なぜ、健康経営が働く人の生産性を最大化させるのか

2020/3/25
 日本の生産性を下げている犯人は、働く人の「不健康」──。
 社員の健康増進をサポートすることで生産性の向上を図る「健康経営」が注目されている。一見、問題なさそうな人でもなんらかの不調を抱えていることは多く、それがパフォーマンス低下につながっているからだ。
 「70歳定年制」が現実味を帯びる中、健康経営は企業にとっても社員にとっても、豊かな未来を得るために不可欠な投資となる。
 「健康経営」の考え方を2006年から提唱してきた第一人者で、三井不動産が企業において健康経営を推進するためのサービスとして新たに始めた「&well」のアドバイザーでもある産業医で健康経営研究会理事長の岡田邦夫氏と、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)でCHO(Chief Health Officer)室を創設し、いち早く健康経営に取り組んできた平井孝幸氏に、健康経営のポイントについて聞いた。

「生活習慣病」の正体は、「労働環境病」である

──「健康経営」が注目されています。企業や働く人にとって、具体的にどんなメリットがあるのでしょうか。
岡田 今、65歳以上で仕事に就くことを希望しながら求職しない人の24.3%が、健康上の理由を挙げています(中小企業白書2018年版)。「人生100年時代」が目前に迫る一方で、多くの人が働きたくても健康問題で働くことができない状態に陥っているのです。
 また、現役世代も、十分な生産性を発揮できているとはいえません。OECDの調査によると、日本の時間当たりの労働生産性はG7の中で最下位、フランスやドイツ、米国と比べると3割も低いという結果が出ています。
 勤勉な国民性とされる日本の労働生産性が低い要因のひとつが、「プレゼンティーズム」です。
大阪ガス株式会社人事部Daigasグループ健康開発センター統括産業医。大阪成蹊大学教育学部教授、女子栄養大学大学院客員教授。大阪市立大学医学部卒業後、大阪ガス産業医、健康開発センター健康管理医長、関西学院大学社会学部非常勤講師、大阪市立大学医学部非常勤講師、大阪経済大学人間科学部客員教授、プール学院大学教育学部教授、同健康・スポーツ科学センター長、同志社大学スポーツ健康科学部嘱託講師、大阪市立医学部臨床教授、日本陸上競技連盟医事委員、大阪陸上競技協会理事などの役職を歴任。厚生労働省、文部科学省、経済産業省、スポーツ庁等の委員会委員を務める。
平井 私の勤務するディー・エヌ・エーは20~30代の社員が多く、若い会社です。それでも多くの人が腰痛や肩こり、睡眠不足といった問題を抱えていることが、社員の健康づくりに取り組むきっかけになりました。
 「プレゼンティーズム」によって本来持つ生産性を発揮できないことは、本人だけでなく会社にとっても大きな損失だと感じたからです。
起業などを経て、2011年ディー・エヌ・エー入社。共に働く仲間を健康にしようと、2016年にCHO(最高健康責任者)室を立ち上げ、「腰痛撲滅プロジェクト」「ウェルメシプロジェクト」などの取り組みを実施。これらの取り組みや産業医などとの連携が評価され、同社は経済産業省より「健康経営銘柄」に2019年、2020年と2年連続で認定を受けている。そのほか、東京大学医学部附属病院研究員。DBJ健康経営格付アドバイザー委員会社外委員、企業活力研究所「健康経営に関する委員会」委員を務め、健康経営を日本企業の文化にするための活動を行う
岡田 加齢に伴って生活習慣病のリスクも意識されますが、このネーミングも実態を見えにくくしています。会社員の場合、本人が変えられる生活習慣には限りがあり、実質的に勤務先に決められてしまっているからです。
 自宅で栄養バランスのいい食事をとりたくても、十分な睡眠や休養をとりたくても、長時間労働で外食と睡眠不足が続き、ストレスを溜め込んでしまう。生活習慣病というより「労働環境病」と呼ぶほうが現実に合っています。
 日本の労働者は、働くことで健康を害するリスクにさらされているとさえ言えるでしょう。
 企業にとっても「アブセンティーズム」「プレゼンティーズム」が蔓延していては、組織の体力はどんどん失われていきます。
 「70歳定年制」も現実味を帯びてきていますが、健康に問題を抱える高齢者を雇用しなければならない会社と、年齢を重ねても高い生産性を維持する従業員に支えられた会社では、どちらが企業価値を高められるかは自明です。
 企業は従業員の健康を重要な財産と考えて投資をしていかなければ、存続さえ難しい時代が到来しているのです。

