選択的夫婦別姓、漫画が描いた「ある事実」。作者が伝えたい「だから、大丈夫!」
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注目のコメント
ここまでわかりやすくしても理解できないのかな。ちなみに選択的夫婦別姓反対派の大物議員と話ししたら、子どもは息子さんだけだそうで、娘さんだったら意見変わるんじゃないですかと言ったら絶句してた。本当に想像できてないみたいです。
やっと選択できる時代が来たか・・むしろ遅いくらいだ・・と思っているくらいなのに。
私は出来るなら旧姓がいいですね。
記事とは角度が違うけれど、今まで築き上げた実績が、苗字が変わると途端に検索に載らなくなるんです。
ネット上では旧姓と新姓でまるで別の人間みたいに。
働く女性のために!なんて言っておきながら全然周りが見えていない。
環境が新しくなるなら、古い制度も新しくしていかないと。ちがう。そこじゃない。
明治政府が設計した、「氏、姓、家、苗字を全て一緒にして、しかも戸籍+姓名を主キーにしてデータベース管理しようと試み、更に結婚すると戸籍を一緒にしてどちらかの姓に合わせる」と言う仕組みがボンクラなのです。
それによって生じた弊害である「姓(せい)の問題」について、賛否の二項対立な議論によって、対処療法的にこのボンクラな仕組みを維持しようとするのがダメだと申しているのです。
家族の絆の話ではありません。
血筋を示す「姓」ではなく、先祖代々の「氏」や「家」の継続(ひいては国"家"の継続)が弱まる事が問題だと申しているのです。
かつて西ヨーロッパや日本がモンゴル帝国に占領されなかったのは、「先祖代々の土地を守るために必死に抵抗した」という側面が大きいのです。
先祖代々の土地を守るという考え方は、名前では「氏」として現れます。
Patoriotizmの語源は「先祖代々の土地」です。
一方、国民同士お互いさまの気持ちという連帯感、即ちNationalizmの語源は「出産、血統」です。
これは割と「姓」の考え方に近いでしょう。
従って日本では、名前には「姓」に加えて「氏や家」を示すものの両方が含まれているべきだと考えます。
選択的夫婦別姓の問題は、
「先祖代々の姓を大切にしようとする【先祖と子孫に関する気持ち】」
ではなく
「長らく生きてきた自分の姓名を変更し、それに伴う手続きをどちらかが一方的に負う【現代を生きる人のアイデンティティに関する気持ち】」
と言う事だと思います。
単に選択的夫婦別姓にして、現代を大切にする事で過去を無視すれば良いと言う問題ではないと私は思います。
同様に、過去を重視して現代の問題を無視すれば良いと言うのも異なると私は思います。
先祖代々を思えなければ子孫の事を思えないのと同様、現代がなければそれもまた子孫の事を大切にできないので、【これらを両立する概念】が新たに必要なのだと思います。
更に言えば、「戸籍」には殆ど意味がないので廃止しても良いと思います。
江戸時代の「どこどこに住む誰べえ」と言う形で殿様に管理されていた制度の名残ですが、現代では江戸時代とは異なり、引っ越しても付いて回る謎の代物になってしまっています。
少なくとも結婚したら一緒にすべきだという仕組みは何の意味もないので廃止すべきです。