いま、移動や社会のあり方が変わろうとしている。ICTによってシームレスな繋がりを目指す「Mobility as a Service(サービスとしてのモビリティ)」という大きな概念が掲げられ、移動や物流だけにとどまらず社会のあり方まで波及する。100年に1度と言われるモビリティ革命、MaaSによって私たちの暮らしや経済はどう変わるのだろうか。

本連載では2018年に発行され、業界の教科書的存在になりつつある書籍「MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ」から全4回にわたって、新しい時代の移動と社会について歴史的経緯や基礎的な知識を中心に掲載する。

国家としてのMaaS戦略の必要性

スマホのOSはアンドロイドとiOSで、その上のアプリケーションはGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)に押さえられている。日本にはメルカリやZOZOのように独自の生態系を築いている企業もあるが、ネットの世界は米国出身のプラットフォーマーたちに支配され、個人データも完全に握られてしまっているのが実情だ。
中国は〝情報鎖国〞をし、米国のプラットフォーマーたちの活動を制限したことで、中国のGAFAと呼べるBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)のような巨大なプラットフォーマーたちが育った。あえて鎖国することによって強大なプラットフォーマーを育て、米国以上のネット社会をつくり上げた中国政府の戦略は見事というほかない。
欧州は、米国のプラットフォーマーによる個人データ支配に対する対抗措置として、EU加盟国のすべてに適用されるGDPR(General Data Protection Regulation:EU一般データ保護規則)を策定し、2018年5月から施行している。
GDPRは、個人データを扱う事業者に厳格な個人データの保護措置を求めるものだ。EU域外への個人データの持ち出しを禁止するなど、「米国企業の好きにはさせない」という気迫を感じさせる内容になっている。
GDPRの施行後すぐにグーグルとフェイスブックが提訴されたが、今後、米国のプラットフォーマーたちを相手取った訴訟が、手を替え品を替えて起こされ続けてゆくのだろう。プラットフォーマーたちのビジネス展開は足踏みせざるを得ない。欧州も、中国とは別のやり方で、したたかに米国のプラットフォーマーたちに対抗しているのである。

なぜ日本にGAFAは生まれないのか

翻って日本はどうか。ITでは米国の軍門に屈した日本だが、IoTの時代になれば、「T(T hings)」の強みを生かして覇権を握れるかもしれない。そう考える人は多い。
だが、「I(Internet)」の世界の〝制空権〞を握られているなかで、「T」の強みだけで本当にやっていけるかは、はなはだ心もとない。そもそも、日本には、GAFAのようなビッグデータの覇者がいない。ビッグデータを使って付加価値を生み出すことができる、IoTの時代に対応した動きをできている企業は少なく、ビッグデータの解析に必要なAIにおいても、完全に出遅れてしまっている。
このような状況のなかで、日本はどのような戦略をとろうとしているのか。個人データは、医療データのようなクリティカルなものを除いて、ほとんどGAFAに押さえられてしまっているから、今さら個人データで勝負しようにも話にならない。
しかし、GAFAがアクセスできていない産業データならまだ勝機がある。それが現在の政府の発想で、それぞれの企業や系列内に閉じている産業データを共有して利活用できるようにして、産業データの分野でプラットフォーマーを育てていこうという戦略・政策を打ち出している。
確かに産業データの分野ならば、米国のプラットフォーマーたちの侵入を許していないうえ、コマツやファナックのように、プラットフォーマーと呼んでいいポジションを築けている企業も存在する。そういう意味でも、産業データに着目した政府の戦略は正しい。
これを移動の分野に置き換えて考えてみよう。グーグルマップの経路検索やSNSのチェックイン機能、位置情報連動機能で、個人の移動はかなりトラッキングされている。だが、さすがのグーグルも位置情報や経路情報はとれても、実際にどの交通手段を使って移動しているかまでは正確にはつかめない。
クルマの操作や挙動に関するデータは自動車メーカーなり交通事業者なりが持つデータで、産業データである。移動に関する情報のうち、個人データはある程度とれても、産業データにはGAFAは十分にアクセスできていないのである。

