【NewSchool受講生作品】ぺしゃん(稲本昌之)

2021/5/1
「学ぶ、創る、稼ぐ」をコンセプトとする「NewsPicks NewSchool」。
映画監督の大友啓史氏と編集者の佐渡島庸平氏がプロジェクトリーダーを務めた「ビジネスストーリーメイキング」では、半年間を通して22名の受講生が「ビジネスストーリー創り」に取り組んだ。
今回は、受講生である稲本昌之さんの作品「ぺしゃん」の一部を掲載する。

講師からのコメント

・大友啓史監督のコメント
面白かった! テニスコーチという職業の、細やかなディテールが新鮮だ。しっかりとした教育論、子育て論として物語を展開しつつ、ビジネスの現場や組織のリーダーにとっては、人材育成の根幹にかかわるテーマにも踏み込んでいる。
エンタメに落とし込んでいる点も見事。少しやりとりしていけば、2時間の映像にできそう。テニススクールに通う子たちのキャスティングが難しそうだな…とか、具体的なイメージも広がっていく。クライマックスは感動が矢継ぎ早に押し寄せる。
無我夢中に一つのことに取り組んでいた少年の頃の思いと、その思いを、どう背中を押してあげるのか、という大人としての思いと。読みながら、その両者が心の奥底で交錯した。子供にも大人にもぜひ読んでほしい作品です。
・佐渡島庸平さんのコメント
大傑作! むちゃくちゃ面白かった! 主人公のテニスコーチ含む3人のコーチ、教え子のケンジとハルトとタイチの3人がそれぞれうまく対比され、コーチ同士、選手同士の友情物語・成長物語としてテンポ良く描かれている。
選手の母親なども登場し、物語をつくるうえで非常に完璧に人物が配置されてもいる。終始すごく気持ちよく展開していく。飛込み競技を描いた『DIVE!!』や野球少年を描いた『バッテリー』のような児童文学として、漫画化の展開もできそう。

ぺしゃん(あらすじ)

教えるって難しい。子供ってどう教育すれば、成長してくれるのか?どうすれば伸びてくれるのか?放任がいいのか?管理がいいのか?まさに正解のない教育論。

この小説は、テニスを通じて、その正解に挑む新米テニスコーチの物語です。小学高学年の教え子とともに、勝利を掴むために必要な、後もう一歩の正体に迫ります。

高校卒業と同時にテニスコーチの道を選んだ神木渉。真面目が取り柄の小学生テニスプレイヤーハルトと出会い、なんとしてでも彼を強くすると決意を固める。

渉の指導方法の全てを否定してくる先輩コーチ真藤や、その教え子である天才小学生ケンジとの日々に揉まれながら、成長していく渉とハルト。

最大のライバルであり、目標とする岡本コーチとその教え子である太一を倒すため、渉は悩み、もがき苦しみむ。コーチと小学生テニスプレイヤーの努力と葛藤を描いた、本格テニス青春小説。

