2021/3/25

【御立尚資】カナダに学ぶ。技術・ビジネス・人材が集まる都市の条件

NewsPicks Brand Design / Chief Editor
 ひとつのイノベーションがコミュニティを育み、産業や研究機関を巻き込んだエコシステムが形成される。狙ってできることではないけれど、その芽があるかないかを見極めることはできるかもしれない。
 大国アメリカの隣で生まれた、カナダ特有のオルタナティブなビジネス・スタートアップ環境について、グローバルビジネスを見てきたボストン コンサルティング グループ(BCG)シニア・アドバイザーの御立尚資氏が読み解く。
INDEX
  • 大自然×交通の結節点×AI
  • 「グローバル≠スケール」の時代
  • 引き抜かれることも悪くない

大自然×交通の結節点×AI

── 御立さんは、カナダにどんなイメージを持っていますか。
 私のカナダの印象は、これまでに大きく3回変わっています。
 最初に訪れたのは1972年。高校1年生の時、シアトルへ向かう経由地としてバンクーバーに立ち寄りました。大都会なのに街中にも自然が多く、雄大な山や海の景色がカナダの印象として刷り込まれています。
 それに、街ゆく人たちが多国籍でしたね。日本からの移民の方もたくさんいて、アジアに近いところなんだと感じました。
── 印象が変わったのはいつですか。
 BCGに入社した1990年代です。JALでメキシコに駐在していた頃もバンクーバー経由で日本と行き来することが多かったのですが、BCGではトロントでの仕事が増えました。
 その時期にあらためて、カナダが北米、ヨーロッパ、アジアを結ぶ世界の主要都市の結節点になっていることを実感しました。
写真: iStock / Harvepino
── 1990年代のトロントは、すでにグローバルビジネスの拠点だったんでしょうか。
 トロントはアメリカとの国境である五大湖に面していて、ニューヨークやシカゴのすぐ北にあります。その立地に加えて都市圏の人口が約600万人もいるんです。
 国土が狭く人口密度が高い日本では驚かれないかもしれませんが、これほどの人口規模を持つ都市は、欧米では珍しい。各都市からの直行便も多く、グローバルな会議をするのにとても適しています。
 そうやって見渡すと、カナダにはトロント以外にもバンクーバー、モントリオールなど、国際的な都市が多いんです。
── なるほど。それが世界の交通の結節点ということですね。3度目の変化は?
 今では知られていますが、「AI大国としてのカナダ」です。
 私はBCGで現役だった2016年から、日本とシリコンバレーを結ぶ「シリコンバレー・ジャパン・プラットフォーム」というNPOの役員になり、現在もその活動を続けています。
 就任当初に驚いたのが、シリコンバレーのAI関連事業のリーダー層にカナダ人が多いこと。MITでもスタンフォード大学でもなく、トロント大学のジェフリー・ヒントン教授の研究室出身者が先端のAI研究をリードしていたんです。
 今ではディープラーニングは様々なツールやサービスに搭載され、カナダはAI関連の研究開発の一大集積地になっています。
写真:iStock / R.M. Nunes
── 大自然、交通の要衝、テクノロジー。時代によってカナダのいろいろな顔が見えてきますね。
 おもしろいのは、この3つすべてが、現在もカナダの特徴として残っていることです。
 トロントは、金融都市であり、物流拠点であり、今ではハイテクスタートアップの開発拠点です。でも、人工的な大都市であるだけでなく、周辺には今も広大な自然があります。
 こういった自然環境と文化やビジネスが共存している都市には、人を引きつける求心力があります。
── リモートワークが普及した今は、住環境を重視して自然のある街に移住する人も増えているそうです。
 コロナ禍によって、その傾向が強まりましたよね。個人的には、これからはケベック州のモントリオールがおもしろいと思います。
 セントローレンス川に面し、自然に恵まれている。植民地時代のフランスの影響もありながら、ローカルに根付いた食文化を大切にしている街です。
 カナダのほかの都市にも言えることですが、アメリカとフランス、文明と自然、移民とネイティブなど、マルチレイシャルでマルチカルチュアルな混ざり合いがあって、ほどよくローカル、つまり「周辺的」なんです。
 ユニークなイノベーションは、こういう場所から起こります。
写真:iStock /  DanyMerc

