フィリップスが挑む。「ヘルステック」という現代のフロンティア

2020/3/13
 129年の歴史を持つオランダ発のグローバル企業、フィリップス。
 かつては家電やオーディオ、記録媒体などを扱う総合電器メーカーとして知られていたが、10年ほど前から健康・医療分野へ大きく舵を切り、ヘルスケア&テクノロジーの領域に事業セグメントを集中させた。
 なぜフィリップスは、これまで築き上げたポジションを捨て、ヘルスケア企業へとシフトしたのか。同社が見据える新たなイノベーションについて、フィリップス・ジャパン代表取締役社長、堤浩幸氏に話を聞いた。

テクノロジーは、世の中をより良く変えるためにある

── 堤さんが日本法人の社長に就任した2017年ごろから、フィリップスは「トータルヘルスケア企業」への転身を明確にしました。それ以前は、総合電器メーカーとして知られていましたよね。
堤浩幸 そうですね。ただ、私なりにフィリップスを表現すると「イノベーション」の会社です。
 1891年、電球の量産化により大成功を収めたフィリップスは、早くから産業研究所を構え、事業を多角化していきました。そうして生まれたのがX線を使った医療機器や、カセットテープ、CDなどの記録メディアです。
 フィリップスが最初に起こしたイノベーションに「カセットテープ」がありますが、当時様々なメーカーがこの新しい磁気記録メディアの研究開発にしのぎを削っていました。
 なぜフィリップスの規格が世界に広まったのかというと、この技術をオープンにして、みんなに使ってもらえるようにしたからです。これはうちが発明したからと特許を取って囲い込むのではなく、様々なメーカーが使えるように開放したんです。
 それが結果として普及につながり、その後20〜30年にわたってフィリップスに成功をもたらし、一時は世界最大の家電メーカーへと成長しました。ただ、フィリップスはカセットにせよ、CDにせよ、プレーヤーをたくさん作ったわけではないんです。
 この技術をどんな分野に転用できるか。20年、30年先を見据えたときに、この技術はどう使われていくかと考えながらビジネスモデルを構築してきたのが、フィリップスの社風であり、独自性です。
── 製造メーカーというよりも、その技術によってどんなイノベーションが起こせるかに主眼を置いてきた、と。
 そのとおりです。当社のイノベーションを下支えしているのはR&D(研究開発)です。フィリップスは他の企業と比べてR&Dを重視しており、ここ10年ほどは平均で売上高の約10%をR&Dに投じてきました。
 また、物事を長いスパンで捉えることも特徴です。たとえば、病院向けの医療機器は7年から8年ほどの開発期間をかけています。昨年発表したコンシューマー向け睡眠デバイス「SmartSleep」は、脳波で睡眠パターンを可視化し、オーディオトーンで睡眠の質を改善することを目的に開発し、基礎研究から製品化まで14年を費やしました。
「2030年までに年間30億人の人々の生活を向上させる」をビジョンとして掲げ、ヘルスケア企業への変革を遂げたことは、今の時代に合ったフィリップスらしい挑戦だと思います。

