2020/12/7

データ後進国の日本に活路はあるか。「情報銀行」が目指す、第三の道

NewsPicks BrandDesign Editor
データ社会の到来と言われて久しい。世界中で加速度的に増え続ける膨大なデータが、ビジネスや私たちの暮らしを大きく変化させていくことは間違いない。

しかし、一方でGDPRのような個人情報保護の動きも起こり、データの利活用と規制のせめぎあいの間で、安心安全にデータを流通・活用することが求められている。そんな時代の要請を受け、今、注目されているのが「情報銀行」だ。

パーソナルデータの活用によって、具体的に社会はどのように変化していくのか。個人のプライバシー保護と便利なデータ社会の両立は可能なのか。

気になるデータ活用の未来を、NTTデータでパーソナルデータ活用の分野を牽引する花谷昌弘氏とグローバルの潮流に詳しい立教大学ビジネススクール教授・田中道昭氏が語り合う。

なぜ、私のデータが自由に使えないのか

──パーソナルデータを利用者の意思で預託し、活用を進める「情報銀行」が注目されています。花谷さんがこの分野に取り組まれ始めた、きっかけを教えてください。
花谷 お恥ずかしながら、骨折したことがすべての始まりでした。
 2016年、中学生の娘の父母で作ったチームのソフトボール大会に参加したのですが、日頃の運動不足がたたり右腕を骨折、緊急手術を受けることになったのです。
 手術は無事済み、地元の病院に転院すると「骨折時のレントゲン写真がほしい」ということに。そこで、もとの病院に依頼したところ、画像2枚で2万円という驚きの額を請求されたのです。
 なぜ、“自分のデータ”にそんな大金を支払わないといけないのか。
 もちろん手数料程度であれば理解できますが、データを病院間で連携してくださいと私が許可を出せば済むのではないか。
 これでは、再撮影の方が安価で効率的だからと、国の社会保障費(健康保険の補助金)を使ってまたレントゲンを撮る人も多いのではないか。さまざまな疑問が浮かんできました。
 このようにデータをうまく使えていないことが積もり積もって、社会保障をはじめ国の財政をひっ迫している。同様に、ビジネスの世界でも非効率なことが起こっています。
 今後、データの活用が、日本という国を維持していくために重要なことだと改めて考えるようになり、パーソナルデータの活用、情報銀行について真剣に考え始めたのです。
田中 私自身の使命感としても、日本の産業の競争力を高め、日本企業の存在感を上げていきたいという思いは同じで、多くのIT企業の戦略コンサルティングをさせていただいています。
 しかし正直、日本はデータ活用の面では世界に2、3周の遅れがあります。
 2018年頃までは、世界でも割と手放しに「データの時代」と叫ばれていましたが、2019年以降、グローバルの議論の中心は「個人のプライバシーの確保」をどうするかです。
 情報漏洩の甚大なリスクをとるのであれば、データを持たない方が賢明である、というところまで来ている。
 たとえばアップルは、プライバシーポリシーの中核に「データミニマイゼーション」、つまりは顧客のデータ取得を最低限にとどめることを宣言しています。
花谷 個人から企業への「自分たちのデータを勝手に乱用するな」という反発が、うねりとなっているんですね。
田中 そうです。データ漏洩への危機感は、2013年のスノーデンによる告発(アメリカ国家安全保障局 <NSA>による組織的な通信傍受を暴露した)を機に一気に高まりました。
 さらに反発を生んだのは、2018年のFacebookの個人情報漏洩問題でしょう。
 気運の高まりにともない、2020年1月1日からはCCPA(米国カリフォルニア州消費者プライバシー法)が施行され、オンラインでのターゲティング広告に利活用される「クッキー」が個人情報として法規制の対象となりました。
 日本でも個人情報保護法は整備されていますが、個人情報の定義も欧米と比較すると個人のプライバシー保護という視点からは劣後しています。アメリカのCCPAやヨーロッパのGDPR(一般データ保護規制)の後追いも、残念ながらまったく進んでいません。
■GDPRとは
規則では、
1. 個人が自分のデータにアクセスできる「データアクセス権」
2. 自らのデータの削除要求できる「忘れられる権利」
3. 自らのデータを他の企業に移転できる「データポータビリティ権」
が定められており、条項に違反した企業には罰金が科される。
花谷 GDPRは、ヨーロッパらしい「個人中心的」な考え方ですよね。アメリカや中国の企業に持っていかれないよう、ヨーロッパのデータはヨーロッパから出さないという決意が感じられます。
田中 個人のプライバシー意識が高いという背景はあると思います。
 日本では欧米的なプライバシーに関する気運は、さほど高まっていませんが、自分のデータを知らない間に使われることに気持ち悪さを感じる人は多いのではないでしょうか。

