「おそなえ」で子どもの貧困を解決 お寺がつなぐ笑顔の輪
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ここ数年、『持続可能な社会』というのが注目されており、いわゆる市場経済の揺り戻し時期に来ていると感じています。SDGsなんかはその概念として、世界共通の思想としてよく取り上げられているどころか、学校教育でも取り上げられる勢いです。
…で、まぁ経済ニュースサイトや市場主義社会では致し方ないのかもしれないのですが、私はぼんやりと『環境とか手段ばかりが取り上げられていて、なんかもったいないなぁ』と思ってしまうのです。
つまり、『持続可能な社会』という言葉を、経済だけではなく、人間にあてはめて考える提唱をする人がほとんどいないことが、残念というか。
競争って、文明の発展にはある意味不可欠なものだと思うのですが、一方で、人がひととして生きていくには不要なものでもあると感じています。
競争に勝てば気持ちが良いし自信に繋がるかもしれませんが、常に誰かに抜かれる不安や、上には上がいるという終わりのないゲーム。
負けたら『自己責任』で済まされてしまう。
これ、死ぬまで競争社会で生きていくことが『持続可能な社会か?』と問われたら、私は、なんか違うと思います。
じゃあ、『人にとっての持続可能な社会ってなんだ?』と聞かれたら、今は『自然と共に生きること』だという答えに、今の私はなります。それは、いわゆる競争とは真逆の、ある意味昔からある考え方に戻るのかもしれません。
24時間年中無休を手放し、朝上がる日の出や夕方沈む日の入りなどの自然を意識して生きるということ。
月の満ち欠けや四季を感じる余裕のある社会。
足るを知り、余りを仲間や困っている人に分け与え足りないものは仲間からいただき、周囲と共に生きる社会。
少しだけ贅沢や欲を抑え、少しだけ自分と周囲を大切にして、少しだけ過ごす時間をゆっくりにして、自然や人を感じながら生かされていることを実感できる社会。
その手段として、テクノロジーやサービスが発展していくことが、もしかしたら、行き過ぎた資本主義を持続可能な社会に近づけられるのではないかなと思うし、次はそういう社会になれば良いなぁと感じています。
この記事は、当たり前の日常にある場所で優しさの伝播をしようという、素晴らしい取り組みだと感じました。
私も、今、できることに粛々と取り組みたいと思います。