「アウトカム・ベース」で加速する、ヘルスケアの未来とは

2020/8/31
新型コロナウイルスの感染拡大で医療崩壊が危惧される一方、患者の“受診控え”で経営危機に直面する医療機関も出るなど、医療・ヘルスケア領域では既存の枠組みや価値観に大きな揺らぎが生じている。
オンラインによる診療や服薬指導も時限的に解禁される中、私たちはこのコロナ危機をどう乗り越え、自らの健康を守っていくべきなのか。
ヘルスケア業界に詳しいアクセンチュア マネジング・ディレクターの石川雅崇氏と、LINEヘルスケア代表の室山真一郎氏、Eight Roads Ventures Japanの鈴木利衣奈氏が、ポスト・コロナのヘルスケアについて語った。

コロナ禍で拡大した「健康の自己責任化」

──新型コロナウイルスの感染拡大で、医療の提供体制やヘルスケアに対する価値観が大きく変わろうとしています。皆様の周辺ではどのような変化が起こっているでしょうか。
石川 私はアクセンチュアでコンサルタントとしてライフサイエンス業界を統括する役割を担っており、ヘルスケア関連企業に加え異業種やスタートアップ企業の皆さんと業界の課題解決に向けた取り組みを進めています。
 こうした取り組みの中で以前から課題だと感じていたのは、「日本人の健康に対するコスト意識の低さ」。
 すべての人が公的な健康保険に加入し、3割以下の負担で医療を受けられる「国民皆保険」制度のおかげで、ちょっとした不調でもとりあえず病院に行くという人が少なからずいます。
 実際、OECD加盟国の中でも突出して病院に行く人数が多く、それが医療現場の負担や国民医療費の増大につながっていました。
 しかしコロナ禍を機に、こうした風潮に変化が起きています。感染リスクを警戒し、受診すべきかどうかを慎重に考える人が増えているのです。
 病院に頼りきりだった不調への対処を、自身でマネジメントしようとするセルフメディケーションの動きが広がっており、かつてないほど健康の維持・増進に対する意識が高まっています。
同志社大学卒業後、アクセンチュア入社。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院エグゼクティブMBA修了。現在はデジタルによる企業成長戦略や新規事業戦略の策定、全社変革を主に推進。ヘルスケア・コンバージェンスのリードとして、業界横断での変革にも取り組んでいる。グローバルにおけるアクセンチュアの知見/論考を取りまとめるデジタル編集委員の一人。早稲田大学客員教授。『サーキュラー・エコノミー~デジタル時代の成長戦略~』(日本経済新聞出版)監訳。
鈴木 必要な人だけが医療機関を利用する状況になったのなら、それは望ましいことだと思います。ただ、本当に受診が必要な人まで来院を控えることで、病状を悪化させたり手遅れになったりする状況は避けたいですね。
 受診すべきかどうかを患者さん自身が適切に判断するのは難しいので、こうした判断をサポートする“ファースト・スクリーニングのしくみ”がこれまでにも増して肝要だと感じました。
 私は今、ベンチャーキャピタルでヘルスケア領域への投資に注力しているのですが、こうした課題をテクノロジーを活用しつつ解決できる企業の登場を期待しています。
慶應義塾大学医学部を卒業後、内科医として東京都立大塚病院に勤務。公認会計士試験に合格し、ボストンコンサルティンググループに入社。東京オフィスとシカゴオフィスでヘルスケア領域を担当し、国内外の製薬会社や医療機器メーカー、病院などへの戦略コンサルティングに従事。2018年にフィデリティグループの支援に基づき活動するベンチャーキャピタルファンドであるEight Roads Ventures Japan入社、主にヘルスケア領域のベンチャー投資を手がける。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修士。
室山 私が代表を務めるLINEヘルスケアは、LINEを通して医師に健康相談ができるサービスを昨年12月にスタート。図らずもその直後にコロナ禍に見舞われたことで、当初の想定をはるかに超える利用がありました。
 あくまで相談であり診療ではありませんが、体調に不安があっても受診にためらいがある人たちの受け皿になることができたと感じています。
 そもそも当社は、オンライン診療のプラットフォーム提供を目的に、エムスリーとの合弁で2019年1月に設立した会社です。当然ながらコロナを意識したものではありませんし、当時はオンライン診療に対応できる疾患は事実上制限され、厳しいルールが設定されていました。
 ところがコロナ禍による特例でこれらのルールは時限的に緩和され、初診を含めたすべての診療科でオンライン診療が解禁。まったく予想していなかったところから、一気に風穴が開いたと感じています。
同志社大学経済学部を卒業し、住友海上火災保険(現:三井住友海上火災保険株式会社)を経てテイクアンドギヴ・ニーズ入社。事業の立ち上げや同社のターンアラウンドを担当し、CFOや海外法人の代表を歴任。その後、アマゾンジャパンのハードライン事業本部総合家電事業統括を経て、2017年にLINE株式会社執行役員、事業戦略室室長に就任。2019年1月よりLINE ヘルスケア株式会社代表取締役。LINEを通じて医師に健康相談ができるサービスをローンチ、現在はオンライン診療プラットフォームの提供準備中。
石川 コロナ禍によって一気に取り巻く環境が変わった、というのはまさにその通りですね。これまで課題意識がありながら、なかなか手をつけられなかったことに本気で取り組む後押しにしていきたいと思います。
鈴木 そうですね。例えば、自分が受けている医療が本当に適切かどうかを、患者さん自身は判断できません。
 また、十分なトレーニングを受けた医療従事者にとっても実は「最適な医療」が何か判断するのは難しいのです。もちろん、専門家はエビデンスに基づいた医療を提供しています。しかし、患者さんの状態や生活環境は千差万別ですし、「この患者さんにはこの治療で絶対に治る」などと単純に判断できる病気は多くありません。
 患者さん側のみならず、医療の専門家にとっても治療の期間やコストも含めた医療の付加価値の評価が難しい現状では、医療の質向上に時間がかかってしまうと感じます。