社員が健康になるための「7つの行動」

──そうしたことから、今、「健康経営」が注目されているのですね。では、企業が「健康経営」に取り組む際のポイントを教えてください。
岡田 最も重要なのは、企業トップが健康経営を重要な経営課題と認識し、リーダーシップをとって進めることです。
平井 健康を重視した職場づくりが短期的な業績改善に直接つながるわけではないので、理屈は理解できても、今ひとつ納得感が伴っていないトップもいるかもしれません。
 それでも「健康経営」は社員を大切にする会社だと評価されるので、採用にはダイレクトな効果を見込めるのではないでしょうか。ブランディングや採用といった健康以外のメリットも推していくことで、取り組みやすくなると考えています。
岡田 次に、社内にどんな問題があるかを把握することです。入り口はトップダウンで進めていく一方で、具体的な課題認識や取り組みに関しては、働く人を重視したボトムアップの姿勢が求められます。
 メタボ気味の社員が多いとか、長時間労働の慢性化とか、問題は必ずあるので、その対策を検討し、コストベネフィットが高いものから実践していきましょう。
 当初は期待した効果が簡単には出ないかもしれませんが、トライアンドエラーを繰り返せばいいのです。粘り強く続けていくことが重要です。
 200社2万人のビジネスパーソンの協力を得て、働き方と健康問題に関する調査を実施したところ、オフィス環境を改善し、プレゼンティーズムとアブセンティーズムの双方を解消するには、「7つの行動」がカギになることがわかっています。
 こうした行動を自然と促す仕掛けを意識したオフィスづくりができるといいですね。

「無関心層」と「健康ぎらい層」を動かす方法

平井 環境を整えるのとあわせて、一人ひとりの健康意識とリテラシーを高める必要がありますが、最大の課題は健康に関心のない層が一定数いることです。
 なんらかの不調を抱えていても、それが当たり前になっていて「特に興味がない」という人もいれば、今健康だからあまり関心がないという人もいます。
 こうした層をどう動かしていくかということに、相当悩みました。
岡田 若い人が多い会社ほど、そういう問題はあるでしょう。若いうちは不摂生な人と健康意識の高い人の間でも、健康レベルに大きな差は出ません。しかし、年齢を経るほどにその差は拡大するので、なるべく早くから関心を持ってほしいのですが。
平井 無関心層といっても実は2種類あって、単に関心のない人と、「健康」というキーワードに過剰反応する人がいます。たとえば、喫煙者やジャンクフード好きな人たちが、自分の嗜好品が否定されるのではないか?と身構える感じですかね。
 弊社で健康経営の取り組みを始めた際も、「禁煙させられるのでは?」「カップラーメンの自販機が撤去されるのでは?」と警戒する人が多くいました。そこで、一律に彼らの自由を奪うのではなく、関心を引くことを重視しました。
 たとえば、減塩レシピのセミナーには足を運んでもらえなくても、おいしい発酵食品のお弁当を用意すれば食べに来てもらえるので、そこで腸内環境の話も聞いてもらう。こうした単純な欲求に訴えることは、健康への関心が薄い層の行動を促すアプローチのひとつだったと思います。
岡田 悪い習慣をやめさせるより、本人に選択権のあるアドバイスのほうが受け入れられやすいものです。
 若いうちからのちょっとした行動の変化の積み重ねが続いていくことで、定年した時に、「良い会社に勤められたおかげで、こんなに元気でいられる」と実感できる。子や孫の世代に自信を持って勧められる会社になって、企業価値はより高まるのです。

働くことで健康になるオフィスとは?

