【大迫傑】メンタルは「コントロールするではなく、理解する」

2020/5/29
東京マラソンで見せた「走り」は、大迫傑のメンタルの強さをまざまざと見せつけるものだった。前編で「最低限の依存で勝ちたい」とその信念を語った大迫は、「メンタル」をどう捉えているのか。
大迫傑(おおさこ・すぐる)1991年、東京都町田市出身。中学校で陸上を始め、高校で強豪・佐久長聖(長野)で全国高校駅伝優勝を経験。早稲田大学では箱根駅伝で二度の区間賞を獲得。卒業後、2015年に5000mで日本新記録を樹立。マラソン転向後、2018年10月のシカゴマラソンで2時間5分50秒の日本記録を樹立した。今年3月1日の東京マラソンでは2時間5分29秒をマークし、自らの日本記録を21秒更新した。「ナイキ」所属。

主導権があったのに使えなかったMGC

──前編ではメンタルの専門家と一緒にやられていた時期があって、今はやめたとおっしゃっていましたが、走ることについて、メンタルの重要性に気付き始めたのはいつ頃ですか。
大迫傑(以下、大迫) マラソンをし始めてからですね(2017年4月のボストンマラソンでデビュー)。
 そこで、ひとつの無駄な動きが最後に影響を与えることをすごく感じるようになったんです。
 去年のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)も、小さな動きの無駄が最後のところで出て負けてしまった。
 じゃあ、それはどうやってコントロールすればいいのかと言ったら、自問自答して自分をコントロールする、いわゆるメンタルの部分なのかなって。
──「無駄な動きが最後に出た」というのは、メンタル的に言い換えれば、動揺ということですか。
大迫 そうですね。動揺というのは無駄な動きにつながります。
 フィジカル的なところでいうと、誰かが行ったときに、それにつられて付いていったら一時的に軽くスパートをかける状態になる。その無駄な動きの蓄積でどんどん差がついていきます。
──それでは自分に主導権がない。
大迫 そうですね。
──MGCと東京マラソンの違いは、そこにあったということですか。
大迫 はい。MGCでは、主導権があったのに、なかった。
 レースの前までは、(記録を持っている)僕がリードするようなイメージがあったと思うんです。
 みんなからはそう見られていて、実際、僕は主導権を握っていたんですけれど、自分の中では主導権がなかったから、せっかくのアドバンテージを取り逃がしてしまった。
 技術的なことではなく、メンタルの部分でコントロールができなかったわけです。
──つねにコントロールする難しさがあるのですね。
大迫 そうですね。
──具体的に自分のメンタルをコントロールするやり方とは?
大迫 いわゆるメンタルトレーニングみたいなことはしないんです。
 していることは、理解をするというか。客観的に自分を見るというか。
 例えば、自分はイライラしているなと思うことは、普通の生活の中でもあるじゃないですか。そのとき、なかなかイライラを止めるのが難しいと思ったら、イライラしていることを自分に言い聞かせる。
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 それでもコントロールできないときは、それはそれで仕方のないことなんですけれど。でも焦っている状態の自分、怒っている状態の自分を認める。なるべくその事実から目を逸らさない。競技に関していうと、そういうことを心掛けていますね。

リアルに生きるとリアルが見える

──自分の事実を見る。そう思ったのは、トレーニングしたからなのか、自分で考えついてたどり着いたものなのか。
大迫 結局、情報が多すぎるんですよね。だから自分でやっていることも自信が持てないし、リスクとか、たらればとかが先に出てきてしまう時代なんだと思います。
 “本当のリアル”に生きると“本当のリアル”が見えてくる、というのはあるかなと。
 昔は「情報を選べ」と言われていました。その中で(自分に関する)フェイクニュースを正面から受けてしまっていた。それも最初は理解しようと思ったんですけど、今は情報を選ぶのではなくて、情報を無視すればいいと。
 自分が実際に学ぶことの世界でやっていけばいいじゃんと思えるようになった。
 SNSが発達してきて、僕もその中で結構イライラしていたんですけれど、それに疲れてきたんですかね。
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──先ほど、依存する部分は、「コーチと選手」という最小限の単位だけでいいとおっしゃっていました。ということは、SNSの情報を含めた、外からの声も無視していいと?
大迫 特に競技のところで言ったら、無視していいかなと。
 極端に言えば、他のところも無視していいんじゃないかなと思いますけれどね。
──それをすっぱりできない人がいると思います。気になってしまう、とか。メンタル的に何かしていることはありますか。
大迫 定期的にコーチや近い人と話をするのは大事かなと思います。メンタルのカウンセラーと話をして思い始めたことですね。
「弱さ」から目を背けて強くあろうとすることが、僕は強さじゃないと思っていて。
 なんだろう、弱い自分を自覚した上で、強くあろうとするのが、本当の強さというか。そこが、「フェイク」から「リアル」になるところなんじゃないかなって思いますね。
 周りに対して仮の自分を見せて、それは強くは見えるけれど、でも実際は心がボロボロというのはよくない。
──ご自身の経験でもあったということですか。
大迫 すべて自分の経験からですね。
 (アメリカに行って)ひとりでいる時間も多かったので、自分の弱さに直面することもあった。無理だと思うくらいに悩んだときに、(自分の弱さを)認めてしまったら楽になったというのは、どこかであったのかもしれないですね。
──大迫さんも、自分を強く見せようとした時期があったのですか。
大迫 そうですね。
──よく有名になればなるほど虚像ができて、それに合わせようとする人もいます。
大迫 逆に合わせてくれっていう風潮があるじゃないですか?
 そこで「なんで?」っていう思いから、逆に(弱さを)認めたらっていう考えになって、そのうち、こっちの方がメンタル的にも楽だし、パフォーマンスも上がるしっていう考えになった。
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ケニアで取り戻した忘れていたもの

