【NewSchool受講生作品】医者に問う!(草木一八)

2021/4/29
「学ぶ、創る、稼ぐ」をコンセプトとする「NewsPicks NewSchool」。
映画監督の大友啓史氏と編集者の佐渡島庸平氏がプロジェクトリーダーを務めた「ビジネスストーリーメイキング」では、半年間を通して22名の受講生が「ビジネスストーリー創り」に取り組んだ。
今回は、受講生である草木一八さんの作品「医者に問う!」の一部を掲載する。

講師からのコメント

・大友啓史監督のコメント
MR(医薬情報担当者)という職業からの目線を通して、主人公が医療そのものと向き合っていくビジネスストーリー。完成度が高いですね。
主人公とその家族、個性的な医師たちや同僚たちが、まるですぐ隣にいるかのようなリアリティをもって、活き活きと魅力的に描かれる。主人公、妻、高校生の娘がそれぞれの理由で子宮頸がんの当事者になっていく部分は、一歩間違えればご都合主義になるところを見事に1つのドラマに収斂し、読者を他人事ではない世界に巻き込んでいく。
職業ドラマは数あれど、この物語の視点は思った以上に新鮮に感じられ、それは間違いなく作者の筆力に依るものでしょう。
・佐渡島庸平さんのコメント
素晴らしい完成度。掲載したいという医療メディアが出てきそう。主人公のMRが、妻のガンをきっかけに、自分の仕事と医療の狭間で、仕事とはなんだろう? 医者ってなんだろう? と何かを獲得していく社会派人間ドラマ。
妻がガンと知ったときに多くの夫はオロオロするだろうが、主人公は違う向き合い方をしていく。いくつかのシーンで本気で泣きそうになった。力作!

医者に問う!(あらすじ)

