危機の時こそ仕込み時。トヨタ「KINTO」の葛藤と覚悟
2020/3/24
モビリティ・カンパニーを目指す――。
2018年にトヨタが宣言してから2年。その言葉の真価が問われる時だ。トヨタファイナンシャルサービスが立ち上げた「KINTO」プロジェクトはトヨタのモビリティ・カンパニー化を体現しようとしている。
KINTOを指揮する小寺信也トヨタファイナンシャルサービス取締役上級副社長に、クルマやモビリティに起こりつつある変化とそこへの覚悟を聞いた。
「コロナショック」で見えた「移動の本質」
── 新型コロナウイルスの影響で、世界中の「移動」が厳しく制限されています。移動が制約されると、街に活気がなくなり、経済が停滞するのを目の当たりにしています。
小寺 外出規制、出入国禁止といった移動の自由を制限される措置が、今や、ヨーロッパ、アメリカと全世界に広がっています。
市民は家の中でテレビを見たり、インターネットショッピングをするしかないので、物は動いていますが、人の移動は起こっていない。
動けないことはこれほどつまらないものなのか、と多くの人が実感しているのではないでしょうか。
以前から、私は、移動の欲求は、人間の本能だと考えてきました。
我々は、クルマのサブスクリプションなど、移動に関わるモビリティサービスを「KINTO」ブランドで展開しています。そのコンセプトの一つに「移動は人類の本能」と掲げたのは正解だったなと、今、改めて感じています。
1984年一橋大学商学部卒業後、トヨタ自動車株式会社入社。海外企画部などを経て、2013年常務役員に就任。2018年よりトヨタファイナンシャルサービス株式会社取締役上級副社長に就任し、2019年に株式会社KINTO設立後、同社取締役社長も兼務する
── 小寺さんご自身は、トヨタ自動車に入社されて長らく自動車産業に関わってこられました。今、クルマやモビリティを取り巻く状況をどのように見ていらっしゃいますか。
トヨタ自動車への入社は1984年で、もう36年経ちます。
当時トヨタの乗用車の国内販売台数は約140万台、海外向けは約110万台でした。その頃と今を比べると、国内はほぼ同じ水準ですが、海外は約840万台まで伸びています。
それぐらいトヨタはグローバルになったのです。
しかし、クルマのビジネス自体を考えると、昔も今もやっていることは大きく変わっていません。販売店の店頭でお客様に商品説明をして、試乗していただき、気に入ったら買っていただく。買った車をお客様が大切に使われて時々メンテナンスするという流れです。
もっと遡ればトヨタの創業以来80数年間ずっと同じ流れ。グローバル化は進んだのに、クルマを売るビジネスは進化が止まり、「時代に取り残されたような感覚」さえある。その隙間に新たなモビリティサービスが次々と登場してきている、という状況でしょう。
── 「時代に取り残された感覚」とは具体的にどういうことですか?
3年前、トヨタ自動車の豊田章男社長から、今までと全く違う車の売り方やビジネスモデルを検討するように、との指令を受けました。
「所有から利用」「新しい車の売り方」などのキーワードが挙がり、それらのベースはファイナンスビジネスなので、トヨタ自動車から自動車リースなどの金融事業を扱うトヨタファイナンシャルサービスへ2018年に移籍しました。
ちょうど、豊田章男社長が、「トヨタはモビリティ・カンパニーになる」と宣言し、話題になったころです。
その時に、改めてクルマやモビリティをめぐる市場を考えました。
Uberをはじめとするライドシェアやカーシェアなど、新しいモビリティサービスが次々と生まれているのに、トヨタはその市場に何もしてこなかった。
売れるクルマをどう作るか、クルマをどう買っていただくか、そればかり。購入後にクルマがどのように使われるか、それをどのようにビジネスに結びつけるかという発想がなかったのです。
JapanTaxi向けにタクシー専用車がありますが、あれがトヨタでは唯一の「モビリティ」発想のクルマと言えるかもしれません。
「モビリティ・カンパニー」になるとは
──KINTOは「モビリティ・カンパニー」の象徴としてスタートしているということでしょうか。
はい。KINTOでは、個人、法人、カーシェア、ライドシェアの事業者など、全てのお客様と多様なお付き合いをしていきたい。その手始めとして、サブスクリプションで3年間クルマを借りていただくKINTO ONEという個人向けの商品を作りました。
ただ、このサブスクリプションモデルはKINTOプロジェクトで見据えている全体像のごく一部です。
今後は、カーシェア、ライドシェア、マルチモーダルなど様々なモビリティサービスを展開していきます。
すでにスペインでもKINTO ONEをスタートしています。ほかにも、ヨーロッパ、アジア、北米、中南米などグローバルに、KINTOブランドでのモビリティサービス展開を計画中です。
──KINTOの立ち上がりを見ていると、日本ではクルマのサブスクリプションを受け入れられるのに少し時間がかかるようにも見えます。
ヨーロッパと比べて日本は遅れていると感じます。ヨーロッパではクルマの利用においてサブスクリプションやリースという形態が5割を超え、アメリカでも3〜4割程度に達します。
ヨーロッパでは従業員にクルマを現物支給するカンパニーカーが発達しました。これは、企業がクルマをリースで調達し、従業員に個別で貸与するものです。通勤だけでなく、プライベートでも利用できます。
日本にはこの文化がありません。このような背景もあり、欧米との差が何十年分も広がりました。
しかしこの先、日本でも便利で魅力的なサービスが出てくると、クルマは所有から利用へとシフトするはずで、その流れは逆には戻らないと考えています。
今後、環境規制や自動運転等の技術開発費がクルマの価格に上乗せされる可能性があります。良いクルマを安く作り買っていただくという従来のビジネスモデルは、到底通用しないでしょう。
購入から廃車までの間、どのような付加価値を届けられるかがビジネスのコアになるはずです。
葛藤か、嫌われ者か
──KINTOは、トヨタのビジネスモデルを変革するチャレンジですね。小寺さんご自身、マインドチェンジに対する葛藤はありましたか?
