2020/12/23

ヘルスケアデータが、日本のDXの起爆剤となる理由

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コロナ禍で、デジタル化の遅れが顕在化した日本。一方で、適切なデータ活用で、国民への迅速な支援に成功した国々も現れた。
世界はすでに、企業や行政の枠組みを超えたデータ活用が経済や産業の中核を担う「データ駆動型社会」の入り口に立っていると言える。

「データ駆動型社会の基盤として、ヘルスケアデータは重要な役割を果たしていくはずです」

そう語るのは、厚生労働省や各都道府県とLINEの新型コロナ全国調査やパーソナルサポートを率いた慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏だ。
今回は、同取り組みの一部を支援したIQVIAジャパンの松井信智氏をモデレーターに、DX(デジタルトランスフォーメーション)の研究者で一橋大学経営管理研究科教授の神岡太郎氏が、ヘルスケアデータがもたらす可能性について、宮田氏と語り合った。

「最大“多様”の最大幸福」はすでに実現可能に

松井 2020年のコロナ禍は、私たちのDXへの認識を大きく変えましたね。
宮田 それを象徴するのが台湾とドイツですね。
 台湾は政府主導のDXで、国がマスクの在庫を把握し、国民へと適切に行き渡らせることに成功しました。ドイツはわずか数日で、申請されたすべての助成金の給付を完了させています。
宮田 他方、日本ではみなさんもご存じの通り、全国民に一律10万円を給付するのに、何カ月もの時間と1500億円もの予算を費やした。
 これまでの技術では、個々人の状況に応じた支援の提供は、現実的に不可能でした。
 しかし、台湾やドイツの例からもわかるように、DXを進めてデータを活用すれば、個人の求める形やタイミングに合わせた多様な支援も夢ではなくなった
 従来の理想であった「最大多数の最大幸福」ではなく、「最大“多様”の最大幸福」が、すでに実現可能なのです。
神岡 このパンデミックでは、日本が抱えるデジタル化の課題の根深さが改めて明らかになりましたが、海外の対応には可能性を感じましたよね。
宮田 そうですね。日本はGDPが比較的高いこともあり、幸か不幸か、これまでデジタル化の遅れをあまり感じることなくここまで来ました。
 しかし実際は、スイスのビジネススクールIMDの「世界デジタル競争力ランキング」で全63カ国・地域中27位と、先進国では最下位クラスです。
 さらに日本は、“ITを使わなくとも問題なく暮らせる社会”を、意図的につくってきました。
 ところがコロナ禍のように困窮の個人差が激しく、影響が広範囲に及ぶ危機においては、従来の「最大多数の最大幸福」の支援では、取り残される人が大勢出てきてしまうことが浮き彫りになった。
 「ITを使えないこと」は「未来から取り残されること」と同義となった今こそ、DXに本気で取り組むべきタイミングです。

