8. コミュニティをつくって「コンテンツをつくったつもり」になるべからず
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コミュニケーションに注力しすぎてコンテンツが伸びない件、コミュニティはもちろん「関係性維持に注力しすぎて事業が伸びない組織」「限られた人との毛づくろいが中心になってフォロワーが伸びないSNS」などにも言えるのでは。
コミュニケーションを手段と捉えるか目的と捉えるかを明確にして、コミュニケーションが手段であるときにはそれを忘れてコミュニケーションの快楽の中毒になってしまわない意識が必要。
「コミュニケーションは、最初の100人くらいのファンをつけるまではすごく効果があります。
ですがコミュニケーションは麻薬みたいなもので、そのやり方でファンを増やすことに慣れてしまうと、コンテンツを提供することを忘れてしまいます。
「コミュニケーションするとファンが増える」ということに味をしめてしまうと、ほとんどの人がコミュニケーション9、コンテンツ1のような感じで配信するようになります。
そして突然パッと止まってしまうんですよね。「ファンが増えません」と。」コンテンツとコミュニティ。
言い換えると、人がつくるものと人のつながり。
広さと深さは違えど、深さを持つ人が浅い人に広く
モノゴトを伝える事が本質だと思ってて、
それは、企業製品、スポーツ観戦、宗教、なんであれ
構造的には同じで、何が持続性あるかといえば、
1人では満たせないものを満たしてくれる
ビジョンが掲げられていたり、期待を背負っていること。
特定の誰かがいないと回らないのは厳しいし、
開放感(自由度の高さ)と安心感(最低限のルール)の
バランスがないとコミュニティは成立しないかなと。
その中で、個々の主体性を反映できるのが理想的。
コンテンツを楽しむ人がコンテンツ提供側に回れる
プラットフォームはそれがうまい。