過剰な叱責・しつけ「エデュハラ」に法規制を 加害者に自覚なく子どもは抵抗できず
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どうして "XXハラ"という言葉を生み出さないと社会での重要性が認識されづらいのかに疑問を感じてしまう記事ですね。
イタリアのレッジョエミリア で幼稚園を訪れたときは、「子どもの人権」という言葉がイタリア語でカッコよく看板として園の前に飾られていて、幼稚園の先生もなぜそれが大切なのかを力説しながら、コミュニティとして子どもを育てる重要性について話されていました。
イジメ問題もそうですが、被害者が相当数でて始めて動くという状況自体、子どもへの人権意識の低さが目立つと思います。先生や保護者だけでなく、社会全体で子どもの人権について考えるきっかけがもっと必要だと思います。うーん。結局どこまでかという話ですよね。
虐待はもちろんよくないですが、
精神的虐待が、例えば私が過去に通ってた保育園では悪いことしたら真っ暗のトイレに閉じ込められるというのがありました。
きっと今だったら完全アウトでしょうけど、当時は本当にそれが怖くていい子にするというのはありましたし、
最近だとスタバにいたらいかにもな教育ママと幼稚園のお受験を控えている子供がきて
「なんで右も左もわからないの!バカなの?!」と大声で叱っていて、可哀想だなと思ったしそこにいたほとんどの人がおそらく不快な想いをしていましたが
エデュハラなるものになるのかどうか…。児童虐待、マルトリーメント、エデュハラの違いがあるのかないのか、あったとして区別が必要なのか、誰か整理してくれ。建設的な議論のためには認識共有や用語統一が要る。