キッズライン社、自社サービスでの男児わいせつ事件を受けて男性シッターの利用を一時停止 : やまもといちろう 公式ブログ
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注目のコメント
男性シッターによる強制わいせつ事件の説明責任を問われていたキッズラインが、男性シッターを停止って…
男性だから犯罪予備軍なのか、育児は女性がしろということなのかとか、炎上するに決まってるのに…私は以前から、犯罪をおかす人を性別で見たときの傾向から、男性のほうが職務質問などをされがちなのではないか、だとすれば、性別で置かれやすい困難な状況として、もっと問題視すべきなのではないか、と思っていました。
なので、男性シッターだけ一時停止する措置は、性別による偏見、および性別間の分断を生むようで、よくないのではと感じます。
何よりそのことで、もっとも大切である性犯罪をなくすための話し合いの場を台無しにしてしまいそうで、危惧します。
道義的には、一旦すべての業務を止め、全登録シッターの安全性を確かめてから、再開するのがベストなのかなと思いましたが、それだとビジネスが立ち行かなくなるのでしょうか。
事件が起き、改めて会社の成り立ちや対応を見ると、保護者にラクをさせることに目を向けた「親ビジネス」で「子どもの福祉」に重きを置いていないことが、問題を生じさせた原因なのではないか、という気がします。
こと保育事業は、大人の事情はさておき、子どもの安全を第一に考えて欲しい、と私は思います。男は全員性犯罪者だと思われてそれを一生背負って生きていかなければいけないのでしょうか。
私は小学生くらいから、この誤った平等主義、というより平等主義の皮を被った差別主義とそれに基づく集団責任論や指導論が日本(特に教育)の癌だと思っているのですが、その理由がこの結論に表れています。
目的や必要性があっての集団行動とセットの集団責任論はあって当然ですが、個人行動にまで集団責任論を当てはめたり、逆に集団で成立する行為における個人のミスを個人責任論のみを論拠にして責め立てること(もはや公開処刑やいじめに該当するもの)が「無自覚」のままに行われていることに恐怖や気持ち悪さを感じていました。
もはや思想のレベルでは男女の別は関係なく、個人と集団を区別せず十把一絡げに叩くことに対立や分断を生む以外の結果は見出せません。