第一章 出会い

ぺしゃん
ぺしゃん
ぺしゃん
音は不思議。
聞こえるだけで、その音を発するものが何なのか、大体想像できる。耳に届いた瞬間に、強固(きょうこ)なのか、それとも脆弱(ぜいじゃく)なのか、明朗(めいろう)なのか陰鬱(いんうつ)なのか、その正体を印象づけることができる。聞くだけで全身に電流が走り、思わず振り返ってしまう音もあれば、対象物を見るまでもなく蔑(さげす)んでしまう音もある。
耳に達する音の全てを、毎回、意識下で判断しているわけではないが、無意識のうちにいつも何かしらの判断を下しているものだ。車が走っているエンジン音でも、キーンと聞こえれば、旧式ではなく最新式のハイブリッドカーだとわかる。ビュイーンと、時間がなくて急いでいる車もあれば、ブロロロとドライブを楽しんでいる車もある。ボボボボッとくれば、高級スポーツカーのアイドリング音、男の子たちは一斉に振り向く。ぎゅるんぎゅるん音をたて、旧式の車が高速に乗ろうとすると、頑張って! と声をかけたくなる。
先ほどから、どこからともなく、なんとも言えず、頼りない音が聞こえてくる。何か硬い物で、それよりは少し柔らかいものを、叩いているような音だ。音だけで頼りなく、弱々しく、取るに足らないというメッセージを聞く者に届けている。
ぺしゃん
ぺしゃん
ぺしゃん
神木渉は、同級生と駄弁(だべ)った後、引退試合を戦ったテニスコートを、一人でぼんやり見下ろしていた。夕陽が、171センチ・64キロ、18歳男子日本人平均ど真ん中の影を、大きく引き伸ばす。
「これくらい身長あったら、もっと良いサーブ打てたのにな」
自分の影を見て独りごち、なんとなしに、その情けなく、自信なさそうな音に誘われて、コートの方へ歩み出す。テニスコートの手前にある壁打ちゾーンでは、初老の男性が缶ビールを片手に空を眺めていた。地べたに座り壁に持たれ、目を閉じてビールを流し込む。
「いい気なもんだな。明るいうちから酒飲んで」
その時だった。
シュパチン!
壁打ちコートの向こう側から、ムチで何かを叩いたような、高い破裂音がした。
ズドーン!
その直後、今度は分厚い鉄板で何かを押しつぶすような音が響く。
シュパチン!
ズドーン!
シュパチン!
ズドーン!
壁打ちコートを急いで横切り、音がする方に目をやると、真っ赤な帽子を後向きにかぶった男の子が、「あ〜」と言って天を仰(あお)いでいる姿が目に飛び込んでくる。今のは、テニスの打球音なのか? もちろん、テニスボールを打った音だということはわかる。ただ、これまでに聞いた種類の音ではなく、まさに最新式のスポーツカーのエンジン音のように、次世代の共鳴(きょうめい)を感じた。
「太一とやると、3球シバいても返ってくるからしんどいわ。中学生でも1回シバいたら、ほとんど返ってこうへんのに」
身長140センチくらいだろうか、茶色い毛先が軽くなびく程度にはみ出した赤い帽子の子は、その小さい体躯(たいく)には似つかわしくない、生意気な口調で、楽しそうに相手に話しかける。
「そんなことないよ。いっぱいいっぱい。ケンジと試合すると全く攻撃させてくれへんわ」
太一と呼ばれた手足の長い長身の男の子は、正反対の大人びたトーンで答えた。発育が早いのだろう、すでに声変わりしている。2人の身長差は20センチくらいあるように見えた。
渉は2人の会話よりも、先ほどの打球音が耳にこびりついて仕方(しかた)なかった。テニスボールを打った音であることは疑いない。しかし、これまでに全く聞いたことがない、明らかに『聞くだけで全身に電流が走り、思わず振り返ってしまう音』であることは間違いなかった。
こいつらの打球音なのか?
あの乾いた破裂音はなんだ?
あの分厚い鉄板で押し潰すような音はなんだ?
「あいつらを思い出すな。ええ音させよる」初老の酒飲み親父が、缶ビールのラベルを眺めながら、よく分からないことを言っている。完全な酔っ払いだ。飲み過ぎなんだよ。
「こらケンジ。休憩やないよ。コート借りてるのは17時までやから、残り10分続きやりなさい。太一君、ごめんね、この子すぐサボろうとするから」
ベンチで見ていた女性が、長身の男の子に謝るポーズをした。どうやら赤い帽子の子のお母さんのようだ。隣には兄弟らしい私服の男の子も座っている。
「よし、あと10分シバきまくってやる」
ケンジと呼ばれた男の子は、クルッと背中を向けながら、ボールを太一に向かって軽く打った。クルッと回る動きに、なんとも言えない素早さとバランス感覚を感じる。運動神経の良さは、こういう一瞬の動きに現れる。そして、真後ろより少し斜めにずらした帽子のひさしが、やんちゃな性格を連想させる。
ボールを受け取る太一は、スポーツ刈りで、今時Tシャツを短パンにインしている。派手なことには興味がなく、真面目で大人びた様子が伝わってくる。2人はコートの両側に別れ、太一がサーブを放った。左利きで、ジャンプしてコマのように回転しながらボールを打つケンジ。テニスの教科書に載っている、お手本のような整ったフォームで打つ右利きの太一。
ケンジのボールは、ラケットから離れると、獲物を追う肉食動物のように加速して太一から逃げていく。しかし太一はそのボールに追いつき、打ち返す。美しい球筋が、黄色い残像を生み、一本の弾道を作る。
ズドーン!
何球かラリーが続いた後、ケンジがこれまでよりも深くしゃがむと、ハッと声を出して激しく打ち込む。
シュパチン!
これがラケットにボールが当たる時の音なのか。高い破裂音が渉の耳に届く。これまでも、全国大会で活躍するジュニア選手を見る機会はあったが、こんな打球音を聞いたことはなかった。
「アウト!」