──改めて最後にメンタルの考え方について整理したいのですが、メンタルを向上させるために大事にしていることはありますか。
大迫 場所ってすごく大事だと思っていて、それに気づける場所に行くのが大事なのかなと。
 例えば、僕の場合はそれがアメリカだったり、ケニアだった。日本にいてそこで戦い抜けるほど強くはないので、思い切って環境を変えてしまおうと。練習でもそうですし、やらなければいけない、走らなければいけない、走ることに集中するしかない環境に行くのは、それだけでも勇気のいることだと思うんですよ。
 実際にやれない選手も多いですし。行くのも大変なんですが、一歩そこに飛び出せば、よりその大事さに気づく。
──環境を変えることが、選手としての成長を促すためのメンタル強化だとしたら、本番で力を発揮したいときに必要なメンタルのために、何かしていることはありますか。
大迫 マラソンの場合、瞬発的な集中力を必要としないので、どちらかというと、普段の生活の中のメンタルがイコール、マラソンのメンタルにつながるところがあると思います。
──たしかにマラソンという競技は時間的に長い。2時間ずっと集中しないといけない。だからこそ日常生活のある意味、長い期間でのメンタルが重要になってくると?
大迫 はい。
──それは鍛えられるものですか。
大迫 どうなんでしょう。鍛えるというより、理解していく感じですかね。気づいて、理解していく。その繰り返しですね。
 その気づける要素が、一歩出てみるとたくさんある。それに気づくまで待てるか。
 しょうもないタイミングで気づくときもありますし。よし、気付きに行こうって思っても、なかなか気付けるものでもないと思いますね。
──ということは、逆に、普段の日常から気づきに行く。フィルターを張っておいてつねにヒントがあるかもしれないというスイッチを入れている感じですか。
大迫 スイッチを入れているというと、ガツガツしているイメージですけど、そうではなくて、見るものをもっと理解するために、逆にスイッチをオフにしておく。自分の価値観のフィルターにかけずに。
 自分の価値観だったらまだいいですけれど、他人のフィルターにかけてしまうと歪んで見えてしまう。そういったものをオフにして、純粋にその環境を見ていく、というのはありなのかなと思いますね。
──純粋にその環境を見ていく中で、現在の大迫さんの強さを作り上げたものはありますか。
大迫 例えば、ケニアだと食事のために家畜を殺すところから始まるわけじゃないですか? 自分自身もそれがどういうものなのか、行ってみるまでわからなかった。
 トレーニングパートナーだった自分のために、ヤギを普通に買ってサバいてもらって、そこで気づいた。気づいたというよりかは、単にいただくということを再確認した。
 でも、そういうことですかね。知っていたけれど、今まで目を背けていた部分、忘れていた部分に気づけた。なんかこう、忘れていたものを取り戻したというか。
 そうやってメンタル的な強さ、というのかわからないですけど、身につけていく感覚です。
──あらゆるものを削ぎ落として、人間の本能的な、根源的な、プリミティブなものに近づく感覚ですか?
大迫 そうですね。余計なものを削ぎ落として、シンプルなところに戻っていく。
 そんなイメージですね。僕らなんか情報がありすぎると、どれもが大事そうに見えてくる。
 もちろん情報も大事だと思うのですが、それは100パーセントのうちの0.5パーセントとか0.01パーセントくらいの話。例えば、走るって何が一番大事なのかっていったら、毎日走ることが大事じゃないですか。
──原点回帰ですね。
大迫 厳しいトレーニングを毎日どれだけできるか。だけどそれって一番キツイ。だからいろんな情報を手に取って、いろんなことを試してみるけれど、結局は速くならない。
──情報を集めて、新しい方法をやっていたほうが、気持ち的に逃げられる。
大迫 はい。例えば、メンタルで競うとかとなると、メンタルのために1週間に一日は休もうかってなりますけど。
 でも強くなるには毎日走っていたほうがいい、単純に。
──都合の良い情報を切り取ってしまう可能性があると。
大迫 そう思いますね。このチームにいるから速いんだとか、最先端のトレーニングをしているから速いんだとかって言われてきて、でも実際にやっていることは泥臭いし、当たり前のことしかやっていなかった。
 僕の場合、ケニアやアメリカに行くことで、そこに気づけたんです。
──東京マラソンでは、メンタルの部分は大事だけれど、何も鍛えようとはしていない。整えようともしていない。むしろ、削ぎ落とそうとした結果、ああいう走りになったと?
大迫 それに近いのかなと思います。
──東京オリンピックではどのようなメンタルで臨みたいですか。
大迫 本当に自然体で。今まで通り、自然体で行けるところはいって、自分らしくやっていければいいかなって思いますね。
 もちろんメダルは欲しいには欲しいですけれど、こればかりは相手があってのことなので、選手との(タイム)比較になる。
 結果を意識するより、大会に向けて100パーセントの力をできるかぎり上げることと、そこから当日で100パーセントの力を出すこと。その結果、100パーセントの力を発揮できたら、何番だろうが、それができることが、僕にとって意味のあることなので。
 僕にとっての意味のあることイコール、世間にとっての意味のあることになれば、一番ですけれどね。
 無欲ではないですけれど、一種の開き直りというか。いい意味で、メダルを取りに行くことをあきらめる、というのは大事かなとは思いますね。
(執筆:小須田泰二 撮影:杉田裕一 デザイン:すなだゆか)