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海外の指導者は「恩師」に興味なし。クセのぶつかり合いがスターを生む?

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注目のコメント

  • 元バレーボール女子日本代表

    内容も素晴らしいものでしたが文章がとても面白く引き込まれてしまいました! 次回も楽しみです!


  • 大人になってから学ぶサッカーの本質 / overflow編集ディレクター Web編集者

    学校体育から発展してきた日本スポーツにおいては、指導者側の意識の深層に「自分は教育者である」という認識がより強く定着している、という部分です。日本におけるスポーツ指導者は「競技を教える人」ではなく「教育者」なのです(表層的な発言を切り取れば、もちろん欧米の指導者も教育について言及していますが、もうひとつ潜在的な意識の話です)。

    「クセ」が介在する余地がなくなった。

     これらはおそらく脈々と受け継がれてきた、通底する風土みたいなもので、指導者側に「師であるべき」という理想を持たせているように思います。あるいは「師でありたい」という意識を促しているように思います。さらに言えば選手自身も潜在的に「恩師」を求める傾向が強いのではないかと思っています。卒業生が自分を慕ってチームを訪れる、みたいな光景は、指導者の誰もが憧れるのではないでしょうか(個人的には、実際にこうした関係は機能すれば最強だと思っています)。

     しかし、体罰やどつき合いの一切が禁止される現在では、使用できる言葉も態度も大幅に制限され、「当たって障って」という直接的な熱量で指導していた人たちが「当たり障りのないこと」しか出来なくなってしまいました。踏み込みすぎたらアウト、という指導者側の線引きと、踏み込んでこないで、という競技者側の線引きがあり、そのあいだの緩衝地帯はかなり大きめに取られています。ギリギリの線上を渡って、ふと踏み越えてしまえば即退場だからです。

     いわばそこには、指導者の「クセ」のようなものが介在する余地がありません。

     正しい知識を、正しい振る舞いで、正しく行っていくことが、教育者の唯一の道です。そうありたい、という姿勢が求められているのではなく、「実際的な行動として求められている」のです。


  • ディップ 株式会社 一般職

    緩衝地帯って上手い言い回しやな〜
    確かにそうだよな、制限が大きい中どこまで相手のことを思いやって厳しくできるかは本当に難しい

    と、思ってたら答え書いてた。

    「ただ自分という人間を通過してもらう、という感覚で接することが、この時代に真剣に誰かと向き合うことなのかもしれない」

    指導するために自分の個性を消す必要はない。後々になって、あんな指導者もいたな、実はあの考え方は自分のためになったなって少しでも思ってもらえることは素敵ですね。


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