【髙瀬敦也】コンテンツとは何か。プロデュースとは何か

2021/4/27
プロジェクト型スクール「NewsPicks NewSchool」では、2021年5月から「コンテンツ」について徹底的に学び、ディスカッションするプロジェクト「コンテンツプロデュース ~この世に何かを遺すために〜」を開講します。
プロジェクトリーダーを務めるのは、『逃走中』『Numer0n』といったヒット番組を生み出し、独立後も様々な企画や商品開発に携わるなど、多方面で活躍するコンテンツプロデューサーの髙瀬敦也氏です。
開講に先立ち、NewSchoolではオンライン説明会を開催。その内容をハイライトしてお伝えします。

自分で考えたものを作りたい

皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。
NewSchoolの「コンテンツプロデュース」プロジェクトを開催させていただくことになりました、髙瀬敦也と申します。
私は現在、株式会社ジェネレートワンという会社を起業して代表を務めていますが、かつてはフジテレビで、長い間サラリーマンとして働いていました。
なので、サラリーマンの良し悪しだったり、「独立したい」と思う方の気持ちもわかっているつもりです。
フジテレビ時代は『逃走中』という、限られたエリアの中でハンターから逃げた時間に応じて賞金を獲得できるゲームをはじめ、多くの番組に携わってきました。
ただ、私としては番組自体を作ることよりも、番組のゲーム化やアプリ化などマネタイズをしていくことを好んでいました。
テレビ局は持ち込み企画が実は多かったりしますが、私自身わがまま性格なのか、自分の考えたものを作っていきたいタイプでした。
ほかにはアニメも多くプロデュースしてまして、深夜アニメ枠の『ノイタミナ』というブランドを先輩とともに立ち上げたり、音楽好きが高じてイベントも開催しました。
現在、音声メディアが流行ってますが、フジテレビ在職中に、こっそり音声メディアの会社を創業して資金調達して開発、サービスローンチしたりもしてました。
起業後は、動画コンテンツ制作のほかに、『二択歩行』等、マンガの原作・脚本・制作をはじめたり、Tシャツのブランドを立ち上げたりもしました。ほかにも、オンラインオーダーメイドの家具事業をやっていたり、アイドルプロデュースなども手掛けています。
最近はPR領域の相談を受けることが多く、SNSを駆使したプロモーション企画のお仕事も多いです。伯方塩業の『二代目声優オーディション』は全放送局のワイドショーで大きく取り上げていただきました。
新商品開発の仕事も多くて、たとえば渡辺酒造店という老舗酒蔵でプロデュースした『騨飛龍』は、1日で約13万リツイートされる盛り上がりもみせました。
ほかには、大手通信会社の新規事業に関わったり、グノシーさん、サイバーエージェントさんの「おもしろ企画センター」など15社ほどで顧問やアドバイザーなどをさせてもらっています。
最近ではレオス・キャピタルワークスさんと『お金のまなびば!』というYouTubeチャンネルをプロデュースしていて、2か月でチャンネル登録5万人を超えました。
また、これらとはまったく別で、『POST URBAN』というソフトウェア開発会社を創業し、アプリやウェブサービスの制作をしています。

この世に何か遺さなければいけない

そんな片っ端から手を出している私が、今回プロジェクトを開催する一番の動機は、中年になったことで「この世に何か遺さなければいけない」と考えるようになったからです。
真面目な話になってしまいますが、単純な社会貢献という意味合いや、自分自身の生きた証を遺したいからと言えるかも知れません。少なくとも「この世にいる意味がわからなければ、とりあえず次世代に何か遺さないといけないのでは」と考えています。
実は、同じような思いを抱いている方は職業問わず多いのではないでしょうか。
ただ、何か形にするためには一定のノウハウが必要になります。私は幸いにして、これまでものを作る仕事に携わってこられました。それならば、ノウハウを提供すること自体、私が遺せるものになるのではないか、という考えです。
「金を残して死ぬのは下だ。 事業を残して死ぬのは中だ。 人を残して死ぬのが上だ」という言葉もあります。
私としては、そこまで偉そうに言うつもりはありません。ただ、参加者にとって得るものがあり、そして形として世に遺していけるのであれば、多少なりとも私が生きてきた意味もあるだろうと考えます。
「コンテンツ」や「プロデューサー」は、よく話題に上がる言葉です。ところが、それらが一体何なのかは、実はあまり知られていません。
私としては、「世の中のものはすべて『コンテンツ』」という考え。厳密に言えば、「すべてが『コンテンツ』になる可能性がある」と思っています。言葉遊びのように聞こえるかも知れませんが、コンテンツ化すればコンテンツになるという意味です。
その「コンテンツ化」とは何かと言えば、“どこから見るか”“誰から見るか”を“狭める”ことになります。
たとえば、世界の中に日本があり、東京がある。さらに狭めれば原宿があります。ただ、東京や原宿に住んでいる人々からすれば、その事実に大きな意味を持ちません。
ところが、海外から見ると、“日本の原宿”となれば一気に街自体がコンテンツになります。この感覚は、私たちが“ナポリのピザ”というだけで美味しそうに感じるのと同じです。ほかにも、外国人から見た日本の女子高生も十分コンテンツになり得ます。
写真:istock.com/SeanPavonePhoto
両者に共通するのは、当事者にはコンテンツ化の可能性に気付きにくい点。そこで情報を“狭める”ことによって、受け手に自分に関連するイメージを明確にさせられます。
テレビで言えば、75歳以上の高齢者がテレビを見ようとしたとき、『お金のこと丸わかりスペシャル』というより、『聞きづらい75歳を超えたあなたへ年金解説スペシャル』と具体的に狭めた方が、「オレ、年金対象者だから見てみようかな」と受け取ってもらえるものです。つまり、コンテンツ化はマッチングとも言い換えられます。
もう一つの「プロデューサー」については、秋元康さんのようなイメージを抱きがちだと思います。ただ、プロデュースという言葉はラテン語が語源の造語で、「先へ導く」という意味です。
誰かが頭で思い描いた映像をチームで共有して具現化に導くことこそが、プロデューサーの仕事だと定義しています。実態としては、プロデューサーの業務は予算管理や労務管理の場合は多いですが、本来は管理者ではなく、経営者に近い業種と言えます。