──三井不動産のオフィスビルは「COLORFUL WORK PROJECT」を掲げ、ハードだけではなくソフトを組み合わせたサービスを提供していくことで、多様な働き方を実現できる場の提供を目指しています。
岡田先生が率いる健康経営研究会は、この取り組みのひとつである健康経営支援サービス「&well(アンドウェル)」と協働していますね。
岡田 働くことで疲弊するのではなく、「働くことで健康になる」職場をつくることで、従業員の満足度も労働生産性も高まり、企業も社員もウィンウィンの成果が生まれます。
 &wellは、三井不動産のオフィスでは、オフィスビルの側から健康経営を実践する企業をサポートしようという取り組みで、大きく期待を寄せています。こうした意義ある取り組みを拡大するために、我々が医学的知見とエビデンスの面でサポートしたいと考えました。
──「&well」は働く人には興味を持ちやすく、継続しやすいイベントやセミナーなどを用意し、人事・健康担当者向けには健康経営推進のPDCAを回しやすい効果測定の仕組みを備えています。
平井 現実として企業が健康経営の取り組みをスタートさせる場合、まずは担当者を決めて任せるでしょうが、多くの人は知識も経験もない上、他の業務を兼務しています。
 スキルもリソースも足りない中で、単発のイベントを実施するだけでは次第に推進力が落ちてしまうでしょう。PDCAを回そうにも、こうした状況での適切なプランニングは難しく、ドゥもチェックもアクションも全部ハードルが高いわけです。
 健康経営を根付かせるには、継続することは絶対条件です。そのためには、効果を実感できる年間を通したプログラム設計が非常に重要になります。そんなところでも、&wellが提供する専門家のサポートやプログラムが役立つと思います。
岡田 &wellでは、先に紹介した働く人の健康を増進させる「7つの行動」を実現し、楽しみながら習慣化してもらえるプログラムが用意されています。
 たとえば、スーツ姿でも気軽に実践できる姿勢改善ワークアウトや、忙しい人でも時短で栄養バランスのとれた献立ができるレシピ提供といった、無関心層にも取り組みやすいコンテンツを提供しています。
 また、日々の歩数に応じて景品と交換可能なポイントを付与するだけでなく、チームの平均歩数を競うウォーキングチーム対抗戦など、職場のメンバーと楽しみながら継続をサポートするしくみも豊富です。
 すべて専用アプリで管理でき、空き時間や通勤時間を通じてアクセスしやすい環境も整っています。
 そして、表彰式を&wellフェスタという街での健康イベントで実施することで、競い合った人同士が顔見知りになっている。こうしてリアリティを感じられるイベントになり、毎回盛り上がっています。
平井 企業の垣根を越えた活動ができる点も、いいと思います。当社も健康経営に取り組む渋谷の企業で組織する「渋谷ウェルネスシティ・コンソーシアム」に参加しています。
 参加企業同士で取り組みの状況やノウハウを共有できるので、担当者のスキルアップや刺激につながりますし、異業種間の交流が生まれることで新しいビジネスの種も生まれてきます。健康が経済を活性化させるロールモデルになるのではないでしょうか。
岡田 現在は三井不動産のオフィスビルに入居する企業同士で、企業の垣根を越えた健康イベントが開催されています。企業単独では難しいことも、ビル全体・街ぐるみといったより大きな視点で推進できる点は、ディベロッパーの事業ならではのメリットですね。
 勤務先が社員の健康をサポートしてくれ、健康経営に熱心な企業が集まるビルで働いていること自体も、社員の満足度やエンゲージメントを高めてくれるでしょう。
 こうしたビルの将来がどんな姿になるか、興味深いですね。定年を迎えた人たちが、働き続けるにしろリタイアして別の生きがいを見つけるにしろ、多くの人がやりたいことにチャレンジできる自由を手にできるでしょう。
平井 身体に不調を抱えていると、クリエイティビティを発揮して新しいアイデアを描くなど、新しいつながりを広げるという発想には行きつきにくい。こうした意味で、イノベーティブな組織に健康経営は不可欠だといえます。
(構成:森田悦子 編集:奈良岡崇子 写真:大畑陽子 デザイン:月森恭助)