原爆投下で救われた多くの命、日本人も
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ちょっとこのタイトルはビックリするよ、原爆投下でいいことがあったみたいな感じで。何言ってんだ?と思った。
原爆を投下していなければ本土決戦になって、もっと死者が出ていた。原爆を投下したおかげで、それだけの死者数で済んだという話だが、日本では一発の原爆で何万もの人が死んだ、だから悲惨だという様な話をよく聞くが、原爆の悲惨さはそこではない。
全体的に日本での原爆の話は、生き残った人の亡くなった人たちに対する見た目の印象による感情論が先行しているように感じる。死んだ人間の数の問題ではなく、死にざまの問題、生き延びた後の健康被害、あるいは健康被害があるが故の差別だ。
例えば死者の数でいえば、原爆一発で1万人が死ぬのはだめだけど、1万発の焼夷弾で1万人が死ぬのはいいのか?そうではないだろう。
死にざまにしても、文字どおり即死した人は何の苦しみもなかったかもしれない。焼夷弾とか地雷なんかで腕や足を吹っ飛ばされて苦しんだ挙句に死ぬのと、何の苦しみもなく即死するのとどちらが楽か?
でも即死できなかった場合、かなり苦しんだだろう。以前テレビで見たが、熱線に肌を焼かれ、子供に腕に触れられたら皮膚がベロっと剥がれ落ちるということもあったようだ。こういった苦しみを耐え抜いて生き残ったとしても、今度は放射線を浴びたことによる癌などの病気のリスクを抱えていくことになる。これらは焼夷弾などにはない苦痛だろう。こういった点を心に留めていかなければならない。
アメリカ人は戦争を早く終わらせることができたとか、犠牲者をより少なく済ませることができたとかいうことよりも、これらは確かに事実だろうけども、もっと上に書いたようなことに目を向けてもらいたい。もちろん世界中の人にも。
でも、核廃絶は実現しないだろう。
効率的に人を殺せる爆弾として開発されたのだから、やっぱり一発で何万もの人の命が失われるというような話では、廃絶ということにはならない。
もっと効率的な大量殺人兵器が開発されれば廃絶の可能性も出てくるが、それでも、弱から強までラインナップを保有しておくのは重要だ見たいな話になって、結局廃絶されないような気がする。朝、生徒たちと昨年の広島訪問を思い出しながら黙祷を捧げました。
原爆がソビエトの進行を止めた?クリミア会議で日ソ中立条約破棄をそそのかしたのはどこのルーズベルトか?
所詮は大量殺戮の事実に対する苦し紛れの屁理屈。
もし目の前で言われたら聞こうと思う。
あなたの神はそれを許すのか?と。