【黒田博樹】「負けが許されない日々」へ向き合う技術

2020/6/15
「ピンチはチャンス」
よく言われる言葉だが、それだけで現実を乗り越えられるほど、人は強くない。
ピンチは怖いし、不安だ。
プロ野球の開幕が決まる中、滅多にメディアの前に姿を見せないあの男が、珍しく口を開いた。広島東洋カープ、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースで活躍した、黒田博樹だ。
避けることのできないその感情と、どう付き合うべきか。
日米で通算20年プレーをした黒田は、「恐怖があったからこそ、プレーをし続けることができた」と言った。
トップアスリートが最後に信じるものとは何か。現役時代を通じて体得した「恐怖との向き合い方」は、ビジネスパーソンにとっても示唆に富む話ばかりだった。
本日のNewsPicksイブニングでは、黒田のNewsPicks独占インタビューをお送りする。
index
☑「逃げ出したい、楽になりたい」
☑「恐怖」は、必要なものだった
☑勝つための「いい準備、ダメな準備」
☑歳下の選手から「カーブ」を学んだ
☑ど真ん中に投げていい「条件」
黒田博樹(くろだ・ひろき)大阪府大阪市出身、元プロ野球選手。右投右打。現役時代にはNPBの広島東洋カープおよび、MLBのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍。日本人投手として初めて、NPB/MLB通算先発勝利数のみで公式戦200勝を達成。2018年シーズン終了時点で、NPB/MLBの40球団から勝利を挙げた唯一の日本人投手でもある。

「逃げ出したい、楽になりたい」

──現役時代は常々「マウンドに上がるのが怖い」と話されていました。
黒田 いつだって、打たれることが怖かった。
プロであり、球場にお客さんがいる限り、負けていい試合、打たれていいという試合は、「絶対にない」。そのプレッシャーがありましたね。
──印象的なのがNYヤンキースに移籍したシーズンの前半、なかなか結果が出ないときの心境です。「ふとマンションの下を覗いた」と、回顧されたことがありました。
黒田 当時は、ヤンキースという「勝って当然」の名門チームに移ったプレッシャーが想像以上に大きくて、特にしんどかったことを覚えています。
ナ・リーグのドジャースからア・リーグのヤンキースに移籍をしたので(DHがあるなど打者有利のリーグと言われる)、キャンプのときは「本当に通用すると思うのか?」と毎日のように聞かれたし、開幕後に打たれれば「やっぱり通用しない」と書かれた。
逃げない限り、“負けてはいけない登板日”が、毎回必ず来ます。
本音を言えば、その恐怖から逃げ出したい、楽になりたいという感覚はありました。
──球団のメンタルトレーナーの部屋の扉をノックするなど、恐怖に対してさまざまな取り組みをされていました。
黒田 ヤンキースに来てから、試合が始まる90分前に10分程度メンタルトレーナーと対話することが、ルーティンになりました。
彼は、モチベーションビデオを作ってくれたり、偉人の言葉を引用して試合に臨むコンディションを精神面で支えてくれました。
──印象に残っているものはありますか。
黒田 いろいろな言葉をもらいましたけど、(NBAで活躍した)マイケル・ジョーダンの言葉は印象的でしたね。