【Podcast】「優秀な人材」の条件が変わった。そんな時代の教育とは
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日本の会社や公教育は海外と比べて哲学を軽視しているように思えます。教養、弁証法もといクリティカルシンキングのような、人や世界を考えるための素地は、標準化された社会をリメイクする上で必ず必要になります。
フレデリックテイラーの科学的管理法、それに感化されテイラリストがもたらした暗記主体の系統主義教育で、社会は徹底的に標準化、効率化されましたが、この変化は起きてからまだ80年ほどしか経っていません。
人間に根差した教育を目指すなら江戸時代の寺子屋や北欧の一部で行われているような適応型学習に回帰する必要があります。が、日本の場合、民間教育やテクノロジーなしではまだまだ実現には時間がかかりそうです。。
そして社会についても同じで、この世界はシステムのためではなく人のためにあります。であれば真に必要になるのは効率化を促す歯車ではなく、対人間を考える強さだと思うのです。システムは管理を楽にし、標準化は個性を犠牲にし、効率化は繊細さを犠牲にしますが、最後に寄り添うのは人間であるべき!人間の能力は、遺伝が6割、親からの影響が3割、後天的に身につくものが1割といわれてる。(諸説あり)
子供の教育を議論するならば、そもそも大前提親のパラダイムシフトは避けては通れない。
親が子供の成長を阻害する一番の原因になり得る。そもそも‘優秀’な人が欲しい!とクライアントに言われる度にその定義を聞くことがありますが、だいたいその認識は曖昧でバラバラ。
「まだ気づかれていない問題を発見する、その問題を分解して人に解説する、そして起こりうる対立を調整する」
課題解決型のこれまでの教育や経営はもうやりつくしているし、日本人ならだれかがやるしネットワークで業務請負でやってくれる社会が確立したのかもしれません。
一方で、これからは面倒くさくて埃がかぶっているけれども手垢がついてない課題発見型であることが重要なのかもしれない…と思う今日この頃。