教育「日本のスティーブ・ジョブズが生まれないのは何故だ」
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大前研一さんの本に昔書いてあったと思うのだが、偏差値教育がまさに愚民政策なんですよね。
そうこの記事にその本に抜粋箇所がある。
(以下抜粋)
かなり昔のことになるが、私は当時の首相に言ったことがある。 「いまの政府は国民を騙すようなことばかりやっている。 このままだと、国民は怒りを覚えて立ち上がるでしょう」 と、このように進言したのだが、首相は私にこう言った。 「大前さん、わが国は愚民政策を施しているから大丈夫だよ」
まさかと耳を疑ったが、これは事実である。
当時の日本の政治指導者と役人たちは、学生たちが政府にたてつくことがないように愚民政策をとっていると確かに認識していたのだ。 日本政府は安保闘争のようなことが二度と起こらないように、若者たちがけっしてアメリカに刃向かわないように、そして、体制が転覆する事態が起こらないようにと、愚民政策を実施した。
http://media-gakutame.com/2015/01/22/guminseisaku/
(抜粋終わり)
証拠がある話でもないが、でも結構自覚的にこうした教育を体制側が取採ってきたのは間違いないことだろう。それこそ、香港みたいになったら政府は困る。
ジョブズみたいな人ばかりになったら困るから今の教育体制があるわけで、ジョブズみたいな人は日本の教育や社会からは絶対に生まれないだろう。断言してもよい。アメリカからも、ジョブズは1人しか生まれていません。
アメリカの本田宗一郎も、松下幸之助も生まれていません。
それは「人それぞれ」ではないでしょうか。
ただ日本の「教育」システムがダメダメなのはその通りと思います。
私は子ども達の学びの場を示すシステムの名称について、「教育」という言葉を使うのを止めたらどうかと思います。
「Education」は、その人物が持つ潜在能力を引き出すための手助けをする意味ですが、明治時代にその訳語として「教育」という言葉を当てました。
上の立場の者が、無知な者に一方的に教えて育てる意味の言葉です。
翻訳者は、初代文部大臣の森有礼です。
ちなみに福沢諭吉が「教育」という翻訳についてかなり怒った話は有名。
「天が子どもに与えた才能を引き出すという意味についてこんな言葉を充てるとは阿呆か!じゃあ何か?農家で汗水垂らす女子にもその恰好のまま英語を喋りながらナイフとフォークで食事するよう矯正するとか?バカじゃね?」
・・みたいな感じだったと思います。
※森有礼は、日本語を廃止して、公用語として英語を採用するよう画策します。
ともあれ、現在の「教育」はこの森有礼が考えたシステムです。
森有礼は欧米を視察した結果、教鞭を振るって一方的に子どもを教えこむシステムこそが、その国家の軍隊を強くし、優秀な官僚を輩出しているのだと分析しました。
そして明治18年に導入したシステムこそが、現代にも繋がる「教育システム」です。
江戸時代から脈々と忌避されてきた体罰も、それ以降肯定されていきます。
即ち、このシステムは「体罰が前提」のシステムなのです。
※だから教"鞭"を振るう必要がある。
明治でも法律では体罰が禁止されていましたが、このシステムを導入してから体罰が一般的に横行していきました。
いい加減、このシステムを見直すべきだという意見には非常に同意します。
このシステムで伸びる子どももいるのだとは思いますが、万人向けではありません。
ある側面の基準で子どもの評価を行った時、子どもの特性が正規分布したとすると、その中央部の子どもが優遇され、中央部から離れるに従って自己否定感が生じるのが前提のシステムです。
更に、両端に位置する子どもはいじめられやすい傾向にあるでしょう。
これは子どもの特性の問題ではなく、システムの問題。教育でスティーブ・ジョブズは生まれない。
天才を教育で生み出そうとする、単純な考えを捨てることからですね。なんでも型にはめようとすることをやめる。
「パプリカ」は不正解で「ピーマン」が正解。決して上手ではない白黒の絵を見て、どちらか答えられる人はいない。料理人でも無理ですよ。
子どものユニークな答から、キラリと光る才能を見出せる感性を磨きましょう。