【猪瀬直樹】発信者には、ファクト・ロジック・感性が必要だ

2020/4/25
4月21日の『The UPDATE』では、「コロナショックが変えるメディア 新時代を担うアンカーとは?」と題して、作家の猪瀬直樹氏、ジャーナリストの堀潤氏、ビジネスインサイダージャパン統括編集長の浜田敬子氏、TBSテレビ報道局・デジタル編集部の池田誠氏、計4名が日本メディアの現状の課題や今後予測される変化について、議論を交わした。
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報道機関はいつも切り口が同じ

番組開始冒頭、浜田氏から日本のマスメディアの課題が挙げられた。
浜田 これだけテクノロジーが発達して、堀さんのような自由な取材をする人が出てきているにも関わらず、やっぱり作っている人の意識が変わっていないんです。
特に大手のメディア。たとえば新聞の社会面を見ると、だいたいいつも「閑散とした銀座」というような内容が載っている。いつも同じ切り口で、同じような写真。
テレビの画もそうです。リポーターが「こんなに渋谷の街が空いています」と言って歩いているとき、視聴者からしたら出るなと言われているから出ていないのに、それがあたかも悪いことかのような見せ方をするんですよ。
お店の方達の発言をとるときも、最初から「自粛で困っていますよね」というような聞き方をする。
メディアは変わるのかといっても、果たして本質的な議論が出ているのか、というと正直今はわからないです。

マスメディアに所属する「個人」

その現状について、池田氏はこう答える。
池田 マスメディアがそういう印象になるのは、中にいる人間としても感じます。
トイレットペーパーがないところを映すべきか、とか、山になっているところを映すべきか、とか、もしくは「これを見たら医療従事者の人たちは辛くなってしまうんじゃないか」といった個々の議論はあります。
しかし、それが外には見えづらい。
やはりマスメディアの中の人間はもっと個としても発信をしたり、ある意味「これは正解ではない」という悩みですらもアウトプットする時代になっていくのではないかな、と。
ただ、一方で、会社の中の記者みたいな印象が強かったですけど、他社の記者の人たちと話す機会が増えている。
もっといい方向にころがすために何か方法があるのではないか、という議論は高まっているのは現場にいて強く感じます。
池田氏の発言に対して、猪瀬氏はこう答える。
猪瀬 いま池田さんが話した内容って、番組の中で話せばいいんですよ。
たとえば、トイレットペーパーが空の倉庫の様子を映しましたけど、これはあえてそういう場面を映しました、と。
慌てて買いに行かせるために映したわけではない、とアンカーが言えばいい。言っていいはずなのに、個が弱くて順番通りお行儀よくやろうとするから、今のメディアはダメなんです。
日本のメディアは、基本的に、豊洲みたいな「中央卸売市場」で情報を仕入れてくるだけなんだよね。それが記者クラブなんだよ。
自分の切り口で見たものを書かなきゃいけないんだけど、記者クラブっていうのは行政情報を「生産する」場所なんだよね。
そういう「市場」で仕入れることに慣れてしまった大手メディア、はっきり言って、民放と新聞はいらないんだよ。
また、個の時代が加速していく未来を考える上で、堀氏は「匿名でやってはいけない」と語る。
 これだけ様々な情報が溢れている中で、情報のトレーサビリティができないものってあまり価値がない。
不信感を払拭するためには、その人の立場や現場による考え方や情報の出所がきちんと明かされた上で話せる環境を組織が作っていた方がいい。
新聞は先行して記名性を高めてきましたが、映像メディアがもっと個を出していきたいのなら「私が取材しました」と伝えるべきだし、現場で見えていない部分はもっと教えてください、と言うこともできる。
「私の視点はこうだけど、みんなの視点はどう?」と言えるようなインフラづくりをテレビはしていった方がいい。

市民の意見はミクロなのか?

新型コロナの情報は、大手報道機関やニュースメディアだけではなく、市井にいる人々が持っている一次情報も大切だ、と語るのは堀氏だ。
 LINEを解放していたのですが、500人近くのとても切実な声が集まってきました。これは報道機関の悪い癖というか、どうしてもイデオロギーや大きな国家像を念頭に置いて語られがちです。
それ自体は否定しないのですが、もっと生活者ひとりひとりが使える情報が欲しいし、誰にも届いていないのではないかという切実な声がたくさんあるわけです。
だから現場に耳を傾けなければいけない。ただ、現場に耳を傾けたとしても、取材する側が「単なる市民の声だろ」みたいな考え方でいたら、全くメディアとしての本分を果たしていないと思う。
これは精神論になってしまいますが、やっぱり市民の人たちと一緒にやりましょう、というエンゲージドされた関係になれば、自ずと報道内容も変わると思うんです。
堀氏の考えに対して、浜田氏はこう付け加える。
浜田 市民のミクロな意見をたくさん集めた上で、そこで俯瞰して見て、なぜいまそのような状況が起きているのか考えることが重要だと思うんです。
たとえば新聞は政治部、経済部、社会部とわかれていますが、だいたい取材にいくのは社会部。だから社会部の目線で報道してしまう。
でも今のこの状況が起きている原因には政治の機能不全がある、という結びつけができていない。
浜田氏は、プロのジャーナリストの立場や役割は残っていくものだ、と考える。しかし堀氏は浜田氏の発言に割って入る形でこう反論した。
 僕はその考え方から脱却するのもひとつの方法だと思います。いま、浜田さんは一市民の声を「ミクロ」と言いましたけど、あれこそマクロな声だと思う。
ひとつの小さな悩みでも、同じ悩みを抱えている人は多くいる。その声を誰に伝えるかがミクロとマクロの境目だと思うんです。
たとえば先日の大型台風のとき、ひとりの声を僕の知り合いの与党の政治家に投げました。
そしたらその与党の政治家はあっという間に自衛隊を動かしてそのエリアに関しての動きを作りました。
情報の伝達手段を考え直した方がいいと思うんです。

情緒に流されやすい日本

新型コロナの流行は、国民のメディアに対する意識も変えた。
これまで、多くのメディアでゴシップやスキャンダルばかりが流れていた状況に対して、古坂氏は疑問に思いながらも「数字をとるんだろうな」と諦めていたと話す。
猪瀬氏はその原因についてこう語った。
猪瀬 日本人は、けっきょく情緒なんですよ。すぐにそっちに流される。
ファクトとロジックによる、日本のもっている投下資本がどうなっているかとか、アルジェリアに進出している企業はどうなっているかといったニュースは本当は必要なはずなんだけど、流れない。
たとえば今日(放送日:4/21)も人質事件で昼のワイドショーはずっとそればかり放送していた。
本来はもっと少なくていいはずなのに。けっきょく情緒に流れてしまっているんです。
では、情緒に流されず、本当に必要な情報を伝えられる存在(アンカー)とは、どのような人物なのだろうか。
猪瀬 ファクトとロジックとディティール、そして感性、これに尽きるんです。
これだっていう切り口を見つければ、その人の個性になる。個の発信をしていく上で、それぞれが作家であることは重要だと思いますよ。
結局、そうじゃないと現場で流されてしまうんです。さっきから個人とか個性とか言っているけど、そこにちゃんと作家性がないと、いわゆる行政情報に対抗できないからね。

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<執筆:富田七、編集:佐々木健吾、デザイン:斉藤我空>