「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡
コメント
注目のコメント
福岡氏は、
2004年4月 青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授
2011年4月 青山学院大学総合文化政策学部教授
と、文転してもはや生物学の研究者ではなさそうだし、「生命は動的平衡」などと非科学的な表現をキーワードにしているのだから(生命の本質はその非平衡性にあるし、平衡も非平衡も元々動的なので同語反復)、「生物学者」と名乗るのはおかしい。「生命論者」とか「生命哲学者」で良いのではないか。
>ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。
1μm超えのパンドラウィルスは光学顕微鏡で見えます。生物は細胞からできているというのがその定義なのだから、細胞を持たないウィルスは増殖できようが生物ではないので、「非生物」のなにか。ただし、生物のような性質も持っているので「無生物」とはいえないかも知れない。
>生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。
利己的遺伝子論に自己複製を唯一無二の目的とするシステムという意味はないし、生命に目的は存在しない。100歩譲って生命を自己複製を目的としたシステムと定義すれば、コンピュータウィルスも生命体になってしまう。
>しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。
自分で矛盾する定義を二つ挙げているのだから、おかしくなるのは当たり前。
>むしろウイルスは利他的な存在である。
(非生物を)目的論的に捉えていること自体がナンセンス。強いて言えば人文学。
>生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。
最近はかなり初期の頃から存在したという説もよく議論されている。
>私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
この記事を受けて、「動的平衡を生き」るとは、一体どういうことだろう。この方は動的平衡を推してますが、システム論としては他律系の自然界一般に存在する数十年遅れのことを、しかも科学者でも無い立場で語ってるだけなんですよ。。
米国はとっくに自律的に国家を立ち上げようとするサイバネティックスを1950年代にサイエンティストを集めてやってて、今やネオ・サイバネティックスが登場しているのに、どれだけ後追いか。
しかし動的平衡に拘るのは東洋人としては良いと思いますが、それを日本人に有り難そうに語ることに、センスの悪さを感じざるを得ない。一周回ってどころか、情弱を食い物にするようにしか思われないということにそろそろ気がついて欲しい。
一歩譲ってそれをエバンジェリングする気があるなら、煙に巻くような言葉使いでは無く、かつ最先端では動的平衡なんてクソだと言っている人達も居ることも含め、情報を共有すべき。
つまりはバカにしてるんです、同国民を。この程度で有り難がるのは、本当に嘆かわしい。。無理やり「動的平衡」というキーワードに当てはめている感が強い記事でした。
動的平衡って、ミクロで見ると絶えず変化があるけど、マクロで見ると平衡状態に見える現象じゃありませんでしたっけ?例えば大気中に不安定な気体が常時微量存在することとか、風呂の栓を抜いたときに観察される渦のような。
ウイルスは新しい平衡状態への移行を促すということが結論であれば、それは動的平衡とは関係なく、単なる状態遷移ではないのでしょうか。
また、天然痘は根絶されましたが、説明がどう変わってくるのでしょうか。