2020/12/24

【激突】ヘルスケアが主戦場。GAFAM vs 医療・製薬業界で何が起こるのか

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コロナ禍によって一気にDXの時計の針が進んだかに見える日本社会。
しかし、一橋大学経営管理研究科教授の神岡太郎氏は、「多くの企業は表面的なデジタル化にとどまっている」と指摘する。
“DXの源泉”とも言えるデータを豊富に蓄えてきた業界でさえも例外ではない。その筆頭が製薬業界だ。
なぜ豊富なデータを持つ業界すら、表面的なデジタル化にとどまっているのか。DXを価値創造につなげるポイントとは。
神岡氏と共同研究に取り組むIQVIAジャパンの中村理彦氏をモデレーターに、神岡氏と慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏が、製薬業界をモデルケースとして探った。

テレワークで生産性が上がった企業は2割

中村 神岡先生と製薬業界のDXについて研究をご一緒して1年近くが経とうとしています。
 コロナ禍で日本のDXは少し底上げされたように見えますが、神岡先生は今の状況をどうご覧になっていますか?
神岡 振り返ってみると、コロナ禍にはDXをはじめとする企業のさまざまな変革に対して、“電気ショック”のようなインパクトがあったと思います。
 それが如実に表れたのが、テレワークの導入です。あれだけ遅々として進まなかったテレワークが、一気に全国の企業に広がりました。
神岡 ただし、表面的なことで満足するのは適当ではありません。テレワークで生産性の上がった企業は2割しかないといわれています。
 たとえテレワークによる業務効率化に成功したとしても、どの企業でもやっていることだから、差別化にもなりません。
 企業におけるDXは、デジタル化で競争力や生産性が上がり、それが価値創造にまで結びついて初めて意味がある。私はそう考えています。
 ですが、多くの企業がまだまだアナログの業務をデジタルで代替するにとどまっていると感じます。
宮田 教育現場のDXについて、まったく同じことを感じていました。
宮田 コロナ禍で行われるオンライン授業に、「温かみがない」「対面のほうが優れている」などと言う人がいますが、今考えるべきは、アナログかデジタルかの二元論ではありません
 従来の教育システムのすべてが素晴らしかったわけではない。
 ならば、素敵ではなかった部分、より良くできる部分を明らかにした上で、デジタルという選択肢も踏まえた教育の未来を考えるべきです。
 例えば、子どもたち一人ひとりの未来の選択肢を増やす可能性に寄り添うことや、社会とのつながりの中で、豊かに生きるための学びを共に考えることですね。
神岡 デジタルで変えるべきは、表面的な手段ではないんですよね。デジタルも選択肢に入れた上で、本質的なところをより良くできるか。
 つまり、価値創造や組織の行動変容にまでつなげられているかどうかが大事です。

もう“PoC祭”は終わりでいい

中村 神岡先生は著書『デジタル変革とそのリーダー CDO』で、「収益性の高いビジネスモデルを確立した従来型企業ほど、デジタル変革しにくい」といった指摘をされています。DXの難しさはどこにあるとお考えですか?
神岡 DXは“オンゴーイング”、つまり変わり続けなければならないから難しいのだと思います。
 一度やって終わりではなく、絶えず変化する世の中に合わせて、次から次に価値創造をしていかなければならないのです。
 かつてはそれが数十年に一度でよかったのですが、今は短期間で価値創造を行う必要がある。それがDXの本質であり、難しさにもつながっているのでしょう。
宮田 だからこそ、今までの勝ち筋や成功体験が、逆に足枷となってしまうことがあるんですよね。新しいものを生み出すには、既存の商品やサービスを否定せねばならない場合もある。
 そういう矛盾の中で、世界のテックジャイアントたちでさえも、もがきながら必死にスタートアップを生んでいるのです。
神岡 あのGoogleでさえも苦しんでいますね。
宮田 まさに。例えば、シリコンバレーの企業では、エース級のメンバーが集まり、1人で月に100個のアイデアを生み出し、半年に1個でも残っていれば勝ち、という世界でしのぎを削っています。
 彼らの「企業本体を壊すレベルの価値創造をしなければならない」という緊張感には、鬼気迫るものがありますよ。
神岡 日本企業はPoC(Proof of Concept:概念実証)と呼ばれるトライアルを山のようにやっていますが、いざビジネスにする段階になると、急に保守的になる。
 だから延々とPoCをすることになってしまい、“PoC祭”“PoC疲れ”なんて言葉もあるぐらいです。
 もう“祭”は終わりでいいのではないでしょうか。
 スピード感を持って変化していかなければ生き残れないことは、みなさんご存じのはず。本番のビジネスでリスクを取らなければ、何も変わりません
宮田 リスクを取ることに関して言えば、データがオープンにつながっていない状況も、DXのハードルを上げている要因だと思います。
 こと医療データは、情報が悪用される危険性をはらむので、おいそれとは共有できない事情があるのですが……。
 医療業界に限らず、セキュリティ的な観点でプロジェクトごとにデータを抱え込み、なかなかデータの共有がなされないというのは珍しくありません。
 これでは、どんなにデータが豊富にあっても価値が半減してしまいます
 ただ、データベースの最先端の世界では、データを持つことにレギュレーションをかけるのではなく、利用に関してレギュレーションをかけようとする動きが出始めています。
 そうすれば情報の保護をしつつ、活用の可能性も広げられる。打開策は見えつつあると思います。
神岡 日本ではルールを作ってから段階を踏んで物事を進めようとしますが、もう少し“経験から得る価値”にウェイトを置く考えになれるといいですよね。
 できることからやってみて、その経験から次の打ち手やルールを考える。
 心理学には、グロース・マインドセットフィックスト・マインドセットという概念があります。
 前者は「努力すれば能力は伸びる」と考え、後者は「能力は決まっているもの」と限界を作ってしまう。現在の日本人は、どちらかというと後者が多いようです。
 例えばDXによる産業構造の変化を、異業種が参入して業界の地位を脅かされると考えるのか。新たなビジネスに乗り出すチャンスと捉えるのか。
 「DXの先には、大きな機会が待っている」というポジティブなマインドが、DX推進の重要なポイントだと思います。