日本生まれのデータ預託の仕組み

花谷 データの利活用が抱える課題は、ポイントカードの不便さに似ていると思っています。
 あっちこっちに100ポイントが貯まっていても、一つにまとめられないので還元で利益を得るところまでいかず、貯めたポイントが無駄になります。
 個人のデータも、個々の企業がそれぞれの情報を囲い込んでいるから、断片的なデータからなかなか前に進まない。
 複数の企業が持つ情報を自分の意志で統合することができたら、ほしいタイミングでほしい商品情報が届くなど、個人側にとってのメリットもきっと大きくなる。
 日本の情報銀行の概念も、まさにここからきています。
 ただ、個人のリテラシーに差があるのに「今日からはあなたが自身のパーソナルデータを管理してくださいね。ただし、自己責任でお願いします」では、戸惑ってしまう人が多く生まれます。悪用を狙う人もいるでしょう。
 個人のメリットを最大化するためにも、第三者的な立場の情報銀行に安全な運用を任せることが、データ利活用とプライバシー保護の両立における、一つの解になりうると我々は思っています。

企業中心主義から顧客中心主義へ

田中 日本が独自路線をとるのは興味深いですね。ただ、情報銀行の概念を広げるにあたっては、決定的な課題があるでしょう。
 それは、日本企業は非常に“企業中心主義”である点です。
 データ活用は「企業の生産性を高めるためのもの」と認識されていて、「顧客の利便性をどう高めるのか」という議論がなかなか深まりません。
花谷 各企業が自社の利益のためにやっているのでは……という匂いがする以上、個人から情報銀行への信頼も生まれにくい。
田中 そうです。私がずっとベンチマークしている、アマゾンのジェフ・ベゾスは「地球上でもっとも顧客中心主義の会社を目指す」というミッションを掲げています。
 彼は顧客中心主義を「顧客の声を聞き、イノベーションを起こして発明し、カスタマイズする(Listen,Invent,Customize)」の3つで定義します。
 カスタマイズとは「一人ひとりの顧客を宇宙の中心に置く」ことであり、Aという人間が考える世界の中心にAがいることが、本人にとってもっとも幸福である、とベゾスは考えた。
 あくまでも、顧客の利便性を高めるためにデータを最適化している、立て付けなのです。
 では日本で、ビッグデータを集積してAIで解析し、顧客をその人の世界の中心に置くようなビジネスモデルで動いている企業が、今、どれだけあるでしょうか。
 個人が企業にデータを提供することで、具体的に恩恵を受けたと体感している人がどれだけいるのでしょう。
 そのありがたみをほとんど感じられていない今、情報銀行にデータを集めれば個人に利益があるとはなかなか考えられない。
 データによって自分の生活が豊かになった実感がなければ、自分のデータをもっとこう使ってほしいという発想も生まれてこない。
 まずは個社が、プライバシーを守りながらデータを集積し、あくまでも顧客の利便性を高めるところに立つことが大事でしょう。
 情報銀行の仕組みは、企業が本当に顧客中心思考に立脚しないと前に進みません。

