異分野の5人が京都で語る、伝統産業の現在とこれから

2020/9/13
コロナ禍で祇園祭も姿を変えた夏の京都。宗教、医学など異分野の5人が、伝統産業の現在とこれから、文化を未来につなぐ次世代のコミュニティーの在り方を探った。

【出席者】藤井浩一(藤井絞4代目)、松山大耕(退蔵院副住職)、石川善樹(予防医学研究者)、佐渡島庸平(コルク代表)、宮田裕章(慶応義塾大学教授)
【聞き手】THE KYOTO 編集長・各務亮

観客は「舞台装置の一部」

──今年の祇園祭は、山鉾巡行など多くの行事が中止となるとともに、屏風や絵画、織物などの美術品を飾り付け、道行く人たちの目を楽しませる「屏風祭」も行われることはありませんでした。このような状況下、地域性や物理的距離に捉われない文化を支える新しい社会の在り方、コミュニティーが必要だと考えています。まずは第一印象をお聞かせください。
宮田 この場所で一つの世界が表現されていると感じます。奥行きのある建物の途中にある色とりどりの屏風によって、一貫する美意識の中でさまざまな世界が表現され、みる側の想像力をかき立てます。
また最深部にある庭は、遠近法の効果とともに空間に広がりをもたらし、幽玄の美を引き立てています。一般的な催しとして知られる祇園祭だけでなく、そこに生きる人々のスタイルが「舞台装置の一部」として響き合って文化が生まれていることを実感できました。
「文化・歴史」を一緒に紡ぎ合って後世に繋ぐという「共創」を藤井絞さんが行い続けていることに敬意を感じます。
藤井 京都の町家は「ウナギの寝床」といって間口が狭く、奥に長い造りになっています。祇園祭の期間中、うちでは4間に加え、坪庭、そして蔵を開け放して屏風を飾り、普段とは違うしつらえで約10日間お迎えします。
現在、山鉾は33基ありますが、その発祥は869年の貞観地震にさかのぼります。疫病退散を祈って神泉苑(京都市中京区)に当時の国の数である66の鉾を建立したことに由来し、昨年1150年を迎えました。
祇園祭は7月1日から31日までさまざまな神事、行事が行われますが、33基のうち23基が、前祭(さきまつり)の7月17日、夜に行われる神幸祭(しんこうさい)に先立って、街を浄化するために巡行します。
六角町(藤井絞が位置する町内)が継承してきた北観音山は、24日に行われる後祭(あとまつり)でほか9基とともに巡行します。祇園祭をご覧になられたことはありますか。
宮田 例年、この時期の京都の込み具合はすごいですから。暑さも相まって近づく機会がありませんでした(笑)。
藤井 確かに本当に暑いし大変ですからね。ただそんななか、山を皆で守ってきたわけです。今はホテルになっていますが、うちの向かいは、呉服屋から百貨店になった松坂屋さんがありました。
その西側には、三井両替店(現三井住友銀行)があり、それら豪商がこの町を支えていました。当時の松坂屋と三井両替店が、それぞれ金千両を、住民たちが500両を用意して北観音山を大きくしたと伝えられています。 
山や鉾は、16~17世紀のペルシャ絨毯(じゅうたん)など絢爛豪華な懸装品(けそうひん)に彩られます。いかに神様の目を楽しませるか、いかに風流(ふりゅう)かを重んじて、普段とは違うもてなしをすることを習わしにしてきたことを示しています。
「見栄の張り合い」とも言えますが、各時代における町衆のプライドが祇園祭を培ってきたと言えるでしょう。

理解阻む「入口」の分からなさ

──六角町もかつては、多くの呉服屋さんが並んでいましたが、年々廃業が続き、現在では数えるほどになっています。お話にあったように、かつては豪商たちが美を競い合うことで伝統が紡がれてきましたが、ホテルやマンションが立ち並ぶなか、今後、伝統に携わっている方がどのように祭りと向き合っていけばよいか、あるいは、文化を支えていくための現代的な町衆の生み出し方などアイデアはあるでしょうか。
石川 私もそうですが、文化や伝統に興味はあっても、どこから入ったらいいのか分からない人は多いと思います。たとえば、京都の文化といっても、歴史があり過ぎるので入り方に悩むんです。
藤井 実は私は神戸出身で、婿入りの呉服屋主人なんです。着物も京都も知らずに27歳で来ましたから、まずはとにかく着物を着るところから入ってみようと思いました。この業界は案外、スーツを着ながら着物を売っているんですね。それでは伝わらないなと。
また、京都生まれの周囲の方々とはスタートが違いますから、興味を持って好きにならないと追い付けない。そんな経験から言うと、とにかく興味を持つかどうかでしょう。お茶やお華、お能など、まずは興味を持ったところからやってみると、それらは紐づいているので、必然的に広がっていくんですね。個々人の興味によって入口はどこからでもいいのです。

