2021/3/18

【暦本純一】AIのイノベーションがカナダで起こった理由

NewsPicks Brand Design / Chief Editor
 2010年代に飛躍的に進化したAI技術の基礎をつくったトロント、GoogleやFacebookをはじめとするテック企業が進出するモントリオール、コンピュータグラフィックスなどの映像産業でハリウッドと密につながるバンクーバー。日本の24倍の国土を持ちながら人口わずか4000万人弱のカナダから、コンピュータサイエンスの研究やビジネスが次々と生まれている。
 なぜカナダに、第一線の研究者や企業が集まるのか。どのようにテクノロジーやビジネスを育んでいるのか。多くの日本人にとっては未知の国である、知られざるテクノロジー・ビジネス環境としてのカナダについて、同国での研究経験を持つ情報科学者・暦本純一氏に聞いた。
INDEX
  •  AI冬の時代のカナダ
  • 大国の隣にあるサードプレイス
  • なぜ企業はカナダに拠点を置くのか

 AI冬の時代のカナダ

── 暦本さんは、カナダで研究生活を送られた経験があるとか。
 かなり前ですが、1993年にエドモントンのアルバータ大学で1年間、客員研究員の立場で滞在していました。
── 当時はどんな研究をしていたんですか。
 私が所属したのは、マーク・グリーン教授のヴァーチャルリアリティ(VR)の研究室でした。当時、カナダはVRに強い印象がありました。アルバータ大学のほか、トロント大学、ブリティッシュコロンビア大学の研究も知られていました。
 さらにエイリアス・リサーチ(後に社名をエイリアス・システムズに変え、3DCGソフト「Maya」を開発)などグラフィックスに強い会社がトロントにあったり、著名なヒューマンインターフェイス研究者もカナダに集まっていましたね。
 2010年代以降はトロント大学のジェフリー・ヒントン教授らのグループによって、AIとディープラーニング(深層学習)がめざましい発展を遂げ、一躍カナダが注目されるようになりました。
 それ以前も、コンピュータサイエンスの分野ではさまざまな先駆的な研究があったんです。
写真: iStock / ferenz
── 日本やアメリカと比べると、カナダの研究環境にはどんな特徴がありますか。
 たとえばアメリカだと、マサチューセッツ工科大学(MIT)にしろスタンフォード大にしろ、トップにいるのは私立大学なんです。予算は政府や企業などの外部資金が中心で、それを獲得しつづけないとラボが維持できない。良くも悪くもガツガツしていて、成果を見込んだ研究が行われる。
 その点、カナダは公立大学での研究が中心で、国の予算があり、企業と比べると性急な結果を求めるわけでもなかったので、少し余裕がある。研究をマイペースでやりやすい雰囲気でした。いい時の日本っぽいと言えるかもしれませんね。
── 暦本さんは、そういった環境を求めてアルバータ大学を選んだのでしょうか。
 私は当時、勤務していたNECからの企業派遣留学だったのですが、最初はアメリカのMITやカーネギーメロン大学も検討していました。
 ところが、いざ行こうとすると、企業派遣に対して高額な費用を要求される。当時で3、4万ドルぐらい、今だとさらに高騰して1000万円以上になっているかもしれません。まず請求書の見積もりが送られてくるんですよ。研究よりもお金の話から入るのか、と(笑)。
 それでアルバータ大学にも打診してみたら「今、ちょうどオフィスも空いているし、来たらいいよ」みたいな返事で。「えっ、無料でいいんですか?」と聞き返したくらい。当時はまだそんなに研究実績があったわけではないので、逆に申し訳ない気持ちでしたね。昔の話なので、今は多少の変化があるかもしれませんが。
 アルバータ大学では「オーグメンティッド・リアリティ(AR、拡張現実)」の研究を始めたのですが、研究をすぐに売れとか、スポンサーを見つけてこいというようなプレッシャーもなく、じっくりと研究に取り組めました。
写真:稲垣純也
── マイペースに研究ができる環境は、AIの基礎研究がカナダで開花したこととも関係がありそうです。
 そうかもしれません。私が留学した90年代は「AI冬の時代」といわれていたんです。前述したヒントン教授は1980年代からずっと「ニューラルネットワーク(人間の脳の構造をアルゴリズムで再現する機械学習の手法)」を研究していたそうですが、当時の研究の主流から外れていたので、私もその存在すら知らなかったほど。
 ヒントン先生は最初、アメリカの大学で研究していたそうですが、トロント大学に移らなければ短期的な成果を求められて不遇に終わったかもしれません。結果論ですが、トロント大学で数十年にわたって研究を続けられたことが、ディープラーニングのブレイクにつながったのではないでしょうか。

