教育は、変えられるーー授業改善ではなく、学びの構造転換を!!
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「勝手に学び続ける子どもたち」最高です!
「みな同じ」に苦しむなんて本末転倒。「みな違う」それが当たり前、そしてお互いを認めて、励まし合う。
子どもたちが、勝手に、そしてワクワクしながら学び続ける。これをどんどん実現しましょう。
授業改善なんて、視野が狭い部分最適化ではなくて、まさに構造改革の推進です。
注目のコメント
> その子は、算数の問題が・・・、「とても苦手」な子でした。でも、算数の時間は・・・、「大好き」な子になりました。なぜか? 算数の時間が、思い思いに問題を解ける時間だったからです。
これについて、また別の事例をご紹介します。
ある小学校の算数の授業では、前半15分くらいで教科書レベルの内容を押さえた後に、かなり難しい問題にグループで取り組みます。おもしろいことに、教科書レベルの内容についていくのが必死な子どもでも、難しい問題には喜々として向き合っているのです。
これは学びの共同体という学校改革ビジョンを導入している学校での1コマです。提唱者である佐藤学先生(私の指導教官でもあります)は、この現象について「低位な子どももできる子も皆わからないから学びに参加することができる」と説明されています。子どもたちはすでにわかる問題ではなく、わからない問題に向き合うほうが学びにつながるのでしょう。
また、学びの個別化をしただけでは自分だけの力で達成できる部分にしか到達できないと思おいます。他者との関わりの中で達成できる(発達の最近接領域理論)ゴールを繰り替えしていくことが重要でしょう。素晴らしい実践ですね。
選択と意見する機会があることの大切さは実践してみないと分からない事だと思いますが、手間がよけにかかるように見える一方で、自走しはじめたら予想以上のパフォーマンスを出してくれる。これは子どもだけでなく人間の成長の本質ではないでしょうか?会社経営でも、1-10までマイクロマネージするより、ビジョンを共有し、選択肢を与えて自走してもらう方が良い結果が出ることは何度も経験してきました。子どもだから一から10まで指導しなくてはいけないということがやる気を削ぎ落とすという事実がどんどん明らかになって欲しいと思います。
公教育の構造改善、どんどん進んで欲しいものです。なぜ子どもたちが皆、高次欲求を持つ事を前提にしているのか...?記事内容からズレてしまいますが。
学びの在り方を前提から変える、賛同します。勝手に、自由に、仲間と、一定サイズのカリキュラムの中で学んでいって欲しいです。
けれど、日々身の危険に晒され、身近に頼れる親族がいない、仲間からも裏切られる、大人なんて信じてたまるか。私なんかが到底理解し得ない痛みを抱えている子もいます。
「皆違う学び」は良いのですが、それはあくまで学びの土俵に上がってこれた子が対象です。
2019年は18歳未満児童約700万人のうち、20万件近くの虐待相談がありました。3%です。クラスに1人です。きっと報告されてない事例もあります。
忘れて欲しくないことは、安全所属の欲求すら満たされてない子も中にはいるということ。全員が全員、「知りたい・できるようになりたい」ではないかもしれないということ。
全体数からすればほんの一部分なのですが、そこにも光を当てて欲しいと思います。