【中村輪夢】BMX界の寵児、東京五輪で誰より高く

2020/1/26
17歳で世界王者になった日本人がいる。東京五輪で新種目になったBMXフリースタイルパークの中村輪夢だ。4mを超える大ジャンプを武器に、XGames準優勝、W杯年間総合優勝と急成長を遂げる新生は初代金メダリストを狙う。
中村輪夢(なかむら・りむ)5歳で初めて大会に出場し、小学校高学年の頃には全大会のキッズクラスで優勝。2019年 X Games Minneapolis 2019 BMX Park 銀メダル、19年UCIワールド杯年間総合ランキング1位。名前の由来は車輪の部品「リム」。20年1月24日時点で世界ランク4位。(写真:NaokiGaman)

人に合わせない、自分だけの走り

──まずはBMXフリースタイルパークの魅力を教えていただけますか。
中村輪夢(以下、中村) 一番の魅力は技の迫力だと思います。
 フリースタイルパークは、選手に制限時間1分間が与えられて、ジャンプの高さや技の難易度、完成度などで採点が付けられて順位が決まります。BMXに乗った状態で4メートルを超えるくらいジャンプするので、初めて見る人には想像もできないほど迫力を感じてもらえるはずです。
 選手それぞれの技にも注目してほしいです。すごく個性が出る競技でもあって、同じ技だったとしても選手によって少しずつ形が異なります。そういった各選手のプレースタイルの違いみたいなところも面白いと思います。
──中村選手はどのようなプレースタイルなのですか。
中村 プレースタイルで言えばジャンプの高さ、そして常に人と違うことにこだわっています。
 フリースタイルパークって独自の技が少なくて、技が被ることも結構あるので、被ったら直前に変えることもあるくらいです。
──1分間でどんな技をするかはいつ決めているのですか。
中村 僕は試合の前日夜くらいに決めています。やっぱり練習でコースを走ってみないとわからないので、前日練習が終わってから考えるようにしています。
──それくらい会場によってコースが全然違うということですか。
中村 全然違いますね。ジャンプ台の高さや配置が違って、できる技が変わってくるので、練習で走ってからじゃないと試合でやるイメージをしにくいんです。
(写真:ファーストトラック株式会社)
 例えば海外の会場って日本の会場と比べるとかなり大きいんです。海外に行き始めた頃は会場のデカさにビビっていましたね(笑)。ジャンプ台が大きいとその分高く飛べるんですけど、最初はそれも怖くて。
 でも今は海外の大きな会場の方が自分の持ち味のジャンプを発揮しやすいので、やりやすいと感じています。
──恐怖心もあるんですね。
中村 やっぱり難易度の高い技をやろうと思っているときはナーバスになりますね。でも勝つためには難易度の高い技をやる必要があります。恐怖心はBMXをやっていて一番乗り越えなきゃいけないものですし、乗り越えた先が一番楽しいと思います。
──競技の前は緊張されますか。
中村 結構緊張します。何十回と大会に出ていても、どうしても緊張してしまうんですよね。逆に緊張しないっていうのはもう無理だなって。だから緊張したときにどうするか。その状態からどう良い風に持っていくかですね。
 数年前は大会とかで「緊張してきた。どうしよう」という感じだったんですけど、最近は緊張を楽しむというか。「よーし、緊張してきたな。やってやるぞ」という感じで緊張が悪いものではなくて、良いものだと捉えるようになって大会でも結果が出るようになりました。気持ちの持ち方が重要なんだと思います。

五輪で勝ってBMXを広げたい

──BMXを始めた頃のことも教えてください。
中村 元々はお父さんがBMXをやっていた影響で、2歳くらいから普通の子供が自転車を乗るような感じでBMXに乗っていました。始めた頃はもちろん技とかジャンプとかはなく、ただ乗って走るだけでした。
──最初からBMXだったんですね。競技として始めたのはいつからでしょうか。
中村 小学校の2年生か、3年生くらいだったと思います。それまではただ楽しくてやっているだけで大会もほとんどありませんでした。2、3年生くらいになると大会も増えてきて、大会に出るようになると負けたくない、勝ちたいっていう気持ちが芽生えてきましたね。
──そして一気に注目されるようになったきっかけが、14歳のときに優勝したG-SHOCK REAL TOUGHNESSですね。
中村 そうですね。そこで勝って注目してもらえて、スポンサーに声をかけてもらえるようになりました。初めて海外のトップ選手もいる大会で勝てて、まだまだでしたけど世界で戦っていく自信にもなりましたね。
──優勝して何が変わりましたか。
中村 そのときは中学3年生だったので、普通の高校に進むか、通信制の学校に進むか、もしくはそもそも高校に行かないか悩んでいる時期でもありました。今は通信制の学校に行っているんですけど、その優勝があったから競技に集中しようと決断できました。
 そこから練習のためだけに海外に行ったり、競技に集中できる環境になって。あの大会の結果がなければ今どうなっていたかは想像もできないですね。ただ、日本開催で海外の招待選手が数人という感じだったので、次は海外の大会で活躍したいという思いが強くなりました。
──翌2017年にBMXフリースタイルパークが五輪種目になることが決定しましたが、当時心境に変化はありましたか。
中村 最初は信じられないという感じでしたけど、東京開催ということで出たいという思いはありましたし、BMXにとっても大きなチャンスだと思いました。
 BMXは日本でメジャーなスポーツではないので、五輪で自分が活躍すればもっと多くの人にこの競技を知ってもらえると思いましたし、ここでそのチャンスを掴みたいと意識するようになりました。でもこの時は漫然と出たいなぁくらいにしか考えていませんでした。
──この年は第1回UCIアーバンサイクリング世界選手権が開催されて、ファイナルに進出して7位という成績でした。五輪種目決定後ということで、これまでの大会とは違う意識があったのでしょうか。
中村 注目もされていて第1回大会だったので、活躍したいとは思っていました。でも自分の実力だったら準決勝に残れたら良い方というか、準決勝に残れるように頑張ろうという感じでした。その中で7位までいけたので、もっと練習すればまだまだ可能性はあるなと思えました。