葛藤どころじゃないですよ。(笑)
KINTOの取り組みは、トヨタが最も得意な「カイゼン(改善)」ではなくて、「イノベーション(改革)」です。
これはトヨタにはない文化。今までやってきたことの否定になりかねないので、既得権益者からは嫌われますね。最初はつらかったですが、今では葛藤を通り越して気持ちいいくらいです。
将来、新たなモビリティサービスが現れて、そちらにビジネスがシフトした時に準備ができていなければ総取りされる、そんな危機感は常に抱いています。
しかし、その議論になると必ず「本当にそんなことが起きるのか?」と、もう一つは「なぜ今なのか?」という声が出るのです。
ただ、状況は変わってきています。トヨタの販売店は約280社あります。新しいことを始めるべきだという危機感に、少しずつ賛同が広がっているのを感じます。
私は完全に退路を断たれたので、葛藤より、どうやったら火がつくのか、日々そればかり考えています。
社会課題の向こうの「笑顔」を見たい
──KINTOが解決したいのはどのような社会課題でしょうか。
私たちは社会課題のもう一つ先にある「お客様の笑顔」に、手が届くようになりたいのです。
クルマづくりの世界は、実は、自動運転開発、CO2削減など社会課題解決の壁があまりに高いのです。ややもするとそれが目的になってしまいます。
例えばCO2規制という社会課題を解決しようとして、技術開発競争が価格へと転化されることになると、そこにお客様の笑顔はありません。KINTOが目指すべきは、その先なのです。
──KINTOのミッションに「移動の喜びを創造する」が入っている意味がわかりました。
昔はもっとシンプルで、いいクルマを安く提供するとお客様は微笑んでくれましたが、今この構図が変わってきています。
どうすればお客様に喜んでもらえるのかを考えると、移動の楽しさや気軽さという部分が一番大きくなります。車に乗る嬉しさ、移動の喜びが消えてしまうのは避けたいです。KINTOのカスタマーエクスペリエンスは誰にも負けないものを作ろうと考えています。
トヨタ以外のクルマを売る可能性も
──国内の自動車メーカーでモビリティ・カンパニーへの転換をいち早く打ち出したのがトヨタです。なぜトヨタにはこれができたと考えますか?
豊田章男社長の存在は大きいですね。
KINTOのような市場のないビジネスは、通常ボトムアップで提案しても議論にすらなりません。トップダウンだからこそ実現したと言えます。
KINTOではトヨタのクルマしか売らない理由は何もありません。実は他のクルマメーカーにも「相乗りしませんか」と話はしています。皆さん興味を持ってくださいますが、同時にその難しさもわかるのでもう少し時間はかかりそうです。
私自身は、「100年に一度の変革期」だと覚悟しているからこそ、やらなければいけないという使命感を持っています。
「アフターコロナショック」を見据えて
──コロナウイルスの影響で、経済も厳しい状態に陥っています。この状況下で新たなモビリティビジネスをどのように進めていきますか?
世の中が停滞してきた時が将来に対する仕込みの機会だと思います。
実際に、1997年のアジア通貨危機の時、当時の私はアジア担当として一気に経済状況が悪くなっていく状況に直面しました。他のメーカーは工場を縮小し、ディーラーのネットワークを縮小して商品開発を止めてしまうほどでした。
その時トヨタはカローラなど主要車種のモデルチェンジ開発に着手しました。
その3年後、経済が回復し始めた時にトヨタは工場も販売ネットワークも維持されていて、新型の3車種がよく売れて、結果、大幅なシェアアップにつながったという経験があります。
──「危機の時こそ仕込み時」というのは、小寺さんが36年間経験してさまざまな危機を見てこられたからこその見解ですね。
例えば2001年のアメリカ同時多発テロや、2011年の東日本大震災のときのように、大きな事件や災害を経た後に、社会の常識も大きく変わることがあります。
難しい状況に直面したとしても、そこで歯を食いしばって将来に向けたチャレンジを止めなければ、必ずリターンが戻ってくる。そう信じてKINTOを進めていきます。
(聞き手:呉琢磨、久川桃子 構成:柴田祐希 撮影:稲垣純也 デザイン:月森恭介)