アイデアより突破力が重要

実際にコンテンツを作るにあたって、知っておくべきことは数多くあります。次にそのいくつかを紹介します。
まず、世の中には「アイデアがあり、実行する人」、「アイデアがあり、実行しない人」「アイデアなくて、実行もしない人」では、どのタイプが多いでしょうか。
一般的には「アイデアがなくて、実行もしない人」が多いと思われがちです。ところが、世の中の大多数は「アイデアがあり、実行しない人」になります。
テレビ番組でも、映画でも、新商品でも、何かヒットしたコンテンツが出てきたとき、必ず「オレも同じことを考えていた」という人が現れます。しかし、彼らは「アイデアがあり、実行しない人」。だからこそ、実行すれば希少性の高い人材になれます。
私もよく、「そんなアイデアどうやって思いつくんですか」と聞かれますが、これまでコンテンツに関わってきて、結局のところアイデア自体は大したことないと考えるようになりました。現実として、アイデアを思いつくよりも実行する突破力の方が重要と言えます。
アイデアを実行するには、上司を説得しなければいけなかったり、場合によっては足を引っ張られたり、やっかみを受けたりと多くの障壁があります。すべてを突破していく実行力にこそ大きな価値があります。
次にご紹介したいのは「制約があってこそコンテンツ」だというお話です。制約とは時間、予算、サイズの3つに集約されます。
時間は完成までに費やせる時間。予算はおカネのこと。サイズは動画であれば尺、製品であれば大きさといった要素です。
この3つは、「もうちょっと時間があれば」「あと30万円予算くれれば」という、言い訳に使われがちです。しかし本当は、制約はネガティブなものではなく、制約こそコンテンツを生み出すのに必要な要素です。
献立に悩む主婦が冷蔵庫を開けて、じゃがいもと人参と玉ねぎがあったから「カレーライスにしよう」と思いつくいう思考に似ています。映画『カメラを止めるな!』をはじめとした名作で、低予算だからこそ生まれた作品が数多くあります。
『キューブ』『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『ソウ』といった映画も、低予算だからこそ練られたワンシチュエーションで撮影されました。
映画やドラマにとどまらず、テレビCMも制約があるなかで作られています。CMの尺が15秒や30秒ではなく、何十時間となれば、もはやCMとは呼べないのではないでしょうか。
俳句や川柳も五・七・五の定型や季語といった制約がありますが、だからこそカルチャーとして広まったのかも知れません。
時間に関しても、締め切りがなければいくらでも修正可能なため際限がなくなります。そう考えると、締め切りがあるからこそ作品が完成するとも言えます。
制約自体は、アイデアの種にもなり、完成させるための救いにもなっています。一方、芸術家であれば時間もサイズも自由に決められ、パトロンがいるのであれば予算も潤沢に使えます。そういった制限がない状況でのクリエイティブは、コンテンツではなく芸術と言えそうです。

コンテンツがコンテンツを生む

続きまして、「コンテンツがコンテンツを生む」ということについてお話します。
ゼロイチという言葉もありますが、個人的にはゼロイチはないという立場です。
誰もがマンガを読んだり、映画やアニメを観てきているはずで、アウトプットもゼロイチではなく、何かしらの影響を受けて生まれています。一方、これはコンテンツを実際に生み出したとき、ほかの人では同じものを絶対に作れないという意味でもあります。
なぜならば、人が作っている以上、その人が生まれてから今に至るまでの膨大なインプットによって生み出されているから。作り手が違えば、良くも悪くも必ず同じものは生まれないものです。
このインプットに対する考えは、プロデューサーの立場でも重要になってきます。誰かの頭の中で生まれたイメージの具現化をコンテンツ化とするならば、チームでのイメージ共有は不可欠です。そして、そのイメージ共有のときに必要となる共通言語が、膨大な過去作品になります。
例えば『タッチ』のような三角関係、『スターウォーズ』のような親子関係、『ドラゴンクエスト』の塔で鍵を探す構造などをイメージとして挙げたとき、知っている人であれば頭の中を共有できます。ところが、それらのコンテンツに触れていなかった場合は、イメージの共有が難しくなります。
コンテンツプロデュースにおける共通言語は、ヒット作と言えます。そのため、「どうコンテンツを作るか」と質問されたときは、方法論は人それぞれということもあり、「とりあえずヒットコンテンツだけは一通り目を通しといた方がいい」と答えるようにしています。
※後編に続く
(構成:小谷紘友、写真:遠藤素子、デザイン:九喜洋介)
「NewsPicks NewSchool」では、2021年5月から「コンテンツプロデュース ~この世に何かを遺すために〜」を開講します。詳細はこちらをご確認ください。