今、教室でドリルを解く意味とは。2020年に問い直す“学校の価値”

2020/9/18
 Covid-19が猛威を振るい、学校が一斉休校となったのは今年3月。
 子どもたちの学びが止まるという懸念が広がるなか、オンライン授業化の流れで、にわかに注目を浴びたのがEdTech(Education+Technology)だ。
 「日本の教育をアップデートする奇跡的なチャンスが、ただのブームで終わりかねない」
 そう警鐘を鳴らすのは、NTTコミュニケーションズでクラウド型教育プラットフォーム「まなびポケット」を中心としたSmart Education事業を担当する稲田友氏と、“学び合う学習環境”構築を目指す授業支援システム「schoolTakt(スクールタクト)」を手掛けるコードタクト代表の後藤正樹氏だ。
 私たちがまだ知らない、EdTechの真価と未来が語られる。
インターネット、スマホ、SNS、Zoom、5G……テクノロジーの進化によって、社会はどんどん繋がっていきます。
人と人、人と社会との距離を超えながら、いかによりよい未来を創っていけるのかを探る大型連載「Change Distance.」。
コミュニケーションの変革をリードするNTTコミュニケーションズの提供でお届けします。

コロナ禍でも定着しなかったICT教育

──2月27日の一斉休校の要請から、オンライン学習が注目されました。学校のICT化も一気に進んだのでは?
稲田 そうですね。突然の出来事に、当初は多くの学校がICT活用に対応できずにいましたが、大きく動いたのは5月の連休明け頃。休校が再延長されたタイミングです。
 EdTech系のあらゆるサービスのアクセス数が爆発的に増加し、ダウンが相次ぐ事態に。我々が手掛けるクラウド型教育プラットフォーム「まなびポケット」も、約20倍にまでアクセス数が増えました。
 裏を返せば、恥ずかしながら今までまともに使われていなかったということではあるのですが、ICTが“学びのライフライン”になった瞬間でした。
現職では、デジタル教材プラットフォーム「まなびポケット」を担当。総務省の「先導的教育システム実証事業(平成26年度~28年度)」でプロジェクトマネージャーを務める。本業の傍ら趣味で起業し、授業記録サービス「BANSHOT」を提供。ブログで学校教育×ICTに関して積極的に発信を行う
稲田 しかし、残念ながらそれは一時の幻でした。子どもたちが学校に戻り始めた6月下旬頃には、アクセス数が急激に落ちてしまったんです。
──ライフラインにまでなったサービスが、なぜ根付かなかったのでしょうか。
後藤 結局、オンライン授業のツールを“休校という緊急事態で仕方なく使った”という人が大半だったのだと思います。
東京大学大学院総合文化研究科、洗足学園大学指揮研究所を卒業。大手予備校や私立高校での講師、教育系企業でのCTO職などを経験。2010年より授業支援システム「schoolTakt」のプロトタイプを開発し、独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)の未踏スーパークリエータに認定。15年に創業。教育・IT分野での活動の傍ら、プロのオーケストラ指揮者としても活動中
後藤 EdTechが学校で活用されるかは、現場の先生にかかっているのが実情です。
──具体的には、どんなことが障害になっていますか?
後藤 そもそも、先生のITスキルを養う場所が少ない。
 僕は今、教育学部の博士課程で学んでもいるのですが、先生の養成課程では、いまだに一斉授業が想定されている。手に何本もチョークを持って、生徒が理解しやすい黒板の書き方を習うんですよ。
稲田 旧来型の授業スタイルを学ばせておいて、いざ「授業でICT活用を」と言われても、先生が対応できないのは当然ですよね。
kazuma seki/iStock
後藤 はい。他にも学校の現場には、たくさんのハードルがあります。例えば、見せかけの平等の課題。
 コロナでの休校中に実際にあった話ですが、「全生徒に端末が配れないなら、一切使わない」というジャッジをしてしまうんですよ。自宅に端末のない生徒にだけ貸し出せばいいのでは?と思うのですが、それでは不公平感があるから、と。
稲田 ICT環境といえば、職員室で「PCの電源を入れたらトイレに行く」ってルール化している学校まであるんですよ。
──どうしてトイレに?
稲田 トイレを済ませられるくらい、PCの起動に時間がかかるんです。それほど劣悪なICT環境も少なくないということ。他にも極端な例ですが、一部の保護者から「Wi-Fiは体に危険だ」なんてクレームがついて現場が混乱することもあります。
 こうして学校は保守的にならざるを得なくなる。EdTechにとっての大きなハードルですよね。
後藤 しかし、僕が最大の関門だと考えているのは、“学びに対する価値観”。これが変わらない限り、そもそも先生はICTを活用する意義を見出しにくいのです。

