なぜ数学を勉強しなければならないのか 長年の疑問をチコちゃんが解説
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普通過ぎる、というのもあるが、「数学をやると論理的思考が身につく」ってほんとかなと疑ってしまう。言語を使っていれば、あらゆる場面で論理的思考は出てくるわけで、数学でなければならない理由にはならない。
世界は「数学」と「数学っぽいもの」で溢れている。
しかし、やらなければならないものなどないのであり、やりたい人がやればよいのである。それが数学っていうもの。
ただし、やればものすごく奥深い世界が待っている。
人間の思考能力や創造性の無限性を感じさせる。数学をただやっても論理的思考は身につかないと思っています。
答えを一致させることを勉強だと思っている人は多くて、そういう人は全部暗記でなんとかなると思ってる。そのタイプは高校2年の頭ぐらいから数学ができなくなる(点数が取れなくなる)ことが多い。果たしてそれを数学を学んでいると言えるのか?それじゃダメだと伝えたいけど伝わらない日々に苦しんでいます。俺は理系だったけど、論理的な思考とか身につかなかったなあ笑
確かに証明だのなんだのは出てくるが、
論理性を云々出来るようになるには、出てくる要素が少な過ぎて実践的ではない気がする。
だからむしろ、論理性よりも偏った正義イメージに則した吟味という感じになってしまって、自分のイメージに反したものは「不正解」というような思考になってしまった。
自分にとっては悪辣非道に思える言説も、筋を通していれば論理的であるし、良いことを言っているようで矛盾だらけな言説というのも沢山ある。
そういうことが分かってこないと、論理性や客観性というのは身につかないと思う。
(そして、世の中の大人たちがどれだけそのような矛盾にすがり、救われているのか、ということも、いつか知るようになる笑)
だから、論理的な思考の開拓って、むしろ国語系の課題な気がする。
俺はセンターの現代文1(1aではない)を50%取れなかった笑(もちろん平均未満)
数学で主にやっていることって、それよりも物事の抽象化とか一般化、普遍性の探求とかそっちのイメージの方が俺はしっくりくる。
三角形の性質とか直線の性質とか数学で出てくるけど、現実にはそんな真っ直ぐな直線は無いし、ピッチリした三角形なんて描けないし、ナノスケールまでピッタリ1キログラムなんて計量も、高度な機器を使わない限り現実的ではない。
数学で出てくる直線や三角形や整数なんてものは、全て現実のものではなく、プラトンの言うイデア的なものである。
でも、そのような思考が、エッセンスの抽出が、現実において非常に有用で、他の動物には不可能なホモサピエンス的な営みである、ということを、数学では学べる、と思う。
というか、そういう教え方をした方が良いんでないかな。
大学でやる数学も、このような発想の延長線上にあるから、より高度な数学へもより自然に進んでいけるようになるかも知れないし、
文系方面でも、プラトンのイデア思想から、思想哲学のモダニズム、その栄光と挫折、そこから生まれたポストモダニズム、更にその挫折…というところくらいまで興味を拡げていけるんではないかな。