日本はライフラインもしっかり整っているのにどうしてこんなに生きにくい国なのですか? - Quora
コメント
注目のコメント
ここで問われている「生きづらさ」はどこから来るのか。アメリカが人の生きづらさ、生きやすさという面で本当に正かどうか。よーく考えてみないといけない。
コロナ禍の今、この問いかけはこれまでとは違った展開をみている。アメリカは個々人の自由を制限せず、マスクを強制されない権利を主張できて、しかもそれが一定の支持を得てしまう状態。アメリカは自由の国でみんなが憧れる国だったはずが、一転して、非常に「生きづらい」国になりつつある。誰もが自分たちの権利をまず主張するので、Stay Home, Wear Maskと言われてもマスクもせずにデモに出かける。自分たちがもっとも正しいので、警察は間違っていて街は壊してもよい。そこに働く人たちだっているのにね。コロナはひたすらに拡散が続き、「公衆衛生」意識の無さや自由主義意識の高さが回りまわって個々人の幸せを破壊し、人々の命や健康を高いリスクにさらしている。
コロナは一過性と一笑に付すこともできるが、露呈してしまったアメリカの脆弱性はコロナ終息後も再び露呈する可能性が高い。そんなに簡単にFixできる問題ではない。
日本の生きづらさは変わらないものの、よそ様の迷惑や他人様の目、周囲の「空気」などの目にはあまり見えないが、日本社会を生きづらくしているものをすごーく尊重することを骨の髄まで叩き込まれている日本の国民性はたとえコロナが蔓延していない辺鄙な田舎であってもマスク無の外出を許さないし、普段以上に手洗いもさせている。それらがコロナ感染対策としては高い効果があり、日本の感染者数・重篤化数・死者数も先進国の中ではかなり低いレベルにとどまり、Go toキャンペーンでわーわー騒げるくらいには至極平和な国なのである。
総じて、日本は大多数の「レールから外れなかった人」にとっては生きやすい国。逆に生きづらさを感じてしまう人というのは日本が戦前から繰り広げてきた愚民政策のからくりになんとなく、気づいてしまった人たち、違和感を感じ続けている人たちなのかな、とも思う。
日本が生きづらい、と感じたときにも決して生きるのを諦めずに、どんな国ででも生きていけるだけのスキルや教育を子どもには受けさせてあげたいものです。これは久々に良記事。
新型コロナ禍以降、デジタル特需もあり「20年来こんなことなかった」くらいわたしは仕事の日々。
週7日稼働状態がもうすぐ4か月です。
でも、悲壮感よりむしろ多幸感を味わっているのは「幸せに生きるために主張し行動し続けている」結果が週7日稼働だからなのだな、と。
とはいえ、週7日稼働はそろそろお腹いっぱいかもw抽象的で恐縮ですが…
同質的であることを無意識レベルで刷り込む環境下が何十年も続くなかで、個人が自由に情報にアクセスできるようになり、個人の意向と環境の意向を合致させることが急に難しくなったからだと感じています。
しかも、記憶力の訓練ばかりで思考力の訓練は少ないため、情報の表面的な比較を通じた差の指摘に留まり、現象の発生原因にたどりつけません。仮に原因にたどりついても、その解決をシステム管理者に委ね、不平不満を言いがちです。
ただ、同質的であるがゆえに希望も共通化しやすく、システム管理者がその大多数の人が求めることを叶える政策を実現しやすい状況にあった、とも言えます。ライフラインが整ったことも同質的であることでなせたことと感じます。
また、誰が言わずとも混雑時に列をなしたり、自粛要請に協力したりできるのも無意識レベルで同質的だからだと考えます。
…とまあ、グダグダした考察はこの辺りにして、個人としてどうするか?に想いを向けると、私の好きなアニメのセリフに行き当たりました。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ!!それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!」
攻殻機動隊SAC 少佐のセリフ。シンプルにコレだなとずっと思っています。