「グローバル≠スケール」の時代

── カナダはAIのイノベーションに成功し、その技術によって世界が変わりました。日本企業はここから何を学べるでしょうか。
 前提として、私は「日本企業」と括る時代はもう終わったと考えています。
 欧米型の経営とは異なるモデルとして「日本的経営」といわれたわけですが、当時から、成功した企業は独自のモデルでイノベーションを起こしてきたと思うんですよね。
※終身雇用や年功序列などに見られる日本独自の経営様式
 それに、いわゆる日本的経営が注目された時代は、工業製品を大量生産してコストを下げるというシンプルなゲームが前提でした。その頃はひとつの価値観で均一なものをつくることがよしとされましたが、今はそういう時代ではありません。
── ええ。ビジネスにおいても多様性が重視されています。
 多様性とビジネスの合理性を両立させるヒントが、「ローカル」にあります。
 たとえば近年、世界中でクラフトビールが流行していますよね。醸造家や愛好家たちが世界規模でつながっていて、気候や風土を含めた地域固有の「地ビール」を楽しんでいます。
 クラフトビール自体は地場産業ですが、世界中の愛好家がネットを介して情報交換し、そのコミュニティから新しいプロダクトが生まれたり、技術革新が起こったりする。
 これは、愛好家たちが、ローカルな材料を使ってその地に行かないと味わえないような商品に価値を感じているから可能になっていることです。だから、醸造家も同業他社と競合せず、技術や知見を交換できるんです。
写真:iStock / Oleg Charykov
── 他社との勝ち負けよりも、クラフトビールの愛好家を世界規模で増やすことのほうがメリットが大きいから?
 そう。醸造家自身が愛好家でもあるので、健全なコミュニティが成り立つんです。
 これはひとつの例ですが、同じような価値観が様々なビジネス領域で広がっていると思いませんか。
── そうですね。D2Cブランドが増えていますし、その商圏を世界に広げられるプラットフォームも出てきている。デジタルプロダクトでも、UI/UXを考えるうえでユーザー視点に立つことが欠かせません。
 もちろん、世の中にはスケールメリットを活かしたコストパフォーマンスのよい物やサービスを求める流れもある。それもひとつの価値ですし、なくなることはありません。
 ただ一方で、その価値観だけでは自分のライフスタイルにマッチせず、満足できないことも増えています。そういった消費の多様化を踏まえて、ライフスタイルやワークスタイルを新しくするようなビジネスには、可能性が満ちていると感じます。
 今後、そういったオルタナティブから、グローバルな広がりを持つビジネスに成長していくケースは増えるでしょう。
 それも、シェア争いで世界トップ3の企業しか勝ち残れないような従来の形ではなく、ライフスタイルとデジタルテクノロジーをかけ合わせて、一人ひとりがより多様な価値を楽しむようなビジネスです。
 そういうビジネスは、アメリカや中国のような超大国よりも、その隣で異なる風土や文化を持つ日本やカナダの企業に向いているんじゃないでしょうか。
── ライフとテックのかけ合わせは、あらゆる領域に及びます。御立さんは、どんなビジネスに可能性があると思いますか。
 コミュニケーションや物の売買もデジタルで変わりますし、地球環境やライフサイエンス、ヘルスケアなどのサステイナビリティ領域には、テクノロジーで解決しなければならない世界共通の課題がたくさんあります。
 既存産業でも、日本の素材産業や自動車メーカーなどの組み立て加工業がカナダのAI人材と協業すれば、この先のグローバル社会を変えるようなイノベーションが起こるかもしれない。
 世界中で多くの企業がそういった研究開発に取り組んでいますが、人材の多様性、自然に囲まれた労働環境、先端のAI技術を備えたカナダは、事業開発の場としてユニークだと思います。
写真:iStock / Aolin Chen
 かつてのテクノロジービジネスがシリコンバレーから生まれたのは、あの土地が半導体研究の先端であり、投資家や産業を含めたエコシステムが形成されたからです。
 スタンフォード大学の研究者が半導体研究を発展させ、OBが次々にスタートアップを起業して成功者を輩出した。そうなると、そのコミュニティのなかで「あの人は信用できるから」とお金を回す仕組みが育まれていきます。
── 日本からもたくさんのVCや企業の事業開発部門がシリコンバレーに人を送りました。
 そう、先端の情報や人材が集まる場所だったからです。やはり根本的なテクノロジーを生み出した土地は強い。これに近いことが、トロントのAI分野でも起こったのでしょう。
 ただし、テクノロジー企業の資金力では、アメリカには到底敵わなかった。何が起こったかというと、AIのディープラーニングで革新的な技術を生み出したヒントン教授たちに師事していたトロント大学周辺のAI研究者は、シリコンバレーに高額な報酬で引き抜かれたんですよね。
 これがまた、おもしろいところです。