デジタル化を遅らせた「2つのトラップ」

松井 日本のデジタル化は、なぜここまで遅れたのでしょう。神岡先生はどう見ていますか?
神岡 要因はいくつかありますが、筆頭はコンピテンシー・トラップ、いわゆる成功体験でしょう。
 新しいことへの挑戦や変革を、過去の成功体験が阻害してしまう。「今までと同じやり方で何とかなる」と考えてしまうのです。
 また、「日本はこういう国だから」「我々はこういう会社だから」といった先入観にとらわれた状態のアイデンティティ・トラップも、デジタル化が遅れた要因の一つだと思います。
 アイデンティティは大切ですが、それが強すぎると変化への対応が難しくなってしまう。
宮田 神岡先生のご指摘の通りですね。
 “ものづくり”は日本が誇る文化ですが、世界のビジネスの潮流は今、“価値づくり”へとシフトしている。ものづくり文化は大切に守りつつも、価値創造にも力を入れていかねばなりません。
 GAFAM(※)のビジネスとは、まさに価値創造です。
 例えば、Amazonが支持されるのは、商品をたくさん揃えているからではありません。データを活用し、“必要な商品を効率よく探して購入できる”という顧客の体験価値のデザインがしっかりなされているからです。
※ 世界を席巻する5大IT企業。Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoftを指す
 こういったデジタル化の体験価値について、行政がうまく伝えてこられなかったことも、日本のデジタル化が遅れた要因だと思います。
宮田 デジタル化を進めるには、私たちの暮らしがどう豊かになるかを説明するプロセスが不可欠です。そこを飛ばして、「マイナンバーと銀行口座を紐付けます」と言うから警戒される。
 例えば「真面目な納税者を守るために」「緊急時の迅速な支援に向けて」といった意図やメリットを伝えていけば、もっと国民からの理解・協力は得られるはずなのです。
 日本人は「プライバシー意識が高く、データ提供に慎重」と思われがちですが、説明を丁寧に行った上で、活用主体が信頼できる場合は、そうではないことが調査でもわかってきています。
神岡 日本は、良くも悪くもムラ社会の気質を持っている。だから、「自分たちサイドの人間だ」と認識されれば、データ提供への抵抗は下がると思います。
 とあるスーパーの例ですが、顧客データを集めようとショッピングカートにタブレットを付けたところ、当初はほとんど利用されなかった。
 しかし、「お客様の便利のために」という観点で改良し続け、利用率が5%から30%まで上がったそうです。
 データを取得する側がどこを向いているのかを、国民は敏感に感じ取っている
松井 先生方のお話を伺っていて、中国の平安保険の事例を思い出しました。
宮田 あれはDXの好例ですよね。保険会社という既存の枠組みから抜け出し、自らのビジネスをつくり変えていきました。
 保険契約を売って終わりではなく、病めるときも健やかなるときも、顧客に徹底的に寄り添うビジネス戦略で、今や中国有数の大手金融総合グループへと変貌を遂げています。
神岡 データは昔、人々を管理するためのものでした。それは今でも役割の一つではありますが、これからは平安保険のような“人々に価値を提供する目的”が重視されていくでしょうね。
宮田 そうですね。「データ駆動型社会」というと、まずデータありきに聞こえるかもしれませんが、データそのものは、激変する時代を照らし、この先進むべき道筋を考えるための道具にすぎない。
 何のためにデータを使うか。その先にどのような社会を実現したいのか。まずはビジョンを考え抜かねばなりません。
松井 今や、個々の暮らしや生き方に合った価値をもたらすようになったデータは、人々の理解や協力があってこそ、共有財となり得る。
 データを提供した結果、自身の価値観に合う豊かさを享受できるのか。そういった視点で、ユーザーがデータの提供先を選択する社会になるかもしれないですね。

ヘルスケアデータが“多様な幸福”を実現する

松井 日本では、私たちのフィールドである医療・ヘルスケア業界をはじめ、産業それぞれにDXの課題を抱えています。どんな業界、あるいは企業が先陣を切るでしょうか。
宮田 松井さんがいるから言うわけではないのですが、医療やヘルスケアのデータをどう活用するかが社会全体のDX推進のカギになると考えています。
松井 宮田先生の著書『共鳴する未来』でも、「データ駆動型社会はヘルスケアから始まる」と書かれていますね。詳しく伺いたいです。
宮田 先ほどお話ししたように、データ活用の第一歩である“データ取得への理解”が人々から得やすいからですね。
 これまでのデータ駆動型社会では、GAFAMのようなテックジャイアントがデータを独占し、そこから生まれる富までも独占する構図が生まれていました。
 しかし、EUが2018年に施行したGDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)をきっかけに、データの取得と利活用の目的は、ソーシャルグッドなものであることが前提となりつつあります。
 Googleは“AI for Social Good”、Microsoftは“AI for good”、Facebookは“Data for Good”……と、みな一様に、自分たちのど真ん中のビジネスによる社会貢献を謳っている。
宮田 ただ、一口にGoodと言っても、人権や環境といった価値観は多様です。
 そんななかで「あなたの健康の実現のためにデータを使わせていただきます」という医療・ヘルスケアの話は、ユーザーにとって極めてわかりやすいですよね。
 さらに、この領域のデータはパーソナルデータとの親和性も高いと来ています。そうなると、必然的に医療・ヘルスケア領域への異業種参入がますます進むでしょう。
 AppleのCEOティム・クックも、2019年頃から「Appleは人類の健康増進に貢献した企業として歴史に名を残したい」と打ち出し始めています。
 だから、人々の多様な幸福を引き出すデータ駆動型社会において、医療やヘルスケアのデータが重要な基盤になっていくはずなんです。
松井 その意味では、日本の潤沢な健康診断データは宝の山ですよね。
 でも、まだ十分に活用されているとは言えず、我々IQVIAも健康診断データを活用したサービスを立ち上げ、さらなる拡張を企画しているところです。
 診断データから健康レベルをABCD判定するだけでなく、AIで疾患リスクを予測したり、食品会社や保険会社、スポーツジムと連携しながら、日々の健康増進に役立ててもらったりすることを進めています。
宮田 日本の健康寿命は世界トップレベルで、65歳以上の健康なシニアがたくさんいらっしゃいます。つまり、“病気になる前のデータ”が膨大に蓄積されている。
 こうした日本の持つヘルスケアデータには、世界的に見ても豊かなソリューションを生み出すポテンシャルがある
 健康診断データの活用は、まさにその先鞭をつける取り組みだと思います。
神岡 単一のデータでわかることには限界があって、時間軸や場所といったあらゆるデータをつないで初めて見えてくるものってありますよね。
 アメリカは“Winner takes all”で、勝ち組がすべての利益を持っていきますが、それは日本社会の気質として受け入れにくいですし、これを1プレイヤーで成し遂げることは不可能。
 ヘルスケア業界を中心に、さまざまな企業と連携しているIQVIAさんのような存在が、組織の枠を超えたデータ共有を促進し、もっと柔軟に活用できるような社会になるといいですね。
宮田 その通りですね。自社の外とのデータ連携は、GAFAMもまだ苦戦しているところなので、日本にとって大きなチャンスです。
 ちょうど今、国民健康保険と連携して共同研究をしているのですが、パブリックデータの情報量は凄まじい。
 これらを民間のデータとつなげられれば、全国の医療資源をどう使うと、国民の健康が効率的に維持していけるかわかる。計り知れない可能性が眠っていると感じます。

