コロナで脚光「教育のデジタル化」 IT立国エストニア快走 米中韓は課題も
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エストニアは人口130万人しかない小国で、旧ソ連からの独立後にお年寄り含めデジタルリテラシーを高めようと政府主導で努力してきた背景があり、安易に大国と比べても無意味と思います。
ただ、デジタル教育が進めば進むほど2つの格差が生まれはずで、一つはPC/タブレットや4Gが普及している地域と普及していない地域での教育機会の格差。もう一つは、授業の内容についていけず置いてけぼりにされる人との学習度合いの格差。物理的な教室に比べ、zoomなどで先生が30人近くの生徒の顔や様子を確認して、理解度を推測することはより困難です。
注目のコメント
環境整備とマインドセットが必要ということはよく言われていますが、故人的にはコンピュータを使った学習によって子どもたちの学び質がどう変容するかを問わねばならないと思っています。
個別のドリル学習やe-learningで完結するモデルは限定的に学力を向上させたい場合には有効だと思いますが、例えばいまの学習指導要領で謳われている「主体的・対話的で深い学びの実現」にどのように寄与するかということを考えなければいけない。僕なりの答えとしては、コンピュータは思考表現のツールであり、探究と共同、そして創造的ツールとし使われなければならなkと思っています。
コンピュータを使った学びのキーワードは「創造性:クリエイティビティ」です。小国と単純に比較できない、というのはその通りなのですが、例えば国ではなく地方自治体と比べるとどうなのでしょうか。国が大きいと小回りがきかないならば、国が動くのを待っているのではなく、もっと自治体や学区などで取り組めることがあるのでは?とりあえずやってみて知見を共有し、できることを積み上げていかないと、日本と先進的な諸外国との差は開く一方な気がします。
世帯年収400万円以下の家庭では、30%以上タブレットやPCを保有していません。通信環境、自分の部屋がない、家がうるさいというハードの課題に加え、親のリテラシーや教育へのコミットメントが低いため、オンライン教育を享受しにくい環境です。
一人一台PCは重要ですが、それだけでは解決できない課題があるということを深く認識して進めないと、格差は拡大する一方だと感じます。
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2020/08/seiken_200821.pdf