大国の隣にあるサードプレイス

── なんだか、おおらかですよね。なぜカナダは長期的な基礎研究を許容できるんでしょうか。
 個人的な印象ですが、研究に限らずおおらかでおっとりしていますよね。資源国でもありますし、歴史的には、カナダには奴隷制度がなかった。隣国アメリカの人種差別やベトナム戦争に対する嫌悪からカナダに移住した人々も多かったわけで、そのあたりが国民性に影響しているかもしれません。サイバーパンクの元祖として有名なSF作家のウィリアム・ギブスンさんも、ベトナム戦争を契機に米国からバンクーバーに移住しています。
写真:稲垣純也
 コンピュータサイエンスの領域でも、隣国アメリカではDARPA(アメリカ国防高等研究計画局)の国防予算で動いているケースが少なくない。
 コンピュータ技術は軍用にできる要素が多いのですが、カナダはそういった動きが目立たないことも研究者を引き寄せている理由のひとつかもしれません。
 カナダではアメリカと比べると銃の規制が厳しいですし、治安がいい。平和主義的なところがある一方で、世界一を目指してプレゼンスを示していくような、野心の強いメンタリティの人は少ない気がしますね。
── 大国の隣だから生まれた国民性みたいなことはあるかもしれませんね。
 受容性が高いんですよね。カナダは英語とフランスが公用語なので、2カ国語を話すことが前提になっていて、英語オンリーのアメリカとは雰囲気が違う。
 人材的にも、留学生がとても多い。西のバンクーバーは、特にそう。中国人や日本人のほかにも、インドやアフリカからの留学生も多い。カナダ人はむしろマイノリティじゃないかと思うくらい、非常に国際的ですね。
 それに、私が住んでいたエドモントンの冬はとても寒いんです。一度、アパートからオーロラが見えましたからね。
── それは、デメリットですか?
 冬の間はマイナス何十度まで気温が下がりますから、研究くらいしかやることがなくなる。無駄な誘惑がありません(笑)。
写真:iStock / Lisa Marie
── エドモントンといえば、アルバータ大学にはGoogle傘下のDeepMindの拠点があるそうですね。
 ええ。DeepMindといえば、GoogleのAI技術開発の要のひとつです。その北米拠点がアルバータ大学にできたのですが、Googleがシリコンバレーに置かなかったのは納得がいく。
 シリコンバレーだと物事が進むスピードが速すぎたり、人材の引き抜きが激しすぎたりして、先端技術のR&Dには向かないと判断したのではないでしょうか。DeepMindの本社がロンドンにあることもそうですが、シリコンバレーから少し距離を置くほうがうまくいくこともあります。
 かといって、カナダとアメリカは断絶しているのではなく、むしろ研究者は盛んに交流しています。カナダの研究者がアメリカの企業に移ることもあれば、アメリカの大学を卒業してカナダの企業に就職するケースも多い。
 ちょうどいい距離感で学会や産業もつながりあっていますから、テクノロジストや研究者が求める環境によって、カナダという国が選択肢にあがりやすいんです。
── 東のトロントやモントリオールでテック産業が盛んな印象がありますが、西側にも違う動きがあるんですね。
 そうですね。産業面では、西海岸のバンクーバーはコンピュータグラフィックスや映像、ゲーム制作にとても力を入れています。アメリカ西海岸の映画産業と結びつきが強く、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスという映画制作会社はハリウッドからバンクーバーに移転していますし、ILMやデジタルドメインといった名だたる企業もバンクーバーに映画制作スタジオを開設しています。
 以前、SIGGRAPH(シーグラフ)という世界的なコンピュータグラフィックスやインタラクティブ技術の学会がバンクーバーで開催された際、ロバートソン バンクーバー市長が熱心に見学していたのが印象的でした。
 さっと眺めるだけの表敬訪問のレベルではない。地方行政のトップがちゃんとテクノロジーの見識を持ち、バンクーバー市として先端的な産業や技術者を誘致しているんです。
 CGなどの映像表現は研究と産業が非常に強くつながっています。その先端に目が向いているから、ロサンゼルスやハリウッドから企業やクリエーターが移転してくるのだと思います。
── 公的な産業誘致がうまくいかないケースも多いと思うのですが、何が違うんでしょうか。
 カナダには大学なのか企業なのかよくわからない、中間くらいのベンチャー企業がたくさんある。そういう企業がうまく産官学のつなぎ役として機能している印象があります。シリコンバレーとは違う形で、スタートアップが起こりやすい環境ができているのではないでしょうか。
 アメリカに比べて土地や不動産の価格が安いから、よい意味で気軽にオフィスを持って、ベンチャーを立ち上げられる。それに、政治家が若くてフットワークが軽いのも功を奏していると思います。
── 国のトップであるトルドー首相は、就任時に43歳。現在もまだ49歳です。
 内閣も政治家も、日本と比べると信じられないほど若い。アメリカと比べても若いです。閣僚の男女比も5:5です。
 それもまた、先端産業への支援に関係しているのではないでしょうか。デジタル庁をつくらなくても、政治家の多くがデジタルに明るく、新しいテクノロジーのリテラシーを持っている。
 このことは、学問や研究を政治やビジネスと結びつけるうえで、かなり重要なポイントだと思います。
2015年10月、ジャスティン・トルドー首相就任時の新内閣。閣僚は男女半数ずつ、若手が多く起用され、先住民の血を引くジョディ・ウィルソン・レイブルド法務大臣や、アフガニスタンから難民としてカナダに移住したマリアム・モンセフ民主制度大臣など多様性を重視した組閣が注目された。(写真:ロイター/アフロ)
── 政治の世代交代がうまくいっているのはなぜでしょう。有権者に若者が多いんですか。
 カナダも諸外国と同じように高齢化が進んでいます。でも、私が見た限りでは「政治は40代、50代がやるもの」というコンセンサスがあるように感じます。日本の場合は70代、80代がやるというコンセンサスになってしまっていますけれど。
 カナダに高齢の政治家がいないわけではありませんが、権力を若い世代へ渡すことをよしとする社会風土がある。これは、政治にも学問にも共通していると思います。

