実在にかかわる部分(骨格や筋肉、遺伝子など)と、人格にかかわる社会性や認知にかかわる部分(指向性や身分など)との間に差異があることを認め、その程度や方向性の多様性も含めて個別にちゃんと認めましょうというのが流れなので、こういう例はスポーツに限らず多様な場面で生じてくる。
建築や都市領域でも、例えばトイレをどうするかというのは、トイレという部屋としての単位がどうしても物理的に必要である以上、あらゆる場面で、あらゆる可能性としての指向性に無限に対応することは現実的に不可能。
例えばトランスジェンダーの人を女性用トイレに受け入れると、それを不安に感じる人も出てくるし、最後は自己申告でしかありえないので悪用する人も出てくる。最後はユニセックスですべて独立の個室にという話にもなるけれど、時間シェアすることのリスクや違和感を全ての人から拭うことも不可能。既存のハンディキャップトイレでも、あくまで多様なスペクトルのうちこれまで対応されていなかった部分を、一室で「可能な限り」カバーするものでしかない。
これまでの画一的な属性や所属の分け方に対し、より詳細で連続的な在り方を認める社会の流れは、性の話にとどまらず今後あらゆる領域で顕在化してくる(既にしている)。個人的にはこの流れ自体に異議を唱えたり戻したりというよりは、より積極的に認める前提で、そのためにいかにこれまでの分け方の前提自体、評価や比較の在り方自体を変えていかないといけないかという方向に、社会全体で前提を問い直す時期なのではないかと思う。
スポーツだって、男子と女子の二色の塗分けでなくてもいいんじゃないか。
そもそも100m走だって、身長160㎝の人の10.00と200㎝ある人の9.60をどう評価するか自体でも議論の余地はある。そうしたさまざまな変数と関数を勘案しない限り、こうした議論には決着はつきようがない。絶対値で評価(やっぱり有無を言わさず人類最速というのは見てみたいのも分かる)する世界と、条件ごとの相対評価をする世界、どちらも選択可能という方向に、社会のしくみのほうを変えていく時期なのでは。このニュースを報じるならば、過去に女子陸上800メートルで金メダルを獲得したセメンヤ選手のことに触れなければなりません。
セメンヤ選手は女子800m選手でしたが、検査の結果、性分化疾患でありテストステロン値が女性の水準を越えていることが判明したため、それ以降は男女の区別をテストステロンの値で判断することになりました。
その前提があれば、今回のようにトランスジェンダーでテストステロンの値が女性水準である選手の出場を認めなければならなくなり、それが今回のニュースです。
これは本当に難しい…生物学上の性で分けないと成り立たないように感じます。
平等とは何か。場合での平等を考えないと成り立たなくなります。
もちろんこれから議論されていく問題だろうし、様々な選択肢を探っていく段階だとは思います。