パンデミックに際して、私たちはいかに「移動」が現在の社会の根幹となっているかを痛感している。グローバルな移動によってウイルスが世界中に拡散し、都市封鎖や物流を制限すると、世界の経済活動が急激に減速する…。このような社会のあり方をいち早く示していたのが、社会科学において最も注目される研究者の一人であるジョン・アーリだ。

本連載ではアーリが2008年に刊行した書籍『モビリティーズ──移動の社会学』から全8回にわたって、「移動」がいかに社会の根幹を成し、社会を変えてきたかを紹介する。

社会や経済、文化を「移動」で再思考する

本書の議論を進めるために、ここで、現在の世界には主に12のかたちの移動があることを示そう。
このなかには、パスポート、ビザ、居住資格、労働資格に大いに左右されたり、それぞれの移動は、さまざまに重なりあって、互いに影響を与えてもいる。
・亡命、難民、ホームレスの旅、移民

・出張旅行・学生やオーペアなどの「海外経験」を目的とした若者の見聞旅行。こうした旅は、「通過儀礼」の 一つともなり、一般的には、海を越えて文明の中心に向かう。

・温泉、病院、歯科医、視力矯正機関などへの医療目的の旅行

・多くは一般人向けとしても広がっている、兵団、戦車、ヘリコプター、航空機、ロケット、偵察機、衛星など軍事上の移動

・退職旅行と定年後のトランスナショナルな生活様式の形成

・子どもや配偶者、親類、召使いによる「後追い旅行」

・華僑など、既存のディアスポラの内部にある主要な結節点を伝う旅と移住

・世界中のサービス労働者による、とりわけグローバル・シティへの旅

・特定の場所やイベントへの、観光客の旅行

・友人や親類を訪ねること(ただしそうした交友ネットワークもまた常に動いているだろう)

・通勤をはじめとする仕事関連の移動
以上の多様な移動を分析するには、さまざまな人や場所に対する数々の影響を検討することが必要になる。そうした人や場所は、社会生活の高速レーンと低速レーンに分かれていると言えよう。
ある者の移動性を高める一方で別の者の非移動性を促す場所、テクノロジー、「ゲート」が広がっているのである。そして、移動はしばしば義務をめぐる問題、つまり、人に会う、呼び出しに応じる、 年老いた親類を訪ねるといった義務をめぐる問題でもある。
こうした人びとの間で見られる往々にして互酬的な義務のネットワークは生活の要をなしている。すなわち、友人のネットワーク、家族、仕事の集まり、政治組織が、時間と空間を超えたものとして自らを演示する際の要をなしているのである。
さらに、旅に費やされる時間は、必ずしも人びとが常に最小にしたいと望む、非生産的な無駄な時間であるとは限らない。移動は「動きながら住まうという物質的・社交的なモードの身体的な経験」を伴うのだ。例えば山を登る、散歩をする、素敵な列車の旅をするといった具合に、それ自体が活動のための場となる。
目的地で行われる活動もあれば、リラックスする、思案する、ギアを変えるといった「反動作」も含め、 旅の最中に行われる活動もある。そして、スピードの感覚、自然のなかでの開放感、風景の美しさなど、 旅そのものがもたらす歓びもある。
さらには、さまざまなテクノロジーもまた「携帯可能」であり、移動中の人びとの「活動」を可能にする新たなアフォーダンスをもたらしている(その始まりは一九世紀中頃の簡素な本である)。そして新たな社会的な雑事が、家や仕事、社会生活の「合間」にある空間を生み出し、「中間空間」を形成している
そうした空間には仲間が集い、携帯やラップトップ、SMSメッセージなどワイヤレス通信が利用され、多くの場合「動きながら」予定の調整がなされている。
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移動する人はそれぞれが「システム」に内包される