ヘルステックは、現代社会のフロンティア

── ヘルスケアへシフトした背景には、どのような時代の変化があったのでしょうか。
 ヘルスケアは誰もが関心のあること。そして、長寿化や社会の高齢化によって人々の健康への意識はかつてないほど高まっています。
 ただ、そのためにどんなアクションをしているかというと、「ジョギングをしている」「サプリを飲んでいる」など、まだ選択肢が少ない。ジェネラルな解決法はあったとしても、それが万人にとって良いとは限りません。
 フィリップスには、ヘルスケアの領域で培った強みと、家電分野で蓄積してきたデジタル技術があります。それらを融合した“ヘルステック”を活用して、健康・医療分野での社会課題を解決する。それがフィリップスのミッションです。
 医療においてもAI(=Artificial Intelligence)の活用は重要になっていますが、私たちが考えるAIのAは“Artificial”ではなく“Adaptive(適応性)”。すなわち、一人ひとりにマッチングしたヘルスケアを実現することです。
 それによって、誰もがもっとアクティブで楽しい生活が送れる環境を整えたいと考えています。
── 日本では超高齢化や医療費の増大など様々な課題がありますが、それに対してフィリップスの製品やサービスはどのようなかたちで貢献できると考えていますか?
 フィリップスの強みは、パーソナルヘルスから予防、診療、在宅医療というサイクルを網羅していて、それぞれの領域をつなげられること。これができる会社はなかなかありません。
 昨今の医療はコストがかかります。患者さんも病院も国も大変です。そこで、なによりも病気にならないこと、つまり「予防」が大事になってきます。
 たとえば当社には「ソニッケアー」という電動歯ブラシがあり、Bluetoothでスマホとつながります。将来、そこから得られたデータを一人ひとりの口腔ケアに活かし、人々の健康維持をサポートするようなソリューションを提供したいと考えています。
 また、病院での診断・治療は早期に回復するための手段です。しかし病院も医療従事者の不足など様々な課題を抱えていて、画像認識などのテクノロジーやデータを活用して一人ひとりの生産性を上げることが急務になっています。
 フィリップスはMRIやCTなどの診断装置や、カテーテル治療のための医療機器を病院に納入していますが、それだけではなく情報系も含めたトータルなソリューションを提供しています。
 もうひとつは、在宅医療の分野です。診断や治療を終えて家に戻ってからも、患者さん自身が安心して治療に専念できる環境を整えていくことが大切になります。
 日本はこれから超高齢化社会がますます進行していきますが、問題は平均寿命と健康寿命のギャップが大きいこと。高齢化が進んでも、その分だけ健康寿命が延びれば課題は解決できるんです。
 人口動態の変化に則した健康的な社会をつくるには、予防や在宅医療を含め、病院の外にも医療・ヘルスケアの裾野を広げていく必要があります。そのためには、他企業や自治体との連携も欠かせません。

ヘルステックを起点とした“まちづくり”とは?

── フィリップスは様々な自治体と連携したまちづくりの取り組みを進めていますよね。
 はい。青森市や山梨市、長野県伊那市など様々な自治体と手を組み、ヘルステックやモビリティを活用して地域の医療・介護サービスの改善を図るプロジェクトを進めています。
 抱えている医療の課題は、自治体によって異なります。都市部には病院がたくさんある一方で患者さんも多く、スムーズで効率的な診断・治療が求められます。一方、過疎化や高齢化が進む地方の場合、病院が少なく、患者さんにとって通うのが大変な場合が少なくありません。
 また、「予防や診断に注力したい」という自治体もあれば、「お年寄りが多いので、予防よりも介護や在宅ケアに注力したい」という自治体もあります。ここでも大切なのは“Adaptive”であること。
 各地域のデータや生活パターンを踏まえて、それぞれの地域に合ったソリューションを考えなくてはなりません。
── こうした取り組みが実を結べば、2030年にはどのような社会が実現していると思いますか?
 10年後には、デジタルとアナログがうまく融合した生活環境が整っているでしょうね。
 たとえば、病院の待ち時間がゼロになっていたり、すべての家庭で遠隔診療が受けられるようになっていたり。AIやIoTによって、そういったことが当たり前になる時代が来ます。
 あるいは、これは極端な話ですが、無人化された病院なんかもできているかもしれない。そうなると、病院のあり方も変わってきますよね。
 この10年を振り返ると、テクノロジーは驚くほど進化し、私たちの生活環境も大きく変わりました。私自身、すべてがデジタル化することに対しては否定的で、アナログな部分もある程度残していったほうがいいと思っています。
 大切なのは、そのバランス。テクノロジーは本来、人に優しくなければならない。人に優しいデジタルで、人々の健康的な生活に貢献する。それがフィリップスの創造する“ヘルステック”の価値です。
(編集:宇野浩志 取材・文:榎本一生[steam] 写真:大橋友樹 デザイン:小鈴キリカ)