広島で手にした自信と覚悟

──2018年は16歳になってワールドカップのツアーに初めて参戦するようになりました。印象に残っていることはありますか。
中村 この年のワールドカップは第1戦が広島で開催されたんです。五輪よりは規模が小さいけど、“自国で開催される世界大会”の雰囲気を感じることができました。
 それまでは世界大会で“活躍したい”という感じでしたけど、この大会では“活躍しなあかんな”と感じました。
──“活躍しなあかんな”と。
中村 日本開催なので、僕を知らない人でも日本人ということで応援してくれて、それがすごく力になりました。
 同時にプレッシャーも感じましたけど、そういった声援に乗せられてアドレナリンが出ることで、恐怖心が消えていつも以上に攻めることができました。
──そして2019年の広島大会では日本人初の表彰台となる2位という結果が出ましたね。
中村 客観的に見てまだ自分には無理かなとも思っていたので、準優勝できたことは大きな自信になりましたね。日本開催の世界大会で結果が出せたことも本当に嬉しかったです。
 まだ世界との差はあると今でも感じますけど、でもこの技をすれば勝てるかもしれない、表彰台に乗れるかもしれないというのは、段々と明確にイメージできるようになってきました。そういった意味で、この広島大会で表彰台に立てたことは大きかったですね。
──X Games・ミネアポリスで準優勝。日本人初、そしてBMXフリースタイルでは大会史上最年少メダルとなる快挙を達成しました。
中村 X Gamesは僕が生まれる前からある大会で、X Gamesで活躍するというのがずっと大きな目標でした。だからまず出場できるだけで嬉しくて、結果どうこうよりも憧れの舞台で自分が走るということにワクワクしていました。
 パフォーマンスも思い通りできて、評価してもらえて嬉しかったですし、この結果で世界的に自分のことを知ってもらえたのは大きかった。
 自分のスタイルを世界の人に見てもらえて、結果が出て世界に認めてもらえたと思います。

夢を与えるBMXライダーへ

──中村選手はこれだけの結果を残していても自己評価としては「まだまだ」という感じですね。
中村 自分には厳しい方だと思いますね。もちろん大会で結果が出せるのは嬉しいんですけど、満足してしまったらそこで成長は止まってしまうと思うんですよ。
 だからまだまだというか、いけるところまでいき切りたいという意識でずっとやっています。
──X Games後はワールドカップ成都大会でも日本人初優勝、ワールドカップ年間総合優勝も日本人で初めて成し遂げました。2020年はいよいよ東京五輪です。
中村 五輪種目に決まったときは「まだ3年もあるし」という感じでしたけど、今は「もう半年後か」という感じです。
 五輪種目に決まってから負けたこととか、悔しいことはたくさんあったんですけど、良いこともいっぱいあって本当に濃密で2年半というのはあっという間でしたね。
 あのときは漠然と五輪に出られたら良いなという感じでしたけど、今は出て“活躍しなあかん”という意識に変わってきました。あの頃よりも着実に実力もついてきて、本当に楽しみです。
1月22日には専用の練習場「WingPark1st」が完成。9台のカメラと15台のセンサーが中村の動きをデータ化する(写真:ファーストトラック株式会社)
──自国開催ということで当然メダルというのも期待されています。
中村 期待をされているのと、されていないのでは期待されているほうが力は出ると思うので、色んな人に期待してもらいたいし、応援してもらいたいと思います。
 サポートしてくれた人や応援してくれた人に対して、この五輪という舞台で結果を出すことがなによりの恩返しになると思うので、良い結果が出せるように頑張りたいです。
 僕はBMXで食っていくプロになる、それだけで終わりたくないんです。例えば野球選手とかサッカー選手みたいに良い車に乗って「BMXライダーって夢あるな」と思ってもらえたら、もっとBMXも大きくなると思いますし、そこに希望があると思うんです。
 夢を与えられるような、憧れられるライダーになるためにも、東京五輪では活躍したいと思っています。
(編集:日野空斗、取材:篠幸彦、撮影:鈴木大喜、NaokiGaman、ファーストトラック株式会社、デザイン:九喜洋介)