“トラスト”はデータ活用の大前提

松井 今年は宮田先生のお声がけで、LINEアプリを活用した「新型コロナ対策パーソナルサポート」プロジェクトで、データ解析ツールを開発させていただきましたね。
宮田 あのプロジェクトは、IQVIAさんなしには成立しなかったと思います。
 我々が担うのは、あくまで分析までであり、最終的にそのデータで対策を打つのは行政側。どうすれば彼らがデータを活用しやすいかを考え、フィードバックもデザインしながらデータを取得する。
 こういった“体験価値を起点に分析する”というのは、研究者にはなかなかない視点です。
 それでいて、データの不確実性や多様な分析手法のような専門分野への理解もお持ちなので、我々データサイエンスチームも大きな信頼を寄せていました。
松井 ありがとうございます。みなさんと密にやりとりを重ねながら、スピード感を持って進められたおかげです。やはり、関係者間の信頼関係は大事ですね。
神岡 データ駆動型社会では“トラスト”が大前提ですよね。データを提供した結果が目に見えるようになれば、国民の間にもトラストは自然と醸成されていくと思います。
  日本政府はこれからデジタル庁をつくり、あらゆる分野でDXを進めていくはずです。
 「国はデータをポジティブに活用してくれる。だから安心してデータを預けられる」と国民が思える環境をつくることが求められています。
宮田 LINEの全国調査では、そのトラストが機能していたと思います。
 今回の調査でLINEは、前例のない“日本全国8400万人のユーザーへのプッシュ通知”という伝家の宝刀を抜くことになった。
 そこで我々に求められたのが、データ提供に協力してくれるユーザーのために、即日で分析結果を渡すことでした。
 正直なところ、かなりシビアな条件でしたが、これはデータ駆動型社会におけるプラットフォーマーとして非常に正しい姿勢だと感じました。
 公益目的であることにあぐらをかいて、データからつくり出した価値を還元しなければ、国民にはいつまでたってもデジタル化のメリットが伝わらないし、トラストも醸成されない。
宮田 データを活用する行政や企業、私たち研究者は、データ活用に際してはそのビジョンをしっかりと説明する責任がある。
 データを取得した後はひたすらフィードバックを返しながら、ユーザーの信頼に応えるデータ活用ができているかを問い続けていく。
 そうしてユーザーとコミュニケーションを取り続けることが大事だと思います。
 社会はすでに、データを使わないと利益や富を享受できない環境にシフトしています
 ただ、どのようにデータを共有して価値をつくり出すかについては、いくつものシナリオがある。
 私もそのシナリオを考えるプレイヤーの一人として、よりベターなデータ活用について模索し続けていきたいと思っています。
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