ものづくりから一気通貫のMaaSエコシステム

マイカーを使った配車サービスが自由化されていない日本は、世界中がモビリティサービスに注目するなかで、後れを取っている。ウーバーやディディは日本では現状、タクシー配車しかできていないから、モビリティのプラットフォーマーにはなり得ていない。
結局、モビリティサービスに関しては、ほぼ鎖国状態なのが今の日本である。しかし、だからこそ、まだ手付かずのフロンティアが広がっているのである。
モノづくりから一気通貫のMaaSエコシステムMaaSが注目されるのは、手付かずのフロンティアであるモビリティサービスの分野においてMaaSオペレーターのポジションを握れば、ユーザーに一番近いところを支配する、モビリティのプラットフォーマーになれると期待されているからだ。
海外で経験を蓄積してきたウーバーやディディは、日本では極めて限定的な形での参入しかできていないから強力なライバルは存在しない。この機に乗じて、T(Things)の象徴的な存在である自動車産業を持つ強みを生かし、モ ノづくりとセットになったMaaSのエコシステムを構築することができれば、それを世界にも売っていける。
すなわち、モビリティサービス市場は、モノづくりからサービスまでを一気通貫にした、日本ならではのエコシステムを生み育てることができる数少ない市場なのである。だからこそ、未来投資戦略2018の中でも、MaaSと自動運転は、フラッグシッププロジェクトの筆頭に位置付けられている。

MaasSによってなにが変わるのか

では、MaaSのエコシステムを構築することで何が変わるのか。
第1は、マイカー依存社会においては排除されてきた人々がモビリティの自由を享受できるようになることだ。
マイカーは個人に移動の自由をもたらしたが、それはクルマを持つ者、運転できる者のみが享受できた特権だった。この特権意識をくすぐることで所有欲を喚起しながら、最初は一家に一台、次に一人一台と販売量を増やすことで、自動車産業は成長してきたのである。
これに対し、MaaSのエコシステムは、万人に開かれたインクルーシブなモビリティサービスの提供を目指す。特権性や排他性により支えられてきたモノづくりの発想とは根本的に相容れない部分が出てくるが、今後は、ユーザー側に軸足を置くMaaSの発想を優先せざるを得なくなる。そうでなければ、モノづくり自体が生き残ることが難しくなる。
第2に、前記と関連するが、マイカーの所有を国是としてきた結果進行していた「合成の誤謬」と呼ぶべき事態が解消される。どういうことか。
マイカーの所有は多くの人に満足をもたらす。所有者は移動の自由と所有の満足を手に入れ、自動車メーカーや販売会社は、販売利益を手に入れる。整備や保険など、マイカー所有にまつわる産業も育つ。誰もがハッピーになれる。
だが、その結果、クルマがないと生活できない町が増え、中心市街地は衰退して駐車場だらけとなり、子どもの遊び場もなくなってしまった。渋滞問題、環境問題、事故の問題もなかなか解決されない。個人の効用を追求した結果、全体的な効用が下がる「合成の誤謬」を生み出してきたのが、自動車産業である。
これに対し、MaaSのエコシステムが普及し、所有から利用へのシフトが実現すれば、クルマ中心(Vehicle Centered)になっていた町や社会が人間中心(People Centered)に生まれ変わる機運が生まれる。MaaSオペレーターが収集するデータをまちづくりに生かしながら、人間中心の町・社会へとつくり直すのである。所有から使用へのシフトにより、ようやくそういう作業ができるようになる。
最後に、これらを通じて、経済的な繁栄と社会課題の解決が両立されるようになる。それがMaaSのエコシステムが構築されることの第3の効果である。
すべての人に開かれたインクルーシブなモビリティサービスは、移動の制約をなくすから、スムーズな物流が促され、地域の中でお金が回るようになる。地域が潤い、豊かな場として持続可能になるのである。
MaaSは、モビリティ分野におけるIoTの実践例だが、IoTにより経済的な繁栄と社会課題の解決が実現する社会を、政府は「Society 5.0」と呼んでいる。
これは21世紀の日本が目指すビジョンであり、内閣府によれば、「サイバー(仮想)空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」と定義される。MaaSは、国是であるSociety 5.0の実現に資するものとなる。
※本連載は今回が最終回です
(バナーデザイン:國弘朋佳)