学校という“場”で学ぶ意義を問い直す

──EdTechの普及には“学びに対する価値観”の変化が必要とのことですが、それはどのような変化だと考えていますか?
後藤 実は文部科学省も言っていることなのですが、「先生主体から学習者主体」へのシフト。つまり、それぞれの状況や特性に合った学び方を、子どもたち自ら選択できるようになるということです。
 既存の教育の価値観は、いまだに先生を中心とした“1対n”の世界観がベースになっている。これは、先ほどお話ししたとおりです。
後藤 学び方の要素は、授業スタイルや教材、学習計画と目標、評価システムなどさまざまです。しかし現在の学校では、教材一つとってみても、生徒自ら副教材を選ぶなんてできませんよね。
 子どもによって習熟度や認知特性は違います。本来であれば、一人ひとりに合わせて学習コンテンツを選べたほうが学びやすいはずなんです。
──たしかに、それは既存の教科書だけでは実現できない学び方ですね。
稲田 そうなんです。が、現状の学校でのICT活用は、単なるアナログからICTへの置き換えでしかなく、旧来の“学びに対する価値観”から脱却できていない。
 私たちは、今の学習環境を、そして根底にある価値観を変えていきたい。NTTコミュニケーションズの教育プラットフォーム「まなびポケット」は、そのために作ったサービスです。
──生徒自ら学習コンテンツを選ぶというのは、割とハイレベルな教育な気がするのですが……。
稲田 そんなことはなくて、例えば多くの人が経験したはずの受験勉強を思い出してみてください。
 “詰め込み型の猛勉強”という悪いイメージをお持ちの方も多いかもしれませんが、見方を変えれば、実は受験勉強って主体的な学びとも言えるんです
 目標とする志望校を自分で決めたり、塾はどこにしようとか、参考書も本屋さんであれこれ手に取って選んだりするじゃないですか。模試を受けて、振り返りをしながらまた勉強を進める。
 対して、今の学校教育は、本屋の棚に参考書が1冊しかないようなもの。教育委員会や学校が決めた教材を与えられるだけの受け身な状態です。それは先生も同じで、自分が「これだ」と思うコンテンツを選べません。
稲田 まず先生に選択肢を。そして、ゆくゆくは子どもたち自身が選べるようにしていく。そんな学習環境こそが、主体的な学びを実現するんです。
 後藤さんが開発された「schoolTakt(スクールタクト)」は、まさに主体的な学びを体現しているサービスです。2017年から、まなびポケットのアプリケーションの一つとして参画してもらっています。
後藤 2010年から僕が個人で作り始めたシステムです。総務省の「先導的教育システム実証事業」に採択された2015年に起業しました。そこで稲田さんと出会って。
稲田 当時、私が実証事業のプロジェクトマネージャーを務めていたんです。schoolTaktがめちゃくちゃいいサービスだったから、後藤さんに「契約したいので法人化してください」と頼んだんですよ(笑)。
──稲田さんがschoolTaktに惚れ込んだのはどうしてですか?
稲田 「協働学習」に着目していたからですね。従来の学習のあり方を根底から変えようとしているんだと、一見してわかる稀有なサービスでした。
後藤 schoolTaktは“みんなで学び合う”がコンセプト。これが、僕の考える学習者主体の学びです。
──学び合うとは、具体的にどういった学習スタイルになるのでしょうか。
後藤 実例をお見せしましょう。これは、ある小学校での算数の授業です。
 よくある計算ドリルを使っているのですが、トヨタのカンバン方式のように、黒板にネームプレートを貼ります。
「①計算ドリルクリア」「②計算ドリル 丸つけ・直し」「③まとめ」などのステータスが可視化されている様子(画像提供:小金井市立前原小学校)
 そして、どの児童が今どのフェーズまで進んでいるかを可視化するんです。これなら先生も、途中でつまずいて困っている児童を助けられる。解き終わった子は、schoolTaktで振り返りをします。
schoolTakt上に「割り算が少し苦手でした。友達や先生の意見を聞いて……」と授業の感想を書き込む児童(画像提供:小金井市立前原小学校)
後藤 最後に、みんなで振り返りをシェアします。すると、「他の子もここでつまずくんだ」とか「私はこれが得意なんだ」と、メタ認知できる。そうやって、お互いの学び合いが進むんですよね。
 普通は計算ドリルって、黙々と1人で解くだけ。じゃあ、それを学校でみんな集まってやる意味は何かというと、このような協働学習にあるんです。
 手前味噌ですが、私は結構勉強ができたほうなので、いつもさっさとドリルを解き終えてボーッとしていた。今思うと、すごくもったいない時間でした。
 脳みそをフル活用している時間が長いほど、学びは深くなる。習熟度の高い子が解き終わった後、困っている児童に教えれば、互いに学びの時間が伸びていくわけです。
──こうした体験の積み重ねは、先生だけでなく、生徒の学びに対する価値観にも影響を与えそうですね。
後藤 そうなんです。僕が本当におもしろいと思うのは、学校という“場”の再解釈なんです。
──学校の再解釈、ですか?
後藤 例えば、スマホが出てきて、紙の地図や電車の時刻表を見なくなったじゃないですか。つまり、道具によって人の行動や価値観は変わる
 同じように、schoolTaktによってリアルタイムで生徒の状況が把握できるようになれば、先生から「自分が教えないほうが、みんなが考えるのでは」みたいな発想が生まれると思うんですよね。
 そうやって学び方の価値観が変われば、単なる“勉強する場”だった学校そのものが、“学びを共有する場”という価値を持ち始める
 つまり、優れたツールは教育現場の行動やマインドを変えていけるはずだ、と。そういう現場をいくつも見てきたし、それを信じて僕らは取り組んでいるわけです。
後藤 EdTechにも種類があって、ほとんどのサービスは既存の学習ステップの最適化に注力しています。例えば、AIを使ったドリルは、学びの階段を一歩一歩上りやすくするツールですよね。
 でも僕がより重要だと思うのは、段差を上りやすくすることではなく、そもそもどこに向かう階段なのかとか、階段自体をどれだけ彩れるか。
 学問って効率よく済ませるべきことではなく、本来、学ぶこと自体に楽しさを見出せるものなんですよ。
 先生たちって、もともと子どもたちの成長や喜ぶ顔が見たくて、この仕事を選んでいる。だから、「schoolTaktを使って授業をすると、子どもたちが楽しそう」と、そんなふうに先生自らが使いたくなるツールを目指しています。

