【NewSchool受講生作品】マザージャーニー(佐藤可奈子)

2021/4/30
「学ぶ、創る、稼ぐ」をコンセプトとする「NewsPicks NewSchool」。
映画監督の大友啓史氏と編集者の佐渡島庸平氏がプロジェクトリーダーを務めた「ビジネスストーリーメイキング」では、半年間を通して22名の受講生が「ビジネスストーリー創り」に取り組んだ。
今回は、受講生である佐藤可奈子さんの作品「マザージャーニー」の一部を掲載する。

講師からのコメント

・大友啓史監督のコメント
凝縮された端正な文章と、そこに埋め込まれた感情の中に、キラキラと光るダイヤモンドダストのような“世界の素晴らしさ”が立ち昇ってくる。
生を慈しみ育む農村世界の優しさ、穏やかさと、ほんの些細なことが死へと繋がっていく純粋さゆえの危うさと。
母親の残した農業日記を追体験していく少女が生と死の垣根を一気に飛び越えていくその瞬間は、少女の母への追慕と見事な自然描写が相まって、とりわけ美しく感動的だ。
映像的にとても喚起される作品。この原作者の暮らす農村を一度訪ねてみたくなります。Netflixオリジナルドラマ『アンという名の少女』にハマった僕にとって、その世界観を彷彿とさせる、映像化への誘惑に充ちた作品ですね。
・佐渡島庸平さんのコメント
まず、文章にとても雰囲気がある。佐藤さんの文章の良さはたぐい稀なる才能。noteなどで書き続けていくことで、光が当たると思う。母を亡くして不登校ぎみになる小学4年の娘と、農場を営む父。
どちらも悪くないのにすれ違ってしまった娘と父が、母親が残したものを通じてヒリヒリしながら回復していく。そこには常に豊かな自然の描写があり、愛すべきこの家族をずっと感じていたくなる。
序盤にくる女の子が生理になり誰にも相談できないところなど、ディテールが光るシーンがたくさんある。それを生み出す力も描写力も素晴らしい。

マザージャーニー(あらすじ)

ーー生きるほど失い続ける世界で、もういないお母さんと旅をしたーー

母親を亡くした女の子が、母が残した農業日誌を頼りに、死と向き合い、苦しみや弱さを乗り越えようとする家族の物語。

なくしてしまったものに対して、自分の弱さとともにどう向き合っていくか?眩しく美しい自然の世界とともに、描く。

【ストーリー】主人公の双葉は10歳のとき、お母さんを亡くす。
嘘をついたお父さんと距離をとるようになる双葉は、どんどん荒れてゆく。
そして生理をきっかけに、世界から閉じてゆく。

そんなとき、ひょんなきっかけでお母さんの農業日誌を見つけ、双葉の旅が始まる。なぜお母さんは農業を始めたのか。本当に癌だったのか。あのとき、お母さんに何があったのか。

農業を通じて、命と向き合い、母を感じ、父と対峙し、変わろうとしてゆく双葉。

しかし、日記は急に白紙になる。そのとき双葉がとった行動は……

プロローグ

水の中を一歩、また一歩、踏み出すたびに、おたまじゃくしがワッと広がる。
水面はところどころでまばたきする。
その奥には、知らない生き物がたくさんいて、彼らが動くたびに、夏のサイダーのように若い泡がぶくぶく立ちのぼっていた。ピンと伸びた稲の苗を、柔らかな泥にぬっと差す。
苗から手をはなし、そうっと持ち上げた自分の短い指先から、水滴がきらめいて落ちた。
双葉、足元には宇宙があるのよとお母さんが言っていた。
「うちゅう?」小さな私が思い出の中でつぶやき、はっと顔を上げる。雲も木々も色も、十二歳の私もすべて、水面に逆さまに映り、揺れてはまた、元に戻った。
遠くでキジバトが鳴く。
桃色の光が山を乗り越えて、ふくらむ。朝が来る。
あの写真の場所は、ここだったのかな。
と、土色のかえるが、でっぷりとした腹ごと、びたんと田んぼに飛び込んだ。

