「自粛警察」は、他人に配慮しすぎた人たちの成れの果て 是永論(立教大学社会学部メディア社会学科教授)
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注目のコメント
相互行為論による解釈では、
「多くの人がマスクをすることにこれだけ注意を払うのも、結局はこうした「他人の立場」への配慮から、非難を避けるために行なっているとも考えられる。」
自分自身に置き換えても、考えや行動を的確に表現していると感じます。
物事を善悪の2つに分けて考えるのではなく、
「なるべくこうした方がいいよね」と、
余白を持たせた考え方でいる立場に意識すると自粛警察など、過剰な批判を減らせるのでは?と思います。もちろん人のことをカテゴリー化してはいけないのでしょうが、現実問題初対面の人を私達はどうしてもカテゴリーに当てはめてますよね。
そうしたときに一昔前ならば、どこ出身か、性別はなにか、年齢、学歴など、「誰から見ても明確となりうる」カテゴリーで当てはめていました(これがよいか悪いかはここでは省きます)。これが何を表しているかというと、その人がそのカテゴリーの歴史を歩む一人として扱われたということです(例えば出身地の振り分けでその人の生き様ががその土地の歴史を主体的に作っているということです)。
さて現在はどうでしょう、今回のマスクや自粛警察の件で言えば、その行動をしているのかしていないのかだけでカテゴリー分けしていますね。もはやレッテルを貼っているといってもよいでしょう。そうしたときに(匿名も相まって)お互いの生きる背景や歴史、イメージを抱かずに相手を判断しているんですね。こうした事態を俯瞰的にみて、相手の配慮などできるのでしょうか。おそらく…無理ではないでしょうか。
社会学的に自己のアイデンティティを保ち、その裏付けとなるコミュニティの存在はとても重要とされます。今回自粛によってコミュニティが分断され、この重要性はとても顕著になったのではないでしょうか。