なぜ教育改革は失敗し続けるのか?
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実際、「今日この日、多様な人材がいなくて困っている」なんてのがないんだろうなというのは想像が付く。
日本人という国民性が、悪い意味での同調圧力とか軍隊的な思考停止につながりやすいなかで、そもそも多様であることは「組織」というものと相当対局にある考え方、苦手分野とも言えるのではないかと。
ただ、世界が変わらないかというと変わることはある。それはイデオロギーがそだってそだってパンッてなったとき。で、おそらくその時は例えばトライセクター(民間、行政、非営利)とかが同時にそちらに向けて動いているぐらいの感じだと思う。なんとなく想像している変化としては、
・新卒一括採用の廃止、ジョブ型への変化
・模試で全国上位の高校生→東大理3という流れが「ダサい」とか「過去のもの」感が出てくる
→そもそも、模試で優秀=日本のトップ層という考え方の存在感が支配的ではなく、1つのジャンル化する
・素敵な社会人による教育貢献が今の100倍ぐらいになる
・edtech進化で先生にも生徒にも余裕が生まれ、「受験のための科目学習以外もやろう」みたいな目線になる
・SDGs、ESG投資のような流れがもっと大きくなって定着化する
→保護者にとって悩ましすぎる「子供の個性を活かす」問題がなくなっていく
とかが、トライセクターで一気に起きてくるみたいな時に、教育改革のらしき方向の進化が達成されるんじゃないかなという感じがする。
保護者の方々に話を聞くと、「個性を活かす教育」をどうするかというところに思い悩んでいるひとが非常に多かったりと、風船🎈結構膨らんでいるなと感じる場面も多いです。自分の仕事の延長のなかで、風船がはじけていろんな変化がパッと起きてくるみたいな瞬間(革命感..!?)に巡り会えたら楽しそうだなと思って仕事してますー。
注目のコメント
教育改革が、エビデンスに基づいてPDCAを回すことが目的化してしまったから。
これは官僚機構の性でもある。
というか教育そのものが、工業産業の発展のために構築されている山口周さんのブログ記事。
「誰も個性ある人材、創造性あふれる人材など、本気では望んでいない」という指摘は鋭い。
変えるためにはエネルギーがいる。0ベースで思考して、理想を思い描いたとしても、これまでの慣例に従ってしまう。楽だからだ。エネルギーを使わなくて済む。
変えるために発生する摩擦熱を超える熱量で変え続けられる人を尊重せねばならない。応援し、熱量がある人同士を繋げなければならない。教育の目的は教育基本法によると
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
となっています。
つまり、どのような国家なのか、どのような社会なのかに依存しているのです。
諸外国の教育システムだけを取り入れても、他の国家や社会システムも取り入れないとうまくいくはずがありません。
教育改革をする必要があるかどうかは別として、国家改革、社会改革(とは言わないかもしれませんが)せずに教育改革改革が成功するわけがありません。
結局できることは、授業改善等のマイナーチェンジだけです。