ヘルスケアは“福祉”か“ビジネス”か?

中村 先生方のお話からリスクテイクの重要性を感じる一方で、ヘルスケア領域は人の健康や命に関わるだけに、失敗が許されません
 DXを進めていくことへの慎重さも、同時に必要です。
神岡 確かにそれは無視できませんよね。
 これまでヘルスケア領域は、医師と薬が責任を持って支えてきたわけですが、そこへITや保険、食品、フィットネスなど、すでに異業種からの進出が始まっています。
 対して、ヘルスケア領域の一角を占める製薬業界は、レギュレーションの厳しさゆえ、他の業界と比べても特にDXのハードルが高いかもしれません。
 それでも、診療データを医師に提供するアプリの開発や過去データから創薬プロセスを見直す動きなど、「創薬し、その適正使用を推進する」という従来のビジネスモデルに、変革の兆しが見えつつある。
 豊富なデータを持つ業界だからこそ、小さなことからでもDXを成果につなげる土壌は整っていると思います。
神岡 ただ、企業単体のDXやデータでわかることは限られます。
 業界全体でデータをシェアしていくことで、創造できる価値も大きいものになり、国際競争力も増すのではないでしょうか。
 宮田先生のお話にもあったように、データはつながってこそ真価を発揮します。国内では取得が難しいデータならば、海外を視野に入れてもいい。
宮田 そうですね。日本企業であっても国内市場だけにこだわるのはやめたほうがいいと思います。
 例えば、イギリスのスタートアップであるBabylon Health(バビロンヘルス)は、ルワンダで政府協力のもとAI診断アプリを提供し、200万人超のユーザーを対象に遠隔医療を行っています。
 一国のみでなく海外でも使われれば、遥かにビジネスのスケーラビリティが高まる。まずは海外で貢献し、そのソリューションを逆輸入するやり方もありますね。
 そのときにIQVIAさんのようなグローバルなプレイヤーが大きな力になるのではないでしょうか。
中村 グローバルに展開するヘルスケアソリューション企業として、そういった支援は力を入れていきたいですね。
 市場という意味では、ヘルスケア領域のビジネスには、“公共の福祉”と“ビジネス”という二面性があります。
 製品やサービスを届ける先にいるのは患者のみなさんであり、お客さまでもある。ビジネス化するとき、そのバランスにも難しさを感じます。
宮田 ヘルスケアに限らず、我々はビジネスのKPIを売上から“社会の活性化”にシフトすべきタイミングにあると思っています。
 なぜなら、「新たなビジネスで、企業や業界がいかに社会貢献できるか」、いわゆるソーシャルグッドが、もはやビジネスの前提として求められつつある。
宮田 先日、スウェーデン大使館とのオープンイノベーションの協同プロジェクトをお手伝いしたのですが、彼らのKPIは“サステナビリティ”なんです。
 どれぐらい現地の人たちが健康になったか、地元産業も含むビジネスをどれほど活性化できたか、だと。この考え方には非常に学びがありました。
 コミュニティを活性化して生活を豊かにすることを第一に目指し、結果として自社にもリターンがあるビジネスモデルを構築する。その順序こそが、事業そのものをサステナブルにするのだと思います。
神岡 おっしゃる通りです。デジタル化が進み、企業もビジネスも瞬時につながれる環境では、利益を一社独占するビジネスモデルよりも、関連企業や消費者を巻き込んだエコシステムが有効です。
 かつてGoogleは、多額の資金を投じて開発したAndroid OSをオープンソース化し、無償提供しました。
 結果、Android端末の開発や関連サービスに乗り出す企業が爆発的に増え、端末料金が下がったことで利用者も急増。一気に普及しました。
 こうした相互に利益を生むエコシステムの中核に自社がポジションを置くビジネスモデルを構築する。そうした戦略が、企業の競争力を増し、ビジネスをサステナブルにするのです。