MRは存在価値があるのか。
家族が病に侵されたとき、医師との関係はどうなるのか――

妻のがんをきっかけに自身の仕事を見つめ直し、また、治療する医師の姿を間近に見て、医師への思いが変わっていく主人公の姿を描くヒューマンドラマ。

~ストーリー~

製薬会社に勤務するMR流山ひかる(40)は、笑顔の仮面をつけて、情報提供先の医師たちと接している。

順調にMRとしてのステップを上っている時、妻が子宮頸がんを患ってしまう。顧客であった医師に、本当に妻を任せられるのか。

患者家族として、医師を信頼できるのか。

流山は葛藤する。

患者家族となり、医師との関係が変わる時、流山は子宮頸がんを予防するHPVワクチンの担当に――

妻の病気を治してもらうため、MRとして成功するため、流山は、全身全霊をかけて医師たちと向き合うことになるが……

第一章 仮面の男

医者をほんとうに信頼することができないのに、しかも医者なしではやって行けないところに人間の大きな悩みがあります

———ゲーテ
午後12時40分。藤野西総合病院の駐車場の車の数はまばらだった。マーリーク製薬の流山光(ながれやま ひかる)は、営業車の中で表紙が黒いシンプルなノートを見ている。
ドクターズメモ764
氏名:土岐田 亮(ときた りょう)
所属:藤野西総合病院 婦人科
大学:金沢北陸大学医学部 2000年卒
専門:産科・婦人科
仕事:可もなく不可もなくの印象
性格:お調子者。おだてられると弱い
趣味:クラブ遊び
備考:基本はまじめ。こちらの意図は組んでくれやすい。忘れやすい。英語ができない。なんの決定権もない。人畜無害な医者
ふうと息を吐き、流山はノートを閉じて、鞄の奥に突っ込んだ。次に、スマートフォンを取り出し、カメラを自撮りモードで起動させる。40になって髪も薄くなり、自分の顔を見てげんなりするが、髭の剃り残しとネクタイのゆがみを確認した。問題はない。マーリーク製薬 流山と書かれた名札を取り出し、左胸のポケットに付ける。
流山は、営業車から降りて、病院の入り口に向かった。
製薬会社の営業、MR。正確には、医薬情報担当者。医師に自社の薬の情報を提供する仕事だ。二月の寒空の下、流山はコートを着ていない。医師との面会時、置く場所に困るコートを持ち込むことはMRのご法度だ。
駐車場から病院に続く小道に、立派な梅林が植栽されている。いまはまだ、つぼみが少し膨らんだ程度だが、毎年、冬の終わりに美しい花を咲かせていた。流山は、見向きもせず、大股で歩いていく。
歴史ある藤野西総合病院は三年前に建て直されて白い壁が映えている。顔なじみの受付に満面の笑みで挨拶をして、どんどん病院の中を進み、診療室待合に向かった。午前の診療受付は、十一時三十分まで。もう、待合に患者はいない。診療室のスライド式のドアが開き、中年の女性が出てきた。
「先生、ありがとうございました」という言葉とともに頭を下げる。
「はい。お大事にしてくださいねぇ」と診療室の奥から甲高い声。
流山は、奥から自分が見えるように立った。中にいる医師が流山に気が付き、
「相変わらず、タイミングがいいねぇ、どうぞ入って」
「ありがとうございます」と言いながら、流山はひと際口角を上げた。
医師の名札には、土岐田とある。
流山は、鞄からクリアファイルを出しながら部屋に入った。
「今日はなんだっけ」
「土岐田先生ぇ。今日は、以前知りたいと仰ってた米国糖尿病学会の最新トピックを翻訳してお持ちしたんですよ」
「ああ、そうだった」
流山は、絶対に覚えてなかったな、と心の中で毒づきながら、クリアファイルから資料を渡す。
「超速効型マーリーインスリンの妊娠糖尿病についてのデータだよね」
「そうですぅ」
「英語が得意じゃないから助かるよ、こういうの」
英語ができないのに、どうやって医学部に入ったんだよと心では思いながらも流山は笑顔を崩さない。
「弊社の薬の最新情報なんで、当然ですよ」
「ああ、さっきの患者さん、御社の薬を使ってくれているよ」
「本当ですか? いつもありがとうございます!」
「症状は安定しているし、体調も良いみたいだよ」
「ありがたいです。良い症例になるといいですねぇ」
「ちょっと様子を見るようにしておくよ。今日は、これだけだっけ?」
「あぁ~、すいません。先日お願いした、学会の講演会で発表していただけるとのことなので、こちらの書類にサインを……」
「あー、そうだったね。初めての講演だから緊張するなぁ」
流山は書類とボールペンを手際よく土岐田の前に置いた。