データは私たちの生活を本当に豊かにするのか

花谷 おっしゃるとおりです。まさに、今ぶつかっている壁もそこにあります。
 現在、パーソナルデータの活用に関心のある企業14社と、定期的な勉強会を行っています。
 情報銀行の考え方に共感いただき、「顧客情報を一元化することで、顧客に真のメリットがあるはずだ」「何よりも顧客のためになるデータ運用を考えよう」と集まっている。
 しかし、いざアイデアを考え始めると、「うちのデータは他社には見せられません」「データが競合他社に渡ったら困る」という声が聞こえてくることは否めません。
 企業がいかにカスタマーセントリックになれるかに尽きる、という指摘には非常に納得します。
 まずは、今あるデータを活用し、データがあるメリットを感じてもらい顧客の経験値を上げていくしかないのでしょうね。そのために、まずは個人のみなさんに自己のデータの利活用に関心をもっていただきたいと思います。
田中 そう思います。その実体験がないまま情報銀行の話をされても、ピンとこないでしょう。
 まずやるべきは、企業中心から顧客中心主義に意識を大きく変えること。そして、データ活用によって顧客の利便性が高まった事例を増やしていくことでしょう。
 テクノロジーの進化は、プロダクトセントリックから、カスタマーセントリックを可能にしました。GAFAをはじめとするデジタルプラットフォーマーが提供するサービスは、自分が中心にいて便利だし、わかりやすいし、はやいし、楽しい。
 でも今必要なのは、そもそも楽しいと思っている人がいないところでの、不便を便利にするアクション。
 たとえば病院では、待たされるし、概ね楽しくはないし、ときにレントゲン写真に2万円払わなくてはいけないような不便さがある。
 そこに対して、時間やお金がかからなくなった、やりとりに温かみが出た、便利になった、といった変化を生むことに着手しないといけません。
 NTTデータには、その舵取りに大いに期待しています。
花谷 NTTデータはもともとが通信業ですから、私たちが主体となってデータを活用するポジションにはいないんです。
 あくまでもみなさんを「つなげる」ことに、我々グループの価値がある。
 情報銀行と企業、企業と個人をつなぐ際に必要なセキュリティやデータの一元管理を進めるなど、インフラ面の整備を担う形でやらせていただいています。
 2020年10月からは、最新の顧客情報を複数の企業で活用できる「My Information Tracer™(mint)」というサービスを始めました。個人や企業が、いざデータを利活用したいとなったときの環境を用意することが、我々の存在意義。
 特に今は、個人のみなさんの声を集めて大きくするアクションができればと思っています。それが、カスタマーセントリックの実現のきっかけになればと考えています。

データを活かしたスマートシティ構想の先に日本の活路がある

田中 私が今後の日本の活路だと考えているのは、スマートシティ構想です。
 GAFAやBATと争う次なるフィールドは、特定の事業と特定のサービスではなく、エコシステム全体。Googleやアリババのスマートシティ構想もかなり進んではいますが、まだ決着がついていない領域です。
 2020年3月、「NTT×トヨタ自動車」という、通信とモビリティの二大国際企業が業務提携をしたことは、世界に大きなインパクトを与えました。
 NTTグループは、2018年の段階でラスベガス市とスマートシティの共同推進プロジェクトを行っていますが、その際「データの所有権は市にある」というスタンスで運営されていますよね。
 データは自分たちのものだ、というGAFAとは異なります。
 住民の許可を得ながらデータの利活用を進めようという姿勢は、スマートシティ構想において重要な点であり、情報銀行との掛け算で推進できる可能性があると思っています。
花谷 ヨーロッパのスマートシティでは、自治体が中心となったデータ活用がかなり進んでいます。日本の地域創生の一環として、学ぶべきところが多いですね。
 最近私たちも、「地域情報銀行」という概念を打ち出しています。
 日本では、地域経済圏内でデータを共有できなければ、中小企業のデータ利活用のハードルが非常に高い。現在は、データを保有していることが競争優位になっているからです。
 データを許諾された誰もが使えるようになることで、中小企業にも戦う武器ができ、データを顧客のために活用できることが競争優位へと変化していくと思います。
 そのためには、情報銀行が「ソサイエティOS」のパーツとして活用され、地方企業での共同利用データを使った商品開発事例などにつながっていくことが理想です。
 もともと、官と民の連携の強さは、日本の特色の一つ。
 当社は、金融業界を横断したネットワークをすでに持っており、その社会インフラを活かすことで、データの保有から活用に向けた流れを加速できる。官と民をつなぐ社会的責任があると考えています。
田中 世界に出遅れているからこそ、日本には参考にすべき先進例や失敗例がたくさんあります。テクノロジーにおいては、GAFAと比較しても先行者利益を持つ分野もある。
 そんな日本だからこそ、「データの利活用」「セキュリティ強化」「プライバシー保護」を同時に達成できる可能性もあるでしょう。政府のデータ庁創設も一つの機運になる。
 情報銀行によって顧客中心主義の視点でのデータ活用が進めば、地域の底上げから始まる、日本の競争力強化につながるのではないかと思います。