AI開発に年2.4兆円=「欧州データ圏」構築、規制も重視―EU
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先日フランスで開催されたデータ、AI、5Gのカンファレンスに参加してきましたが、欧州は中国や北欧企業による寡占状態にある5G分野に比べ、データ・AI分野においてはまだ世界を牽引する技術力があるという自信の様なものを感じました。
ただ、データ圏の構築と言いつつも、そのデータが通過するデジタルインフラの5G通信が信頼(トラスト)できるものでなければ、データ政策があまり効果を発揮しないという議論もできる。まずは、先日EUがまとめた「サイバーセキュリティのツールボックス」をどのように活用し、各国が5Gを導入していくのか、注目。欧州委員会が掲げた目的は、米国や中国に対する遅れを取り戻しながら、「新しいテクノロジーの使用が欧州市民の信頼に値する」ようにするということだ。なお、これから5月19日まで、加盟27ヶ国の政府、関係企業(グーグルやアマゾンも含む)、市民団体、労働組合などで話し合い、それを受けて年末までに法案を作る予定である。ちなみに、データはAIの燃料のようなものという位置づけだ。
「データの収集と活用」と「AI」を同一視し過ぎる傾向はそろそろ辞めにして欲しい。
確かに「AI」の学習にはデータセットが重要である事に変わりはないが、人間にとって学習が全てではないように、知り得ないことを推定したり(人物像や消費行動を予測する)、過去に経験のない事に対応したり(走った事のない道を走る)、ある種の創造的な活動(存在しない人物の写真を作る)もする。
それらはつまり、Ai自体がデータの生成源でもある事を意味していて、生成の方はデータ収集とは異なり電力さえあれば無制限なので、今後はデータ収集とともにデータ生成も併せて考える必要がある。
ところで、前者の「データ収集と活用」は今ではあたかも「AI」と同一視されているが、それってほぼ「数理モデルによる統計処理」であって、果たして本当に「AI的」だろうか。
データ生成の方が、より「AI的」に感じられる様になっていく気がする。
しかし、それもまた陳腐化すればAIとは呼ばれなくなっていく。
「AI的」とは、人間が「知的」と感じられる情報処理の事なので、社会で実装された処理は必ず陳腐化し、より人間にしかできない「情報処理」だけがそう呼ばれる。
それでは人間にしかできない「情報処理」とは?
脳と身体の唯一性を活かしたもの。
責任を取る(≒恥じる、尊厳がある等)
ぬくもり
あじわい
そんなところ?