「在宅死」を可能にするドイツの緩和ケアから見えた日本の課題 - 医療・介護 大転換
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注目のコメント
ドイツと日本の現在地として「最期の選択肢をもつ権利」はドイツがとても保証されていると感じる内容です。
日本も地域包括ケアを掲げていますが、「死」というもの、それに伴う各種「痛み(ペイン)」と「緩和」についてはそこまで広く共有されておらず、やはりまだ病院や施設というハコモノにおける、専門職の専売特許に留められている感があります。スピリチュアルケアなどは誰でも出来る大事な緩和ケアですし、もっと日本でも一般市民レベルに広がってほしいものです。
気になる一文は、ドイツでケアマネジャーがいないことでその指示のもと動かなくて良い、というニュアンス。やはり専門職には自律性が必要で、それがあってこそ責任と専門性の研鑽が生まれるということですね。ケアマネの存在が果たした役割は多大なものですが、次世代を考えるに当たり、自律性と専門性をもう少し介護職に移譲すべきかなと。。。かろうじてそれがあるサ責は絶滅危惧黄色信号という現状。。。
ドイツがここまでになったプロセスや日本が学べることについてもう少し言及した内容だったら嬉しいのですが、自分で調べる余地を残していただいたということですね。訪問看護事業所を運営していて感じる。
日本の医療機関は勿論、そこに働く医療従事者も在宅における「人」をみる医療とはかけ離れた考え方をしている。
つまり、医療機関、介護施設での生活を標準として見ている。
十分な道具があって医療が出来ると考えている節があるのだ。
手すりない、段差はある、介護者はいないのがあたり前の状況に対処する考えがない。
良い悪いではなく事実としてそれをどう捉えるか、今後どのように在宅医療を進めていくのか、医療従事者の捉え方の変革が必要だ。在宅死より病院死が多くなったのは昭和50年頃。
今は病院死が当たり前ですが、日本でも長く在宅死が当たり前でした。
そして多死社会を迎え、病院がキャパオーバーに。
死について考えるには、医療と福祉の仕組みも重要ですが、それ以外にも宗教や周囲の人からの見られ方、社会的価値観など、幅広い要素が絡み合う。
再び在宅死(介護施設も含む)が当たり前の社会になるように願います。