価値を響かせ合う社会へ

宮田 いまお話しされたことが世界全体で起こり始めています。皆が同じパッケージで、同じものの見方で何かを消費する社会から、一人一人がそれぞれの世界をもって、違った見え方の中で、互いに価値を響かせ合う社会への転換です。まさに「自分の好き」から入って、京都の文化に響かせていった藤井さんの経験そのものです。
しつらえを見たとき感動したのは、私たちがパッケージとして知っている祇園祭とは違った魅力です。この家の独自の歴史と美意識を感じることができる空間を通して祭りを感じることで、ただ観るのではなく、文化歴史の一部として体験する記憶になりますね。
──松山さんはコロナ禍のなか、信仰をはじめ伝統、歴史など目に見えない価値の継承について常々考えていらっしゃると思いますが、いかがでしょうか。
松山 そうですね。よく器などは「自分が買うのではなく、器が持ち主を決める」といいますが、藤井絞さんのこの空間、家屋などもそうあるべきだと思います。
例えばローマのナヴォーナ広場周辺の建物は、造られたのが300~400年前のものもあり、水回りも悪く、エレベーターもありません。ただ、そこに住んでいること自体がステータスになっています。もちろん建物の中は現代風に変えていますが、外はそのままで住んでいらっしゃる。
日本では百年単位の歴史がある多くの町家が簡単に壊されています。伝統ある諸外国と比べると、そういった感覚が日本には足りないと思います。
町家は、梅雨時期はジメジメして、夏は暑く、冬は寒い。住人にとっての利便性は確かに低いです。平均寿命が格段に上がっている現代において、外側を守りながらも、住みやすくする工夫が足りていません。それができたら、京都の室町において文化を嗜みに暮らす――。
そして、その暮らし方が、ある種のステータスになれば、感度が高く、造詣の深い人たちが再び集まる町になるのではないでしょうか。
石川 興味を持ってからも課題があると思います。伝統や文化は「常連さんしかいないバー」のような世界で、新人が入りづらい。飲食業界では「常連ばかりになるとつぶれる」という不思議な現象があるようです。なぜなら、お客さんの新陳代謝が行われなくなり、常連がいなくなれば一気に傾くのだとか。伝統や文化は、入口と入ってからの2大ハードルがありますね。

直感的な「かっこいい」が大切

藤井 そうですね。おっしゃるように、着物業界も好きな人だけが集まる傾向があり、増えていきません。だから今日は個々人に合った着物をこちらが誂えるのではなく、着物を着たことがない人が、どういった視点で選ぶか――。複数点から選んでいただきました。
「着物ってありやな」とか「ちょっとかっこええかも」みたいな気楽な感覚で、日常着の選択肢の一つに入れる感覚を持ってもらえるようにしないと、ますます縮小しますね。そういう意味で、私は常々、着物は「技術で売る」ものではないと考えています。
匠の無二の技術や手間暇がこれだけかかっているから、買ってくださいではなく、ぱっと見たときに純粋に「着たいか」「かっこいいか」が重要です。伝統的な絞りだから良い、インクジェットプリントは良くないなどはありません。直感に訴えかけることが前提で、その上に伝統工芸、技術が裏打ちされていればいいですよね。
着物も含めて伝統産業は、そういう直感的な体験、ストーリーを作ってこなかったと思うんです。
※明日に続く
(構成:佐藤寛之、写真:塙新平)
9月11日(金)開始「JAPAN MASTER CLASS

能や華道、茶道などの日本文化を担う第一人者をMASTER(講師)としてお迎えし、各領域で目覚ましい活躍をされているビジネスリーダーが弟子入りして、日本文化が大切にしている哲学や美意識を学ぶ番組です。