個人の健康データが、「個人データ」そのものになる未来

中村 我々のいる医療・ヘルスケア業界、なかでも製薬業界には、DXが進むとどんなインパクトがあるでしょうか。
宮田 マネタイズのあり方が大きく変わるでしょうね。製薬業界ではこれまで、知財をパテント(特許)で囲い、薬を創って販売するビジネスが王道だったと思います。
 しかしDXが進めば、薬の届け方や使い方のデータが手に入るようになり、そのプロセスまで含めて知財になる可能性がある
 先日Appleが発表したApple Watchを軸にしたフィットネスのサブスクリプションサービスを筆頭に、GAFAM(※)らテックジャイアントも、続々とヘルスケア領域のサービスを出してくるでしょう。米Amazonが処方薬のオンライン販売を開始したニュースも、業界を震撼させています。
※ 世界を席巻する5大IT企業。Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoftを指す
 製薬会社のような既存のヘルスケア企業にとっては、誤解を恐れずに言えば、“ヘルスケアサービスのパーツメーカー”になるか、健康という体験価値を提供する企業になるかの分かれ目
 テックジャイアントのチャレンジと、既存の業界のチャレンジがぶつかり合うことで、新たな市場が生まれてくる気がします。
神岡 ヘルスケア領域のDXが進めば、ライフログデータと薬剤・診療データの境界はどんどん破壊されていくはずです。生活者・消費者・患者といったさまざまな顔を持つ個々人のデータも、すべてつながっていく。
中村 そうすると、究極のパーソナルヘルスレコードになりますね。
宮田 最終的には「ヘルス」という言葉も消えて、「パーソナルレコード」そのものになると思います。
 集積されたあらゆるデータに細かくタグ付けがなされ、データの組み合わせ方次第で、健康という一つの目的に限定されなくなる。
 あるときは医療データに、またあるときは転職活動用データに……と、個人の多様な生き方をサポートするデータとして、さまざまな領域で活用されていくのではないでしょうか。
神岡 健康は手段であって、人々が求めるのはその先にある自分らしい生き方です。
 「楽しんでいたら、いつの間にか健康になっていた」なんてソリューションならば、ユーザーも自然とデータを提供したくなるはず。今後は、マーケティング的なセンスも求められますね。
宮田 同感です。健康維持が自然と生きがいや楽しみにつながるようなヘルスケアのUXを設計することは必須ですし、その分野はこれから激戦区になると思います。
中村 私たちIQVIAは、半世紀以上にわたり、グローバルで製薬産業を支援してきました。
 業界特化型であることは私たちの強みですが、今後さらに製薬業界への深い理解のもと、先駆的な取り組みで貢献していくには、自らのトランスフォーメーションも必要ですね……。
神岡 この1年、IQVIAさんと進めてきた製薬業界のDXに関する共同研究で、さまざまな医療・ヘルスケアの関係者にヒアリングをしてきました。
 それを通じてわかったのが、医師の方々は薬の情報だけでなく、社会がどう変わりつつあるかも知りたがっているということです。
神岡 日本ではあまり感じないかもしれませんが、Uberがタクシー産業にゲームチェンジを起こしたように、ある日突然ディスラプターがやってきて、市場と顧客を根こそぎ奪っていくことがないとも言えません。
 薬を創って届けるだけでなく、その先にいる医師や患者の体験価値にまで踏み込んで、自らの産業を変革していってほしいと思います。
中村 同業他社やクライアントを巻き込んで、産業そのものにパラダイムシフトを起こすために何をしていくべきか。今日のお話を伺って、大変重く受け止めました。
 神岡先生との共同研究には、単なる業界分析ではなく、私たち自身が当事者意識を持って取り組んでいます。
 第4次産業革命といわれる変革期に、まずはIQVIAならではのサービスやソリューションの提供によって、医薬品ライフサイクルの最適化と同時に、DXによるお客さまの変革もご支援していけたらと思います。
ヘルスケアデータが、日本のDXの起爆剤となる理由