医療に「成果報酬型」の導入は可能なのか

石川 現状の診療報酬は、医療機関が「何をしたか」で点数化されて支払われていますが、このしくみはもう限界に来ているのではないでしょうか。
 今の枠組みの中では、医療機関側で本当に必要な医療を厳選して行う意識や、医療そのものを効率化する経済的インセンティブが働きにくく、結果として無駄が生じやすくなります。
 患者も「できる治療はとりあえずなんでもやってほしい」と望みがちになるので、医療機関に負荷がかかって必要な人に医療を届けられなくなるおそれもある。
 国民医療費が増大して日本の財政を圧迫するなど、社会保険料負担の増加で現役世代の所得を減らす要因にもなっています。
 今や、あらゆる業界で「プロセスよりも結果」の成果報酬の考え方が重視されるようになってきました。
 ヘルスケアの領域でも「何をしたか」だけではなく、「治ったか」という成果に対して医療報酬を出す「アウトカム(成果)ベース」のしくみを取り入れることで、こうした課題の多くが改善するのではないでしょうか。
出所:厚生労働省「平成29年度 国民医療費の概況」
鈴木 私が医師でありながら臨床を離れてコンサルティング業界に入った理由のひとつに、優秀な医師が正しい評価を受けられていないという課題意識がありました。
 現場には自己犠牲もいとわず患者さんのために粉骨砕身する医療従事者はたくさんいますが、こうした人たちの使命感に頼るばかりでなく、しくみとしてモチベーションを保っていくことが必要です。
 シンプルに考えて、成果で評価されるほうが医療従事者の意欲は高まるケースが多いと思いますし、患者側もより良い結果を得られやすいのではないでしょうか。
室山 私もその考え方は重要だと思っています。患者の目的は「治療を受ける」ことではなく、「早く健康になる」ことであり、重要なのはプロセスよりも結果だからです。
 当社がオンライン診療の実現に向けて動き出しているのも、既存の医療体制を変えたいわけではなく、目的を達成するための新たなツールを提供しているにすぎません。
 オンライン診療はたまたまコロナ禍で注目を集めましたが、それがなくても必要な医療にアクセスしにくい地域の人や通院が困難な人をどう救うかは喫緊の課題としてありました。
 オンラインとオフラインを対立軸で考えるのではなく、ひとりでも多くの人が健康を取り戻すための選択肢を広げ、より良い結果につなげることが重要だと思っています。
石川 オンライン診療も立派なアウトカムベースのひとつです。アクセンチュアがこの5月に日本や欧米、中国の6か国で、腫瘍や心臓病などの疾患を抱える患者2700人を対象に実施した調査では、患者の44%がオンライン診療の利用を始めたと回答しました。
 さらにそのうちの9割が、自身が受けたオンライン診療のサービス品質について「以前と同等」あるいは「それ以上」と回答しており、高い満足度を示しています。
 コロナ禍で病院に行きたくないと感じる人に新しい受診手段を提供して満足度を向上させているのは、立派なアウトカム(成果)と言えるでしょう。
出所:アクセンチュア
鈴木 そうですね。アウトカムは広い意味でとらえていいと思います。医療スタートアップの中には、医療機関での待ち時間を短縮させるシステムを開発している企業もあり、こうした取り組みも重要です。
石川 当社でも医療機器メーカーのボストン・サイエンティフィックなどと共同で、米国の医療機関でアウトカムベースのサービスを提供しています。
 その病院では、心疾患の入院患者の2割以上が退院後も再入院している状況があり、患者さんの心身や経済面の負担が大きく、院内のリソースも圧迫されていました。
 そこで、入院してから再入院するまでの過程を分析したところ、退院してから7日の間になんらかの問題が起こるケースが多いことが判明したのです。
 この分析を踏まえて、退院後に患者の食生活や運動など適切な生活習慣を指導した結果、再入院が劇的に減り、患者のQOL向上という成果をもたらしたことは言うまでもありませんが、「医療費をを80%も削減する」といった成果ももたらしました。。