コロナとGIGAの重なりがチャンスを生む

──では、やや引いた視点の話に移って、日本の学校教育は今後どうすればうまくいくと思いますか?
稲田 そうですね。少し大きな話になりますが、日本の学校教育は、Society3.0(工業社会)からSociety4.0(情報社会)へのシフトチェンジに失敗したというのが現状だと思います。
 大量生産時代に適応した「教え込み型学習」は、北海道から沖縄まで一定レベルの教育を均一に施すという意味では成功です。しかし、その後の「ゆとり教育」や「総合的な学習」がうまく機能しきらなかった。これが今に尾を引いています。
 ただ、Society5.0(超スマート社会)が到来するこのタイミングで、一気に4.0を飛び越えてジャンプアップできる望みはあると、私たちは考えています。
──というと……?
後藤 そもそも学習方法には「系統学習」と「経験学習」という二つの方法論があります。
 前者はいわゆる「教え込み型の学習」、後者は「問題解決学習」ともいわれるんですが、先ほど稲田さんが言っていた「総合的な学習」が後者に当たります。
 文部科学省の学習指導要領を見ると、実はすごく良いことが書かれているんですよね。
稲田 総合的な学習って、非常に教育的価値がある一方で、端的に先生の手間と時間がすごくかかるんです。
 例えば「私たちの住む街について調べましょう」みたいなお題が与えられて、子どもたちが自主的に調べるわけです。でもこれって、かなりの地域差があるし、地域住民の協力も得なきゃいけなかったりする。ただでさえ忙しい先生方にとって、かなりの負担増です。
後藤 でも今はICT教育によって、密度の濃い経験学習が比較的簡単にできます。
 もし「未来の車を考えよう」ってテーマを子どもが掲げたとしたら、今は実際に自動車会社のプロのエンジニアとZoomで繋いだりして、たくさんのことを教えてもらえる。
後藤 身も蓋もない言い方をすると、従来はこういった「オルタナティブ教育」って経済的に裕福な家庭の子どもたちしか受けられませんでした。しかしICT教育が浸透すれば、幅広い層が低コストで質の高い教育を受けられる可能性が出てくる
 文科省の掲げるGIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想には、「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質・能力を一層確実に育成できる教育ICT環境の実現へ」という優れた理念があるんですよね。
稲田 多くの教育政策は、理念は優れていても、学校教育では運用がうまくできなかったものが多い。GIGAスクール構想もそうなりかねないと危惧しています。
 文句ばかり言うのもなんですが、やはり当事者として触れずにおれないのは、国のKPI設定の偏りについてです。
 GIGAスクール構想は、「一人1台端末」や「高速大容量の通信ネットワーク整備」ばかりが注目されがちですが、端末やネット環境はあくまでも手段であって目標ではない。
 学校のICT環境を整えることで、どのような教育を達成したいのか、さらにその手前で“どれだけ活用されているのか”をKPIに設定しないといけないと考えています。

