2020/8/9

ハイエクの自由主義をAI×ビッグデータ時代に読み解く

黒崎 亜弓
ジャーナリスト
いま私たちが当たり前のように考える「経済ってこういうもの」という枠組みの大本には、先人たちが積み重ねてきた思想がある。時代を経て「古典」として位置づけられる書物を改めてひもといてみたい。名前は知っていても、著書を読み通したことはないという人は多いだろう。
アダム・スミス、ケインズ、シュンペーター、マルクスと続いてきた連載を締めくくるのはハイエク。経済における自由の価値を突き詰めた思想家だ。独裁と闘い、社会主義と闘い、そしてケインズ主義の福祉国家とも闘った。
解説してもらったのは、関西大学の吉野裕介准教授。ハイエクはフリードマンと並んで新自由主義の支柱とみなされることが多いが、ハイエクの自由主義は新自由主義とは一線を画したものだという。
AIやビッグデータが社会を変えつつある今だからこそ見いだす、ハイエクの「使い道」とは?

設計主義の思い上がり

ハイエクは19世紀末に生まれ、92歳まで長生きしました。20世紀を通じてハイエクがずっと対峙してきたのは、「人間は賢明である」という前提です。
20世紀という時代は、人間は合理的で賢く、すべてを見通せるという「合理主義」のもと、社会のさまざまな制度は特定の人間の意図にしたがって作られるべきだと考える「設計主義」が席巻した時代でした。
独裁国家であれば独裁者が、社会主義国家であれば党や国家が、福祉国家であれば政府や役人が、正しいことがわかるのだから、人々が何をするべきか、何を生産すべきかを決めればいい、というわけです。
こうした設計主義を、ハイエクは「思い上がり」だと諌めました。人間は本来賢い存在で、賢い人間が作る社会は良いものになる、という考えは幻想だと批判しました。
何が正しいのか、何が売れるのかは前もってわからず、間違うこともある。だから試行錯誤しながらやっていくしかないと考えたのです。
何が売れるのかわからないなか、人々が自由に創作活動ができるのは、市場があるからです。市場では財やサービスを金銭で交換するばかりでなく、アイデアやテクノロジーが生まれ、誰かに伝えられます。
人々が「これは売れるかもしれない」と考えた新製品や新技術を、誰かが役に立つと評価する。評価されたのを見て、別の人もマネしたり、改良したりする。ハイエクは市場を、知識が縦横無尽に行き交う場として捉えました。

競争が生活を向上させる

市場の競争は、貧富の格差を広げるものとして批判されがちです。金持ちが儲かれば、下々のものまで豊かさが降りてくるという「トリクルダウン」は成立しない、とよく批判されます。
市場社会には、儲ける人がさらに儲けていく面が確かにあります。
でも、たとえばユニクロのヒートテックのように、良い素材のものが安く提供され、誰でも買えるようになるのは市場のメリットでしょう。
(写真:AFP=時事)
経済的な豊かさ、つまり購買力の面ではなく、テクノロジーや情報の面をみると、世の中全体の豊かさが引き上げられることによって、普通の人の生活も豊かになるのです。
ハイエクは市場の競争を、よりよい方法の発見プロセスとして必要なものだと捉えていました。市場の競争は「誰かが儲かるときに誰かが損をする」というゼロサムゲームではなく、社会全体でより良い方法を探すためのプラスサムゲームなのです。
社会主義においては、現状をベースにして、「これを作ればいい」と計画して生産しますから、新規性は何も生まれません。今はまだ眠っているけれど、役に立つものが生み出されてくることがほとんどないのです。
それだと世の中が発展していくことにつながらない、とハイエクは考えました。

3つの敵に通じる設計主義

長生きしたハイエクの生涯で論敵は移り変わっていきましたが、大きく分けると3つ挙げられます。3つに共通するのが設計主義です。