土岐田は流山が出した書類を見る。
「講演会の謝礼、五万円ね。堀川先生だと十万?」
「そうですね。部長なんで、教授扱いになるかと」
「そうだよねぇ」
「はい。先生もいずれ」と流山は笑顔を強調する。
「講演会の内容だけど、うちの病院の症例紹介でいいんだよね?」
「はい! あと、さっき渡した妊娠糖尿病のデータについても触れていただけると……」
「了解、了解。でも講演で使うスライド作るの時間がないなぁ」
「先生、もちろん、こちらで用意しますよぉ」
「じゃあ、今回は頼むね」
今回だけじゃないだろ、いつもありがとうございますと言えないものか? 流山はそんな風に思ったことは、全く顔には出さず、笑顔で「承知致しました」と答えた。
「今度、アメリカの学会でも講演会したいねぇ」
英語できないのに?
自分でスライドも作らないくせに?
「そうですよねぇ。本社のマーケティングの人間にも言っておきますよ。先生をアメリカでどうかって」
「ま、ま、英語できないからね。冗談だよ。冗談」
冗談は顔だけにしろよ、お前はもう先細りの客なんだよ、と言ってはいけない。流山は笑顔で挨拶をして部屋を出た。
医師は、午前と午後の診療の間の短い時間で、食事をしたり、MRと面会をしたり、雑務をこなしたりと忙しい。患者がいなくなった病院の廊下を医者や看護師たちが速足に歩いている。流山は病院の入り口に戻りながら、各科の前を通っていく。コンビニの袋を持って小走りの看護師。スーツを着ているのは大体が製薬会社の人間だ。薬の情報提供などと、かっこいい感じにしているが所詮は売り子。ノルマを背負っていて、薬を売ってなんぼの仕事だ。効果も安全性も大して差がない薬の場合、結局は医者の好き嫌いで薬の採用不採用は決まる。俺たちMRは、売り子なのだ。
さて、そろそろ車に置いてある愛妻弁当を食べないと、また食いそびれる。長居は無用だ。そう思いつつも、食堂、売店、自販機の前を通ることは癖になっている。医者が一息ついているところは話をしやすいから狙い目だ。
今日は誰もいないな。最後に、梅林の端にある喫煙スペースに顔を出すことにした。病院からも駐車場からも死角になるこの場所は、医者と製薬会社の人間がいることが多い。
灰皿の傍に、背の低い太った男の後ろ姿が見える。白衣を着てないので、一瞬、同業かと思ったが違った。男は、流山の気配に気が付いた。
「ああ、あなた」とねちっこい声を流山に投げかける。
「はい」
「マーリークの人ですよね」と言って、持っているタバコを深く吸い込んだ。
「あ、袴田先生、こんにちは」口角をしっかりと上げて返答する。
そして、フル回転で、頭の中の黒ノートをめくる。
ドクターズメモ618
氏名:袴田 義孝(はかまだ よしたか)
所属:藤野西大学医学部 准教授 兼 藤野西総合病院 婦人科・内科
大学:東京東医科大学医学部 2000年卒
専門:婦人科
仕事:堅物。融通が利かない。気になることがあれば、すぐに調べてくれと言うメールやネットでの情報は見づらいので、全て紙で持って来いと指示を出す担当になったMRは、皆ついていけずに担当替えにあっている
性格:探求心旺盛。妥協を許さない
趣味:不明。そもそも仕事以外の趣味があるのか?
備考:一年後に定年の婦人科統括部長の堀川と折り合いが悪い。野心はあるのか?
袴田は、ゆっくりと煙を吐き、タバコの火を消す。
「あなたのところの会社の山田さんが今日、来なかったんですけど、どうなっています?」
「え、はい。あ! 今日、突然体調を崩したようです」
「連絡がないですね」
「申し訳ございません。今日はどういったご用件でしたでしょうか」
「トリプラーの海外での使用状況の最新版を持ってくるって言ってたんですよ。あと文献もいくつか」
「お詫び申し上げます」
「子宮頸がんのHPVワクチン、力入れるんじゃないんですか? 山田さん、何をやってるんでしょう? 子宮頸がんについても全然勉強もしてないし、論文も全然読んでいないんですよね、彼」
長くなりそうだな。山田のやつ、逃げたか……。袴田先生は、ねちっこいと聞いている。
流山は、眉を八の字に、口角は限界まで上げて、
「本当に申し訳ございません」
「がんを予防できるんでしょう? しっかり使っていくべき薬だと思いますがねぇ。四つ星製薬のディフェンドスターの方がしっかりやってくれていますよ。ビジネス優先で、患者さんのためにって意識がないんじゃないんですか」