事業のKPIは、売上よりも活用率

──コードタクトは2019年末、これまで協業してきたNTTコミュニケーションズの連結子会社になりました。この決断をしたのはなぜでしょうか?
後藤 学校教育に参入するには、地方自治体の教育委員会の入札案件を受注しなければなりません。どうしてもベンチャーには難しい領域です。
 入札については、起業する前から課題として認識していたので、広いネットワークを持つNTTグループと手を組めたことは、大きな意味を持ちます。
後藤 そもそも公教育はあまり儲からないマーケット。それでもやっているのはソーシャルグッドというか、世の中にいい影響を与えたい一心からです。
 よく他の取締役にも怒られるんですが、会社の成長とか考えてなくて(笑)。いかに子どもたちや先生が使って意味のあるものを作るかしか、僕の頭にはないんです。
稲田 経営者としては失格ですね(笑)。
──ユーザーが学校ということは、先生や親御さんがこの記事を読んで、導入したいと思っても……。
稲田 残念ながら、できないんですよ。
 でも、そういった声にお応えできるように、まなびポケットは基本料を無料にしています。まなびポケットから提供するschoolTaktに関しても、今は1年間無償キャンペーンを行っています(※2020年9月現在)。
 そうすると、教育委員会といった意思決定者を通さず、学校長の決裁で導入可能になる。先生は校長に「申し込もう」と言えば、使える可能性がありますね。
──ICT教育の普及には、まだまだクリアしていくべき課題が多々ありますが、直近では何に注力されますか?
後藤 僕がまずやるべきだと感じているのは、先生に日常的に使ってもらえる仕組みづくりです。
 全国的にはまだまだ活用してもらえてない。「すごく使っています」って学校でも、話を聞いてみると「週に1回」とか。それでは変わらない。
稲田 ビジネスなので、当然お金も欲しいけど、短期的な売上とかを目標にしていたら、本当の目標を達成できない。
 NTTコミュニケーションズが掲げる「Smart World構想」は流通するデータを利活用するっていうアプローチなんですが、そのためにはまず利活用するデータそのものが必要です。
稲田 これからGIGAスクール構想でユーザーは右肩上がりに増えていくはず。まなびポケットも、もうすぐ100万IDに届く勢いです。
 でも、使われなければ価値はない。とにかく学校現場で使われるように、どのようなメソッドを開発できるかが、向こう2〜3年でフォーカスしていくところですね。
 もっと先生や学校に使ってもらいやすくなるように、まなびポケットでは定額制のサブスクリプションプランの導入なども検討しています。
後藤 データに基づいたエビデンスで、EBPM(Evidence-based Policy Making:証拠に基づく政策立案)ができるような文脈に乗せていけたら理想ですよね。
 教育って国民全員が受けるものなので、誰でも意見が言いやすく、信頼性の低い個人的な経験ベースで論じられがち。蓄積したデータを利活用して、より建設的に新しい学びのあり方について議論ができる社会をつくっていきたいですね。
(構成:安里和哲 聞き手・編集:中道薫、中島洋一 撮影:森カズシゲ デザイン:岩城ユリエ)