引き抜かれることも悪くない

── カナダのAI研究者は、アメリカのプラットフォーマーにヘッドハントされた。これはシリコンバレーのようなエコシステムをつくれなかったということですか。
 いえ、私はこれこそが、カナダのエコシステムの特徴だと捉えています。
 日本からはあまり見えていませんでしたが、AIがあらゆるビジネスを塗り替えていった2010年代以降、トロントのAI研究者はアメリカをはじめ世界中に散らばっていったんです。
 しかし、人材が流出する一方ではなかった。先端の研究者を世界に送り出すことによってトロントのコミュニティのプレゼンスが高まり、世界から人材や企業が集まってくるという双方向の流れが生まれました。
── おもしろい。輩出されたAI人材が、トロントがAI研究の先端であると知らしめたんですか。
 そのとおりです。私がそのことに気づいたのは、実はこれと似た仕組みが昔の日本にあったからなんです。
 江戸時代の日本の中心は東京(江戸)でしたが、ほかにもいくつか、文明程度や教育水準が非常に高い地方都市が生まれています。必ずしも一極集中していたわけではないんです。
 当時は各地方に「藩校」という官僚養成機構があった。各地の藩が優秀な人材を集めて教育し、そのなかから家老に取り立てていく仕組みがあったんです。
── 地方の未来を背負う人材をローカルで育てていたんですね。
 ええ。ただ、教育を受けた全員が高級官僚になれるわけではないので、あぶれた人材はその周辺で、豪農や商人、下級武士に教える「漢学塾」をつくる。そこからさらに、町人の子供に手習いを教える「寺子屋」ができていく。
 そうやって、藩が人材を集め、その教育が地域に広まっていくシステムができていた。その下地があったから、明治になって学校をつくろうとしたときに、レベルの高い教師を集められました。これは、アジアのなかで日本がいち早く近代化にキャッチアップできた理由のひとつでもあるんです。
 トロントのAI研究領域には、そういうエコシステムがあるように見えます。一人の天才がいるだけでは、ビジネスのエコシステムはできません。でも、「教師」がいれば、そこから人材が増えていきます。
── たしかに、カナダは国が大学や研究機関に投資する金額が人口比で見ると高いそうです。なかでもAIなどのテクノロジーに注力する姿勢を打ち出しています。
 難しいのが、今の時代に藩校のような制度をつくればいいわけではない。政府や行政がリードしようとして失敗するケースも多々あります。
 カナダがうまくいったのは、自然発生的にイノベーションが起こり、ポテンシャルのある領域や都市を見極めて、行政がちょうどよい具合に後押しできたからではないでしょうか。
── Mitacsという非営利組織がイメージと近いかもしれません。
── 20年以上にわたって大学などの研究機関と産業をマッチングさせ、事業開発を支援してきた組織で、政府はそこに資金援助を行っています。
 そういう仕組みはいいですね。結局のところ、国が支援できることは限られているし、テクノロジーを見て次はどんなデータが使えるかとロジカルに考えたところでよいビジネスができるわけではないんです。
 そんなことでビジネスが成功するなら、資本力のある大企業がすべて先にやっています。
── 本当にそうですね。そのうえで御立さんが事業創出の条件として着目するのは、どんなところですか。
 やはり大事なのは、おもしろいことを考える人が集まるかどうかです。そのために、食や文化、自然環境といったことも含めて、街や人を見る必要があります。
 たとえば、街の看板に英語とフランス語が並記されているのを見たら、何を考えますか。
写真:iStock / krblokhin
── 小学校ではどっちを習うんだろう、とか?
 私なら、モントリオールを拠点にすれば、アメリカやトロントのテックコミュニティを活用できるし、アフリカなどのフランス語圏にアプローチできていいな、と考えます。
 若い世代の華僑やシンガポール人、ベトナム人が集まってエスニックな多様性があるバンクーバーなら、ここでヘルシーなフードビジネスを育てれば、バンクーバー発のブランドとしてASEAN諸国に展開できるな、とか。
── なるほど。そうやってビジネスの視点で人や生活を見るんですね。
 カナダのトロントやケベックの空気感のなかで生まれるビジネスもあれば、日本の東北や山陰の空気を吸って生まれるビジネスもある。
 日本とカナダには大国間の立ち位置や文化が似ているところがありますから、両国がなにかシンボリックなコミュニティづくりをするとおもしろいでしょうね。
写真:iStock / corradobarattaphotos
 カナダが日本のスタートアップ向けのビザを用意してくれて、日本も福岡や仙台でカナダ人起業家向けのビザを用意する。3年間500人分の交換起業家制度みたいなことができたら、双方向の人の流れが生まれて、新しい回路が開通しそうです。
 人材を送り出すことと受け入れること、その流動性があってこそ、新しいビジネスを創出する環境が生まれる。
 日本がカナダに学べるとしたら、そのことに尽きると思いますよ。
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