大学入学共通テスト「記述式問題」見送りの方向で調整
コメント
注目のコメント
こうあるべき、という大きな絵では思考力を問う記述式というのは入れたいところだと思う。ただ導入までのプロセス、タイムスパンを考えると実現性についてかなりの疑問が残るわけで。
こういった大きな事業になるとお金やら権限にもなるので、もとの想いはともかくお金や権限に群がる人も増えてくる訳で、混沌としてくる。
基本的には、共通テストが受験する全生徒に必要なのかは疑問。各大学ともアドミッションポリシーあるわけで、そのポリシーに沿って各大学で試験制度を構築すれば良いと思う。共通テストは、そんな大学の独自性を失わせるものなのではないか。と思ったりする。コメント欄を見ていると、書いた方の本質が浮かび上がる、それは怖いくらい。
誰に寄り添っているか、何に重きを置いているか。
空気に流されやすいか、空気に敏感か。
などなど(いい悪いとは違う)。
それだけ重要な問題だ、ということなんでしょう、たぶん。
私自身は…
日本の国力(とりあえずは誇りがもてて、周りからも尊敬される国くらいのニュアンスで)維持に重きを置いている。
飛び抜けた才能と意欲を持つ若者に寄り添っている。
日本全体が貧しくなる中、公平さを過度に求め、出る釘を打とうとする空気を敏感に察するけど、流されない(むしろ嫌悪する)。
周囲の高校生には、試験制度がどうなっても自分がやりたいことを見失わないで、と伝えています。
(別記事へのコメントと同文)わかりきった事まで、ねばって高校生達を困らす文科省。
なんなんだと思いませんか?
要するに、今度の教育改革は、官僚の天下りと、政治家の利権と、財界のお爺様方の為の改革なのです。だから、ねばれなあかんわけです。
教育改革を国民の為のものにせねば、日本は潰れてしまいます。