なぜ企業はカナダに拠点を置くのか

── これまでお聞きしてきたカナダの長所、日本も学べるところが多い気がします。
 私は、日本とカナダは似ているところもあると思うんですよね。ドメインでは日本の5Gなどの通信技術やコンピュータエンターテインメントはまだまだ強いし、グローバルで見ると対米や対中のポジションも近しいものがある。なのに雰囲気が違うのはなぜだろう……もしかしたら、いろいろと東京に一極集中しすぎているからなのでしょうか。
── たしかにカナダはどこかの都市に集中せず、バンクーバーからトロントまで、それぞれの都市に特色があるように見えます。
 ただでさえ国のサイズや人口密度が違いますからね。そのうえ産業や大学が日本のように一極集中すると、便利ではある反面、何をするにしてもコストがかかりすぎる。
 適度に分散していれば、ラボをつくるにしても、企業コンソーシアムの拠点をつくるにしても、コストを抑えて固定費を減らせます。日本の場合は、福岡市あたりがうまく独自の経済圏をつくっている。ゲームビジネスが発展しているところなんて、ちょっとカナダっぽいかもしれない。
── うまく分散することで過当競争が減り、多様化も進んでいくかもしれません。
 そう。それに、テクノロジーは分散や多様化を後押ししていますよね。
 新型コロナウィルスによってZoomのようなテレコミュニケーションやVR、ARの技術が一層普及しました。いまは2次元が主流ですが、国際学会ではヴァーチャルな会議場を3Dでつくるような試みも行われている。
 これからはVRのオフィスにみんながアバターで入っていくようなことが、一般のビジネスでカジュアルに行われるようになっていくと思います。テレコミュニケーションでは、会話の間にコンピュータが入ってデジタルの情報として音声をやりとりしているので、字幕で出したり、他言語を自動翻訳したりすることは、いますでにある技術でできる。
 つまり、Zoomの時代というのは、誰もがオーグメンティッド・リアリティ、拡張現実でコミュニケーションを行うようになった時代なんです。
写真:iStock / Aolin Chen
── 自然言語や画像解析、自動翻訳も、AIによって実現したものですね。それが、コロナによって、より必要に迫られた。
 結果的に、場所の持つ意味が変わりました。日本は国土の狭さや人口密度から、首都一極集中という、いわば「特殊解」が機能してしまったわけです。しかしその構造による孤立化で、世界のダイナミズムから取り残されてしまう懸念もありました。
 いまや一極集中とは別の可能性があることが見えてきた。新しいものを生み出すためにも、より生産的に働くためにも、電子技術でグローバルにつながりながら、ローカルで生活する環境が重要になった。住みやすさだったり、自然や食の豊かさだったりということの価値が上がっています。
 たとえばエドモントンは小麦の産地なので、パンがめちゃめちゃおいしい。そして、アルバータビーフ。毎日食べるものがおいしいことは、研究者にとっても、ビジネスパーソンにとっても大きな魅力ですよね。
 こういったフィジカルな環境の豊かさは、ヒューマンインターフェイスを考えないといけないこれからのエンジニアや研究者やプロダクト開発者にとって、ますます重要になってくるんじゃないかと思います。
写真:iStock / ImagineGolf
── たしかに、東京とシリコンバレーとトロントでは、人がつくり出すものの傾向が変わりそうです。その違いがビジネスや人材の求心力にもなるわけですね。
 AIにせよVRにせよ、半分はデジタルだけど、半分は「人間」の話なんです。人と機械が共生するためのテクノロジーをつくるためには、働く環境── 社会風土や、オフィスの広さ・快適さ、周りの自然や食文化も含めたクオリティ・オブ・ライフを高めることが不可欠になっている。
 シリコンバレーのように激しい競争のなかで生まれるものもあれば、人口を見ると小さな国だけど、カナダのような環境から生まれるイノベーションやビジネスもある。ある程度ゲリラ的に動ける隙間のある社会のほうが、新しいものや変なものは生まれやすいですから。
 カナダに巨大マーケットがあるわけではありませんから、カナダの人材や環境を使って世界に対して物を売る。そういったR&D環境としての価値に目を付けた企業が、カナダに拠点を置いているのではないでしょうか。
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