一つひとつの交錯する「移動」は「システム」の上に成り立っている。複数のシステムが移動を可能にし、旅ができる・メッセージが通じる・小包が到着するといった「予期空間」をもたらす。システムによって 当該の移動が予想可能かつ相対的にリスクのないかたちで反復されることが可能になるのだ。
現代の世界のシステムには、例えばチケット発行、原油供給、住所、乗換駅、ウェブサイト、送金、パッケージツアー、荷物保管、航空交通管制、 バーコードなどが挙げられる。
この反復システムの歴史は実質的に自然界を「支配」し、安全を確保し、管理し、リスクを減らしてきたプロセスの歴史である。
人びとにとって「動く」ことができ、物や貨幣、水、イメージなどを動かすことができるようになることは、自然を征服する方法を打ち立てることであるともいえる。こうした自然への人間の働きかけによって、これまでになく大規模な循環システムが生まれている。
循環は、とりわけ、ホッブズ流の政治哲学の発達のなかで、社会的世界に多くの影響を及ぼした強力な概念である。このことがよくあてはまるのが都市だ。諸々のシステムが発達し、そこでは循環への義務が存在しており、上下水道、人や貨幣、理念などがこれにあてはまる。
「先見のある都市計画家たちは、都市を、そのデザインのなかで健康な身体のように、止めどなく流れるように機能させようとした。…都市計画家たちは何よりも動きを目指していた」
産業化以前の移動システムには、徒歩、乗馬、航海などが見られる。しかし今日、重要となっている移動システムの多くは、1840年代から1850年代にかけてイングランドとフランスで生まれたものである。
そうした移動システムの相互依存的発展によって、物理的世界に対する恐るべき「支配」(一般に「産業革命」として知られる)をもたらす近代のモバイル化した世界の輪郭が作り出されている。自然は19世紀中葉の欧州で、劇的かつ系統的に、「動員(モバライズ)」されることになったのだ。
この特異な時点で始まったシステムには次のようなものがある。1840年の国内郵便網や、1830年の最初の商業電報、観光のまなざしに向けて造られた最初の都市(パリ)、1841年の初の「パッケージ」旅行、初の海洋汽船の定期便、初の鉄道ホテル、上水と下水を分けた初の循環方式(英国のチャドウィック)などだ。
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1854年にトーマス・クックは、次のようなスローガンを掲げた。「全世界が動いているこの変化の時代に、動かないままでいれば犯罪だ。旅行万歳!安価な旅行こそ時代の子だ!」
そして、20世紀には、無数の「移動システム」の発展を見ることになった。たとえば、そうしたものとして自動車システム、国内電話システム、空軍、高速鉄道、近代的な都市システム、格安飛行機旅行、 携帯電話、ネットワーク・コンピュータなどが挙げられる。
21世紀に移行するなかで、以上の「移動システム」はさらに新たな特徴を見せるようになっている。
第一に、移動システムはさらに複雑になり、数多くの要素によって成り立ち、数多くの専門分化した理解 困難な知識形態に基づくようになっている。そして、高度に専門特化した企業の成長が見られる。
第二に、移動システムがさらに相互に依存し合うようになり、個々の旅や通信は多数のシステムに拠っており、そのすべてが相互に効果的に機 能し接続されねばならなくなっている。
第三に、1970年代以降、移動システムはコンピュータとソフトウェアにさらに深く依拠するようになっている。固有のソフトウェア・システムが広 範に渡って生み出されており、特定の移動を行うために、システム間の相互伝達が不可欠となっている。
第四に、そうした相互依存し合った多くのシステムは、しっかりと組み込まれているだけでなく、モバイルであるために、とりわけ「ノーマル・アクシデント」(時々起こることがほぼ確実な事故)に対して脆弱になっている
では、そうした複雑性を増し、コンピュータ化され、リスク溢れるシステムの要は何であろうか。
世界の裕福な層の毎日、毎週の時間・空間パターンは、長い歴史を有する共同体や場所から非同期化されており、 そこでのシステムは、仕事や社会生活の予定を立てたり立て直したりできる手段を与えている。
皆で同調することがなくなるなかで、日ごと、週ごと、年ごとに鍵となる他者(たとえば仕事仲間、家族、大切な人、友人)と「ともにある」機会を作ることに多くの労力がかけられるようになっているのだ。
後に見るように、ネットワークの個別化が進むにつれて、その個別化を促すシステムの重要性が増していくことになる。 
人間はばらばらの情報の単位として再構成されており、そこでは、情報がほとんどの人が知ることのないさまざまな「システム」に送られている。
個人は、自分自身を超えて存在しており、自らの形跡を空間に残している。
とくに、膨大な数の人びとが常に動くようになるなかで、そうした形跡によって、人びとを干渉的な規制のシステムに服属させることも可能になる。いわゆる「身体検査社会」のなかで、場所は次第に、移動する機体を制御するために新たなモニタリング、監視、規制のシステムを用いる空港のようになっている。

移動の変化は止まらない、理論も止めてはいけない

このモバイルな生活は「よい生活である」と言えるのか。動くことはよいことなのか、どの程度移動はなされるべきなのか、よい社会は多かれ少なかれモバイルな社会であるのか?移動が広範囲に及ぶ規制とモニタリングのシステムを伴うならば、あまりモバイルでない社会の方が好ましいのだろうか?
さらに、全世界の未来を握っているこれらの問題を検討するなかで、ラトゥールが「循環体」と呼ぶものの新たな布置構成が見られる。
新しい世紀の循環体は、複雑でわかりづらくリスクに満ちているが、物品や情報の高速度の循環を容易にするシステムでもある。
このシステムは、個別に設定された有形の電子制御機械を通して、個別化されたネットワークとDIY式の実行スケジュール調整機能を生み出し、同時に、それらを前提にして成り立っている。つまり循環体が、次第に循環そのものを生み出すようになっていると言えるのかもしれない
間違いなくすべての社会がいくつもの移動を伴って立ち現れているなかで、その中心に相互に依存し合ったデジタル化された移動システムが置かれている。移動システムの研究は、自由とシステム依存とを兼ね備えた世界における生活の主立った輪郭を読み解く際の核心に迫るものだ。
言ってみれば、わたしたちが望むままにどこへでも行けるのは、偉大な先人が先にそこに着いており、わたしたちがどこに誰と行くのか、どこに居たのか、次にどこに行こうとしているのかを(システムが暴走していなければ)知っているからに他ならない。
新たな移動が生まれる変化とともにリスクが生じ、複雑なシステムが「瞬く間に移り変わる」ような事態も起こる。例えばスケジューリングとモニタリングの新たなシステムが生まれたり、新たなかたちでのモバイル化した包摂と排除がされるのだ。
システムの並外れた危険とリスクを見失わないために、方法と理論は絶えず動き続ける必要があるのだ。
※本連載は全8回続きます
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本記事は書籍『モビリティーズ──移動の社会学』(ジョン・アーリ 〔著〕 吉原 直樹・伊藤 嘉高 〔翻訳〕、作品社)の転載である。