元ソーシャルゲーム開発者が語る、ガチャの功罪とは──「繊細に綿密に作ったゲームが、ガチャの快感になぎ倒されていく」
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注目のコメント
エンタメはすべてカタルシスだ。ストレスとそれからの解放で快感を感じる。
ソシャゲはガチャでそれを圧倒的に高めることは出来たが、それに騙されるのは一部の人。それでもその人たちが高額を使うから、とてつもない売上を叩き出した。
一方、コンシューマーゲームはそんな偏った形ではなく、きちんとストーリー性にカタルシスを載せている。だから、歴史的な「名作」といわれるような、記憶にしっかり残るエンタメができている。
ガチャが世の中に出てきたときは、初めての体験だからみんな一定程度ハマって産業化したが、その後その快感に慣れてしまった。単なる快感発生装置という機能はエンタメではなかったのだ。だから、ソシャゲ市場からユーザは離れてしまった。
その後、ソシャゲのヒット作を作るのは大抵コンシューマーゲーム出身者に限られてしまったのは、それゆえだろう。しかしそれでもガチャが叩き出す巨大な売上という魔力に勝てず、エンタメを捨てガチャに走ってしまった。
元来、日本にはしっかりとゲームをエンタメとして作り込み、文化にまで昇華させた土壌があった。スマホゲーム業界はソシャゲを捨て、古きを知ればこそ新しき産業を創り出す余地は多分にあるはずだ。贅沢の極みな議題だなぁ
こんなこと言ってられる我が国は本当に豊かで、人が作りだした快楽発生機で幸せを感じる人生を許容する人が一定数いるというのは何とも滑稽でなりません
一度もインストールしたことがないし広告で見かけるたびに、「こういう人が奴隷のように働いてくれるお陰で低コスト運営が成り立ついい国だなぁ」と感じています