「先生、そんなことないです。患者さんのために、を掲げて我々マーリークは動いています。HPVワクチンは、患者さんのためにも弊社のトリプラーも選択肢として、どうぞよろしくお願い致します。資料については、すぐに確認してお持ちします。本日は、ずっと病院にいらっしゃいますか?」
「いますけど、忙しいから、医局の誰かに渡しておいてください。こっちは昼飯食べる時間もないんですよ。時間空けて待っていたのに、来ないってどういうことなんでしょう」
「申し訳ございません」
「僕はね、無駄が一番嫌いなんです、無駄が」
「はい」
「この梅もそう。堀川先生が提案して作らせたらしいけど、無駄なものに金かけるんじゃないって思うんですよ、まったく」
それは、俺は関係ない。そもそも山田のことも俺は関係ないと思いつつも流山は頭を下げた。
「とにかく、頼みますよ」
なんだ、山田、どうしたんだ。面会すっぽかしは、出入り禁止になる。流山は、歩きながら、スマートフォンを取り出して、山田の電話番号を調べる。駐車場に向かうため、梅林を迂回するように、一度病院玄関前を通る。その玄関に、黒のハイヤーが止まっていた。
流山はしまったと思った。
いつもは、朝の八時ピッタリに出勤するはずだ。出張帰りか? 大学で会議でもあったのか。そんなことを考えているうちに、運転手が車から出てきた。運転手は走って運転席の反対側に回り込み、後部座席のドアを開ける。仕立ての良いスーツを着た白髪の男がゆっくりと車から降りてくる。医者のくせにワイシャツはいつも黒だ。流山は姿勢を正し、顔に笑みを貼りつけた。
「いつもお世話になっております。マーリーク製薬です」
「……」眉間に皺を寄せる男は、堀川好文だ。堀川は、ぎらついた目で流山を見る。
昼過ぎにハイヤーで来るなんて、重役出勤かよ。そう、こいつは重役だった。
ドクターズメモ1
氏名:堀川 好文(ほりかわ よしふみ)
所属:藤野西大学医学部 主任教授 兼 藤野西総合病院 婦人科統括部長
大学:札幌中央大学医学部 1986年卒
専門:産科・婦人科 仕事:近隣エリアにおける婦人科の権威。藤野西総合病院の婦人科の創設者
性格:自己顕示欲が強い 趣味:学会出張がてらの史跡巡り。和歌、漢詩
備考:堀川の一存で病院で使用する薬が決められる。製薬会社は取り入ろうと必死。かつら疑惑あり。自分と同じ、山月高校出身
「おう。高卒MRじゃないか。今日も精が出るのぉ」
「ありがとうございます!」
「いまのご時世、あんまり病院内をうろちょろするんじゃないぞ」
「わかっております! ちゃんと面会予約を取ってお伺いしています」
「MRがわざわざ来なくても、ネットやメールでなんとかなるだろう」
「はい! 直接、説明して欲しいと言われた場合のみ、お伺いしています」
「俺はたったいま、学会から戻って、そのまま診察だっていうのにお前は暇そうだな」
「先生はいつも多忙ですから、先生と比べるとそれはもう……」
学会なんて医者たちの遠足みたいなもんだろ。
「高卒は、出入り禁止にしてやろうか」と堀川は笑う。
「先生、ご容赦くださいぃ。すでに、MRはそのうちなくなる仕事、なんて言われているんですから」
「冗談だよ、冗談。でも、MRがいらなくなったら、お前なんかは大変だな。いまより給料のいい仕事なんてなかなかないだろう」
「先生には感謝しています」
「そこの、見たか?」
「は?」
「梅だよ、梅。あと十日もすれば満開だぞ」
堀川は梅林に目線を向けた。
「ああ! はい。それはもう毎年楽しみにしています!」
「学がないから、梅の良さなんぞ、わからんか」
そう言い放ち、堀川は病院内に消えた。
まだ、流山の顔は笑顔のままだ。
学歴、学閥、くだらない。
高卒だから出入り禁止? くだらない。だが実際に、髭の剃り残しで出禁、ネクタイがゆがんでいたから出禁、そう言われた同僚を見てきている。俺たちMRは、なんなんだ。
俺たちの仕事は求められているのか。ただの小間使いなのか。
俺は医者が嫌いだ。
不愉快な気分のまま、流山は車に乗り込んだ。堀川に会った時点で今日は厄日決定だ。バックミラーに映っている苦笑した自分の顔と目があった瞬間に、スマートフォンが振動した。妻と娘がピースする画面の上に「なっちゃん ママ」と文字が表示されている。妻の夏香からの電話だった。
「ごめんね。仕事中だよね」
「どうした?」
「今日、また病院行ってきたの」
「うん」
「私、がんなんだって。子宮頸がん」
流山の顔に貼りついていた笑みが消えた。
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