第一章 旅のはじまり

「おかあさん、みて! きらきらしてるよ! おそらが、おちてきたよ」
4歳の娘が、窓ぎわで小さな手をひらひらさせる。
夜明け、ごみ出しに出たときは、白い空が、呼吸をぼたぼた落とすように、雪が降っていた。いつの間にか朝日がのぞき、光に照らされた雪原は、大地に落ちた宇宙のようにきらめいていた。
「ほんとだ……」
携帯のアラームが鳴った。
「ほら、急いで! 歯磨き!」
娘は私の膝に頭をあずけ、仰向けになった。小さな歯を、しゃこしゃこ磨く。
と、ふと顔をあげると、鏡の中に母がいた。
はっと息を呑む。
いや、それは私自身であった。髪をひとつにしばった、40目前の私だ。
「お母さん?」娘がまんまるな目で見上げた。
「おーい、出発するぞー」遠くから夫が呼ぶ。
「はーい、今行くー! さ、うがいしよう」
保育園へ行く夫と娘を見送り、農作業場に向かった。トラクターや管理機が並ぶ先で、お父さんとケンさんが米袋を運んでいた。
お父さんはもう70にもなるのに、背筋は伸び、細身だがしっかりしている。
「お父さん、ありがと!」
お父さんは右手を挙げた。
「ケンさん、おはようございます」
赤いつなぎ、頭にタオルを巻いたケンさんは「おう! 双葉社長! 今日も米出荷するよな?」と積み上がったコンテナに手をかけた。今年で還暦なのに、小麦色の肌がそう思わせるのか、相変わらず若々しい。
「そうですね、すぐ伝票出すので、先に段ボール組み立ててもらえれば」
「はいよ!」
それから駆け足で、別棟の食品加工所に向かった。
「おはようございまーす!」パートさんたちの元気な声が響いた。
敷地をぐるっとまわり、事務所に戻ってふうと一息ついた。
「なあ」
「わっ!」
急に後ろからケンさんが呼びかけ、体が跳ねた。
「なんですか!」
「今日父ちゃんと『こいけ』に寿司食いに行くって?」
「えっ、なんで知ってるんですか」
「さっき父ちゃんが言ってたよ。双葉が古希をお祝いしてくれるって」
「そんなこと、いちいち言わなくてもいいのに」
「嬉しそうでさ。でも双葉は陽子さんと同じ歳になって立派になったのに、その姿を自分だけが見れて申し訳ないってさ」
「そうなんだ……全然いいのに」
「父ちゃんの中には、ずっと陽子さんがいるんだな。俺も今日は嫁と飯食いに行くっかなー」とケンさんは、お米の出荷伝票をぴっと取って去っていった。
「陽子さん」とは私の母だ。私はお母さんが亡くなった歳に追いついてしまった。そして私はまだ生きている。
こんな私も、お母さんになった。
私は昔、死んでしまったお母さんと、旅をしたことがある。
欠けてしまったものを埋めることに、必死だった、私の旅。
今日は少しだけ、そのときのことを、思い出す。
※※
お母さんが、死んだ。
お父さんは「お母さんは、ちょっと体調を崩しただけ」と言っていたのに、じつは違った。
火そう場で聞いたから。
「癌だったそうで、早かったわね」
「若いから進行も早くて」
その時、体の底から熱くてどろどろした、小さな生き物が生まれてきた。
お父さんは、うそをついた。
お母さんは私をひとりぼっちにした。二人ともがにくい。
私を、「かわいそう」となぐさめてくる人たちもにくい。これをくつじょくてき、という感情だとあとから知った。
「双葉ちゃん、お母さんはずっとそばにいるからね」と親せきらしいおばさんが上のほうからしめった声をかけてきたが、見下されてるようで気持ち悪くて、ドンと突き返し走って逃げた。べっとりなすりつけられた言葉を落とすように、トイレで泣いた。
もう泣いてやるものか。
運命に対する、せんせんふこくをした。
そしてお父さんを、さけるようになった。
それから、私のからだは学校で暴れるようになった。
大きらいなのは、お父さんとお母さんと、かわいそうかわいそうと言ってくる人たちだけだったはずなのに、全部が大きらいになった。大きらいな気持ちは、私の中で人のかたちになって、その子はイスを投げ、机を倒し、私の心にびりびり触れてくる男子を、叩いてひっぱってちぎりにかかった。
「あのこ、変わったね」
ひとりぼっちになった私は、どんなことをやっても離れていかないものがほしかったのかもしれない。でもみんな、離れてく。
変わったのはみんななのに。私はかわいそうな子じゃないのに。
圧倒せねば。もっとかしこくて、強い女の子になろう。じゃないと、じっとりしたかわいそうの目も、ヒマ人の私への関心も、だまらすことはできない。
けれど、小六になったばかりの春、事件は起きた。
ぽたっと、床に真っ赤な血が落ちる。
ななめ後ろの席の男子が、ガタッと立ち上がった。
教室の毛穴がブワッと開くようにざわめく。
私のお尻は、生あたたかい沼に半分浸かっているようだった。
ほほが熱くなる。
はずかしくて立ち上がれない。
マリ先生が私のうでを引き上げると、イスは太もものかたちに血のあとがつき、ツンとしたにおいが広がった。
後ろから男子の声が聞こえた。
「ははっ、生理じゃね? きも」
私は、ろうかに赤い足あとを残しながら、走って逃げた。
マザージャーニー」の全文はこちらから購読可能です。
NewsPicks NewSchool」は、現在、第4期募集中です。