持続可能なヘルスケアのしくみとは

鈴木 治療成果を評価するわかりやすいアウトカムベースの例としては、新薬の治験がありますね。治験では、新薬を使った人とプラセボ(偽薬)を使った人で、どちらの治りが良かったかを客観的に評価します。
 ただ、治験は厳格な条件下で比較するので、さまざまな患者さんがいる臨床の現場に同じように当てはめることはできません。
 例えば、生活習慣病の治療において健康意識が高い患者さんとそうでない患者さんとでは同じ薬を同じように飲んでも当然、結果に差が生じるでしょうし、それが治療の評価に直結するのも問題がありそうです。
 手術を伴う医療については、手術数が多いほど、あるいはひとつの領域に特化して手術を実施している病院ほど再入院率が低かったり、入院期間が短かいなど、アウトカムが良い、という研究もあります。
 これはおそらく、特定の手術が多いことにより医師の技量が熟練していくのに加え、術前・術後にどのようなケアを行えば良い結果につながるかの知見が病院に蓄積されていくからだと考えます。
 ただやはり、あらゆる疾患において同様な評価ができるかについては、多くの課題が残ります。
 こうした課題を解決しうるスタートアップの台頭には心から期待を寄せていますし、ぜひ支援していきたいと考えています。
室山 成果が出やすい診療科に医師が偏るなど、多くの検査を経ないと診断がつかないケースや難病の患者が置き去りにならないよう、担保していく必要もありますね。
石川 おっしゃる通り、検査や治療の成果をどう客観的に評価するかは大きな課題のひとつです。こうした問題の解決手段のひとつとして期待されるのがデジタル技術やデータの活用。
 成果に対する評価はもちろん、個別の患者に対して最適な治療を導き出すためにも、テクノロジーが役立ちます。
 これまでは万人に効果がある最大公約数的な薬の開発が重視されてきましたが、個々の患者に最適化された治療薬が求められるようになれば、データ活用は不可欠になるでしょう。
 また、健康状態は既往歴や生活習慣にも大きく影響されるので、その人がこれまでどんな病気にかかったか、どの程度運動する習慣があるか、睡眠をどれぐらい取っているかといった情報も集約し、主治医が参照して分析できるのが理想です。
 こうしたデータを統合し、生活習慣と効果が出やすい治療法との関連などを分析できれば、より良い治療成果につながると思います。
室山 テクノロジーやデータの活用に関しては、当社のようなプラットフォーマーへの期待は大きいと自覚しています。
 患者や医療従事者により良い選択肢を提供する一方で、そこで蓄積したデータでアウトカムベースの基準や根拠を示すことができれば、それがベスト。実際、アップルやグーグルなどもヘルスケア領域に力を入れており、世界的な潮流でもあります。
 ただ、健康に関する情報は最もセンシティブな機微情報であり、特定のプラットフォーマーが扱うことに抵抗を感じる人は少なくありません。ここで不信感が生じてしまうと、どんなに便利なサービスを作っても、利用されなくなってしまう。
 この点は我々も改めて留意しつつ、政府や自治体も含めた取り組みや、社会的な議論が必要だと考えています。
石川 室山さんのおっしゃる通り、個別の企業にできることには限界があります。まずは持続可能なヘルスケアのしくみについて、業界を超えた議論をしていく必要があるでしょう。
 また、国や地方自治体、医療行政の役割も大きいので、当社でもさまざまなプレーヤーを巻き込んで人々がより健康に過ごせるための選択肢を広げていきたいと考えています。
 当然、その中心にいるべきは生活者であり、コロナ禍を機に高まった健康に対する関心はずっと持ち続けてもらいたいですね。
(構成:森田悦子 編集:奈良岡崇子 写真:大畑陽子 デザイン:田中貴美恵)