ボールが速くて追いかけられなかった太一が、手を上げてジャッジをすると、ケンジは悔しそうにまた天を仰(あお)ぐ。次のポイントもその次のポイントも、同じような展開のラリーが続く。渉は、2人のプレイに目を奪われ、その打球音に心を奪われた。2人の打球音をもっともっと聞いていたくて、少しでも長くラリーが続いてくれることを願っていた。どういうフォームで打てばあんな音がするのか? 後もう一回、後もう一回さっきの音が聞きたい。目でも耳でも楽しめる、テニスではなく、まるでショーを見ているようだった。
「時間だからラストね。終わったらすぐにボール拾ってコート整備してね」
ケンジのお母さんがそう声をかける。2人は無言で頷(うなず)いて最後のプレイに入った。リターンを構えるケンジが、左手の中でくるくるとラケットを回す。
「左利きか、器用そうだな。でも本当に楽しそうにプレイするな、あの子」
渉は呟(つぶや)く。自分はあんな楽しそうにプレイしていた自信がない。いつも苦しかった。
太一のサーブに、ケンジの身体がゴムボールのように反応し、また、シュパチン! と音がした。ミサイルのように飛び出したボールが、空中で左に曲がりながら伸びていく、太一は大きく足を開いてまるで氷上のように滑りながら返球する。滑りながら打ったにも関わらず、
ズドーン!
と重たい音がした。そのボールにケンジが、頭より高い打点でラケットを振り抜くと、また
シュパチン!
と破裂音が、渉の耳を刺激する。逆サイドに放たれたボールに、太一は走りながらタイミングを合わせると、ラケットを鋭く振り上げ、走ってきた勢いをボールに加えた、
ズドーン!
と大砲のような音がして、弾丸ライナーがケンジのコートに突き刺さる。
「えっ」
渉の口から、驚きが声に変換される。そのボールに豹(ひょう)のように飛びかかったケンジは、手首だけでガラ空きになったコートに打ち込んだ。
シュパチン!
3回目の渇いた破裂音。
「アウト!」
太一は、全く追いつけないそのボールを遠くから見送りながらジャッジした。
「あーっ!」
頭を抱え、ラケットを両足で挟(はさ)んで、ぴょんぴょんジャンプするケンジの表情は、ミスしたにも関わらず、鬼ごっこで捕まった時のように無邪気な笑顔だ。
「最後の1球、そんなに強く打たなくても俺戻れないのに」
少し呆(あき)れたように漏(も)らす太一に、
「でもそれじゃおもろないやん!シバいてシバいて、シバきまくらな!」
ケンジは、笑顔で答えていた。
「いくらシバけても、あんた1−6で負けてるじゃない。やっぱり太一くんのズドーン! っていう重いボールには勝てないわね。それより、さっさとボール拾いとコート整備しなさい、次の人が来るんだから」
お母さんは、ミスしても反省しないケンジに、少し怒ったようにそう言うと、ヒールの高い靴で歩きにくそうにコートを出て行く。テニスコートには合わない高級そうな深いオレンジ色のワンピースに、風が吹けば春の青空に気持ちよく飛んでいきそうな、円盤型の白い帽子をかぶっていた。
2人は、自分達の身体よりも大きい、整備用のブラシをコートにかけてる。太一は、使い終わったコートに感謝するかのように丁寧にブラシをかけながら、
「ケンちゃん、すきまだらけやん」
と小走りで、ムラを作りながらブラシがけするケンジに声をかける。
「へーのん、へーのん」
ケンジは、ブラシ片手に、ポケットからリボン状に包まれた飴を取り出して口に入れ、袋だけ歯の間から引っこ抜きながら、えーねん、えーねんと答えていた。
シュパチン!
ズドーン!
少しずつオレンジ色に照らされていくテニスコート。2人が整備しているのを見ながら、渉の耳は、こびりついて離れない先ほどの打球音を反芻(はんすう)している。左利きの子の乾いた破裂音には、何かを切り裂くキレの良さを感じ、もう一人のズドーン! という音には、重厚感と絶対的な安定感を感じた。あの2人、本当に小学生だよな。疑いたくなる。その時、
「シバくってなあに?」
背後から声がした。声がした方を見ると、渉の後ろに一人の男の子が立っている。コート整備をしている2人とは対照的に運動とは無縁そうな、色の白い少年だった。ケンジと同じくらい低い身長で、物干し竿に干されているかのように、身体が薄っぺらく見えた。おそらくさっきの2人のラリーを見ながら、ケンジのセリフを聞いていたのだろう。
「大阪の子じゃないの?」
渉が尋(たずね)ねると、
「うん、昨日転校して来た」
色白の少年は、そう答えた。優しい声だが、真面目で芯の強そうな口調だった。
「シバくってのはね、大阪弁で強く打ちつけるって感じかな。不良がさ、お前シバくぞ〜、みたいなね」
手のひらで頬(ほお)を叩くような仕草をしながら、渉が説明すると、少年は、なるほどという感じで2回頷(うなず)いた。
「俺もあんなにシバけたらなぁ」
ケンジの方を見ながらそう言うと、少年は壁打ちを始めた。
ぺしゃん
ぺしゃん
と頼りない音がした。ん? さっき遠くから聞こえてたのは、この打球音だったんだ。
「さっきの子達、天才なのかな」
渉は、シュパチン! やズドーン! と比べてついつい声に出してしまった。
「この子もね」
渉の足元から声がしたと思うと、初老の男性はまだ座って缶ビールを楽しんでいた。
「そうですよね。子供は誰でも、みんな天才ですよね」
相手をするのが面倒くさいので適当に言葉を合わせると、渉は足早におじいさんから離れて、自転車に跨(またが)った。あのぺしゃんっていう音も努力すれば、シュパチン! やズドーン! に変わるのかな。そう思いながら、家に向かって自転車を漕(こ)ぐ。
ぺしゃん
ぺしゃん
と、音は小さくなっていった。この後、ぺしゃんは渉の生徒になる。そして、シュパチン! は渉が最もムカつく男の生徒であることがわかり、ズドーン! は2人の最大の敵として君臨することになる。
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