アスリートが試合前に聴く、パフォーマンスを高める音楽とは

2020/1/21
特集「アスリートはなぜ試合前に音楽を聴くのか」。最終回の今回は「一流アスリートは実際にどんな音楽をオーダーメイドしているのか」を紹介する。

高パフォーマンス時の状態とは

試合前に音楽を聴く。
パフォーマンスの向上のためにアスリートが取り組む一つの方法である。
その具体的な方法は「オーダーメイド」。
#1で紹介した認知脳科学者の柏野牧夫氏の言葉だ。
「それぞれの過去の経験と合わせて”『適切』な状態”(能力がもっとも発揮しやすいだろうと言える状態)を作る音楽は変わります。それを見つけられさえすれば、パフォーマンスを上げる一助となりうる。
アスリートも人間も多様な経験を持っていますから、それに合わせることが必要です。曲調が大事といいう人もいれば、歌詞が自律神経に働きかけることもある。それを見つけることが大事で、そこには過去の経験は欠かせない要素でしょう」
【集中力】どんな音楽を聴けばパフォーマンスが上がるのか
つまり、「アップテンポがいい」とか「ゆっくりした音楽がいい」「この音階、この調性が効く」といったものではなく、個々の体験や状態において、それぞれに決められる。
それは、パフォーマンスが最大限発揮されるときに身体及びそこに指令を出す脳の状態が、人によって変わってくるからだ。
#1では、「適切」な状態の基準を「ヤーキーズ・ドットソンの法則」に求めたが、ここにはまだまだ検証の余地が残されている。柏野氏は指摘する。
「我々の最近の研究で、プロ野球投手の実戦登板では、心拍数が160〜180くらいにまで上がっていることがわかっています。これは『適切』などというものではなく、あきらかにものすごくストレスがかかり、交感神経が賦活(ふか)している状態と言える。
注目すべきは、それでもパフォーマンスが高い選手は存在する、ということです。つまり、一流選手は非常に緊張しながらいい結果を出している」
トップアスリートになると、「自分自身にとって適切な状態」がどういうものか、経験的にわかっている。だからこそ、その状態に導く方法を各々作り上げるのだ。

一流アスリートの「オーダーメイド」

では実際に、トップアスリートたちはどうやって「音楽をオーダーメイド」しているのか。
どんな音楽を聴き、どういう理由で決めていくのか──。
元サッカー日本代表のキャプテンで、現在ブンデスリーガ・フランクルトで活躍する長谷部誠が、試合前に聴く音楽のみならず、その順番まで決めていたことは有名だ。
ミリオンセラーになった自著『心を整える』(幻冬舎刊・2011年)にはこうある。
「音楽には不思議な力がある。メロディや歌声も大事だが、僕は歌詞をしっかり捉えながら聴く(中略)僕が聴いているのは『ミスターチルドレン』だ。」
本書で長谷部は、海外移籍に悩んだときに訪れたMr.Childrenのライブ、そこで聴いた『innocent world』の大合唱に勇気をもらったことが選曲の理由であることを綴っている。
時を経て曲は変化しており、ロシアワールドカップ直前には、『進化論』や『足音』『Starting Over』(いずれもMr.Children)だった。
【岡崎慎司】本能を根底から呼び覚ます「音楽」の使い方
元広島カープの黒田博樹氏は、MLBニューヨーク・ヤンキースで活躍していたころ、「タイトルは決めていないけど、とにかくアップテンポな洋楽を聴いている」と話をしている。
その理由を聴くと「とにかく気分を上げたいから」。
“打たれるのが怖い”という恐怖心といつも戦ってマウンドに上がり続けた黒田氏らしい選曲である。洋楽であるから「歌詞はわからない」。音楽のテンポやリズムによって「試合に臨む最適な状態」を作っていた。
同じ発想で「オーダーメイド」のスタイルを築いているのがベルギーリーグ・シント=トロイデンで活躍するFW鈴木優磨だ。
「日本の曲を聴くとしんみりしてしまうので、(アップテンポな)洋楽を聴きます」
ゴールゲッターとしてパワフルなプレーを続ける鈴木は、そういう理由からDan + Shay&Justin Bieberの『10,000Hours』とDJ SNAKEの『Loco Contigo』を中心に聴く。
これが変わるのが「成功体験」後だ。
「ゴールを決めた試合の前に聴いていた曲は次の試合前にも必ず聴きます」(鈴木優磨)
新体操日本代表「フェアリージャパン」としてロンドン、リオ五輪に連続出場した畠山愛理さんも気持ちを奮い立たせるために音楽を使った。
「ロンドン五輪のときは安室奈美恵さんの『Get Myself Back』を、テンションを上げるために聞いていました」
自身を「基本はネガティブ」だと言い、「それがわかっているからポジティブに考える」と日々の行動を振り返る畠山さん。その思考は、現役時代、試合前に音楽を使うときも同じだったようだ。
ここまで紹介したアスリートは、どちらかというと「テンションを上げたい」派だ。それでも曲調や歌詞はさまざまである。

落ち着いた音楽をオーダーメイドする

一方で、「リラックス」「落ち着きたい」という理由で音楽を使うアスリートも多い。
サッカー日本代表で、ブンデスリーガ・Vflシュツットガルトでプレーする遠藤航にとって、James Arthurの『See you won’t let go』は定番の一曲。
「洋楽だけど落ち着く。好きな曲です。(試合前に)聴くのはルーティンになっていて、勝っても負けても変えないタイプです。あともう一つ聴くとしたらエド・シーランとかですね」
遠藤はもともとメンタルの波を周囲に感じさせない落ち着いたタイプだ。『See you won’t let go』の曲調も、ルーティンを淡々とこなす遠藤にぴったりである。
【大山加奈】試合前の過度なストレスを減らす歌詞の「情景」
青山学院大学の箱根駅伝で三代目「山の神」として注目を浴び、現在はプロランナーとして東京五輪を目指す神野大地は「その時々で変わりますが」と前置きをした上で、「今はOfficial髭男dismの『宿命』だ」と言った。
これは普段から聴いている曲である。
「試合で結果を残すには身体の状態と同じくらいメンタルの状態が重要です。普段と同じ音楽を聴くことで心を落ち着かせ、平常心を保っています」(神野)
#1で紹介したように、「慣れの状態」を意識的に作りあげるために音楽を利用していると言える。
「テンションを上げる」「落ち着かせる」その、どちらとも言えない利用法をしているのが、ラグビー日本代表で神戸製鋼でプレーする中島イシレリ。
中島は音楽と自身がフィールドで表現したいプレースタイルを同化させる。それが、
「試合前にモンスターになるようなイメージ」
である。音楽は Trey Songzの『Animal』。
#2、#3で紹介した岡崎慎司や大山加奈氏の言葉からもわかるとおり、トップアスリートであるほど、自身をよく理解し、どうすればパフォーマンスがもっとも発揮できる状態であるかを熟知している。
そこへ持っていくために「音楽」をどう使うか。
オーダーメイドである理由、あるべき理由がわかるはずだ。
トップアスリートはパフォーマンスを発揮するために、ピッチ以外で何をしているのか。次回は2月にアスリートの「メンタルトレーニング」を特集する予定です。